花嫁舟
翌年、青柳の本家に待望の長男が生まれた。
さやかは分家の娘なのでよく分からないが、本家では後継ぎに相応しい力を持った子どもが生まれたと大喜びだったらしい。
あれからさやかは、月に一度か二度、川辺で舟を呼び出して山のお社へと訪ねて行っている。
木札は舟の船頭に繋がる直通電話のようなものらしい。
初めて使った日、滝のそばでさやかを待っていた青年は楽しげに笑いながらさやかに願いについて話した。
なぜ知っているのかといえば、彼はこの土地一帯を守る土地神本人だかららしい。
「まさか椿のために祈る娘がいるとは思わなかった」
青年はそう言って笑った。
「もしかして良くなかった?」
作った雪兎を椿の木の下に置いて訊いたさやかに、青年は「いいや」と首を振る。
「そろそろ返してもらおうと思っていたからちょうど良かった。穏便に話を持って行くと聞く耳持たなくてな」
「でも帰ってきても、人間と椿の精では会えなかったりする?」
「まあな。椿の精は精霊としての力を捨てて人間になりたいと言っていた」
「人間になれるの?」
「できないわけじゃないが、この椿は土地の邪気を浄化している重要な役目がある木だからな。少し困っている」
「難しいの?」
「代わりがいればそうでもない」
青年はそう言ってさやかを見た。
手には緑の椿の葉と、南天の赤。
話を続けながら雪兎を作り出した。
「実はお前に責任を取ってもらおうかと思っている」
「わたし?」
「男の魂が輪廻に戻ってしまったからな。お前の魂と椿の精の魂を入れ替えて、いずれはここに住んでもらおうかと」
そのとき母の、『叶うと困る願い』という言葉が思い出された。
さやかは叶うと困る願いをしてしまったのだ。
「わたし、何をするの?」
「当面は普通に暮らしていればいい。いずれ大人になったら山に住んでもらうことになる」
「大人になったら?」
「まだずっと先の話だな」
「椿の精は?」
「お前の妹になる。相手の男が生まれてきたらすぐに母親の胎の中に入るだろう」
「そっか……」
「人でなくなるのは嫌か」
穏やかに訊かれて、さやかは青年を見上げた。
整った美しい顔立ちの中、その瞳がいつもよりも優しく微笑んでいる気がして、さやかはなんだか嬉しくなった。
「ううん」
だから、笑って首を振る。
「ううん、嫌じゃない。寂しくないよ。一緒にいてくれるんでしょう?」
「そうだな。ずっと一緒だな」
「じゃあいい。交換する」
「そうか」
青年はさやかの隣で雪兎の最後の仕上げをして、優しく笑みを浮かべた。
雪兎の目はつやつやと赤く、耳は緑で可愛らしい。
出来上がった雪兎を2つ並べて、さやかはほんの少し頬を染めた。
数年後。
さやかは泣きそうな妹の頭を優しく撫でて、懐から木札を取り出した。
まだ小さな妹が泣き出さないのは、その手をしっかりと握る本家の長男が隣にいるからだ。
両親や親族、青柳に関わる大勢が川のたもとに集まり、中には着物の袖で涙を拭っているものもいる。
木札を川面にかざすと、辺りの空気がゆらりと揺らいで一艘の小舟が現れた。
さやかは白無垢の裾を上げて舟へと乗り込む。
青柳の一族は昔からこの街で土地神にまつわる仕事、不思議ごとに関わる仕事をしていた。
時には外へ出て仕事を請け負うこともあり、さやかの父は昔そういう仕事を担当していたようだ。
だから、さやかが土地神の元へ嫁入りすると伝えたとき、手放しで喜んではくれなかったが強く反対もしなかった。
舟に座って前を向く。
今日は朝からひどく冷える。
もう春だというのに、川沿いの桜が舞う中、天から真白い雪が降り始めた。
船頭がいつものようにゆっくりと竿を動かし、舟は岸を離れていく。
妹が舟に並んで岸を走り出した。
雪は勢いを増し、この季節には珍しいぼた雪になって川へと、街へと降り注ぐ。
その中を上流からぽつり、ぽつりと流れてくる椿の花。
赤、白、ピンク、乙女色。斑入りに葉つきに椿舟。
船頭が祝歌を歌い出した。
さやかは今日、初恋の土地神の元へ嫁ぐ。
その街には、冬でも凍らないあたたかな川が流れているという。
雪が降るとその川を椿の花が海へと流れて行く。
その花を川からすくって手に取れば、なぜかほんのりと温かいのだと、街の人々は噂するのだった。
〜 了 〜
この物語を書くにあたり、強く影響を受けた作家様が『小説家になろう』の山本大介様です。
この方がいらっしゃらなかったら、わたしはこの話を書いていなかったと思います。
山本様、本当にありがとうございます。
山本様はとある場所で川下りの舟の船頭をしていらっしゃるそう。
作中に言葉だけ出た「祝歌」、これもわたしは山本様の作品で知りました。
シリアスで、コミカルで、どこかどっしりした落ち着きと優しさのある山本様の作品を、いくつか紹介させていただきたいと思います。
まずは、異世界アンド船頭さんという異色の作品『こちら舟屋暁屋~今日も川下り日和~』。
最終章の壱に花嫁舟が出てくるのですが、そこで船頭さんが祝歌を歌うのです。もう感動でした。
このお話長編なのですが、実は企画参加の短編があります。『アカネとケンジ~柳川舟語~』。
舟を動かす。
それがとても美しく、幼馴染同士の気心の知れたやり取りとともに描かれます。
続いては川下りエッセイの中から『おひなさま水上パレード』。
船頭さんの苦労や楽しさ、裏話が詰まったエッセイをたくさん書いていらっしゃるのですが、読んでいても楽しいのです。
もしよろしければぜひご一読ください。
長々としたあとがきになってしまいましたが、ここまでお読みくださりありがとうございました。
そして山本大介様に、もう一度、心からの感謝をお伝えしたいと思います。
ありがとうございました!