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山のお社

 川が流れてくる山は、さほど高い山ではない。


 土地神を祀る社は街の真ん中、商店街のそばに大きな神社があるが、それは分社であり、もともとは山の高い場所に本殿がある。

 そのため、本殿まで車で行けるように道は整備されていた。


 さやかはとりあえずそこまで行ってみようと山道を行く。


 大人がいれば、子ども1人でうろつくなとか、昼間でも山道を行ってはいけないとか、そもそも準備が全く足りないとあれこれ言われるところだが、こっそり出てきたさやかにはそんな事はなく、不思議と誰に見咎められる事もなく家並みがなくなる辺りはとうに後ろへ過ぎてしまっていた。



 そうして山道をてくてく登って中腹にあるお社までやってきたところ、見知らぬ美しい青年に声をかけられたのだ。



「お前は青柳の一族の子どもだろう。願い事なら明日、下の社でしなさい」



 言われて、さやかは返事もせずにぼんやりと青年を見上げていた。

 テレビで見るような芸能人でさえ比較にならないほど美しい。

 かっこいいのではなく美しいのだ。


 さやかは初めて、美しいという言葉がぴったりだと思う人物を見た。


 どこか神秘的で、完璧なまでに整った顔立ち。

 言葉もなく見入っていると、青年は近づいてきてさやかを見下ろした。



「どうした。喋れないわけではなかろう」



 こんなに寒いのに薄着で寒くないのだろうか。

 さやかは的外れな事を思いながら、なんとか言葉を返した。



「ここでお祈りはしちゃいけないんですか?」


「祈るなら下で十分だ。ここが駄目というわけではないが、青柳の家の子どもは、最初の願い事には慎重にならねばならん。なんとなくでやって来て、なんとなくで祈っていいものではない。聞いておらんのか?」



 さやかが首を振ると、青年は考え事をするようにあごを撫でた。



「まあそういう事もあるだろう。だが今日はもう帰るがいい。もうすぐ雪が降る」


「雪!」


「どうした」


「椿の花を見に来たの。雪が降ると流れてくるなら、きっと雪が降る前に咲いているだろうと思って」


「なるほど。ではついて来い」



 青年が社の横を通って歩き出し、さやかはその後をついて行く。

 青年は肩越しに軽く振り返って呆れたように言った。



「ついて来いとは言ったが、少しは人を疑うようにしたほうがいいぞ」


「うん」



 さやかがうなずくと、青年は満足したように微笑んだ。

 


 社のそばの細い道を辿ると、しだいに水の音が聞こえてきた。

 水の音というより、滝の音だ。

 水が流れるのではなく、落ちる音がする。


 川へと道がぶつかると、その先にはやはり滝があった。


 大きくはなく、小さくもなく。

 その滝のそばには椿の木が立っていた。

 緑の葉を覆い隠さんばかりに至るところに花を咲かせ、まさに今が盛りの満開である。



「うわあ!」



 嬉しくなって、さやかが椿の下まで駆け出すと、青年はゆっくりと後からついて来た。


 椿の木はたった一本で、冬の景色の中でそこだけが鮮やかに色づいている。

 花の色は種類が多く、赤、白、ピンク、斑入りと様々だ。

 一本の木にここまで多くの花が、それも様々な色の花が咲くことがあるのかとさやかは驚きを隠せない。



「雪が降ると、その椿の花は川面に落ちて海へと流れて行く。だからこの木は雪待椿と呼ばれているんだ」


「雪待椿」



 さやかが繰り返すと、青年は椿の木からひと枝折りとってさやかの髪に挿す。



「お前の見事な黒髪には赤い椿が似合うな」



 さやかは恥ずかしくなって俯き、話題を逸らそうと青年に質問してみた。



「どうして雪を待っているの?」


「……昔、この椿の精には人間の恋人がいた。だが相手の男は戦争に行き、海で死んでしまった。椿の精は悲しみのあまり、それ以来ずっと眠り続けている。男の魂が海の精に囚われて、生まれ変われなくなってしまったからだ」


「そんなの、かわいそう。海の精はどうして魂を離さないの?」


「海の底は冷たいからだ。人の魂は温かい。海の精は人の魂を抱きしめて、凍えないようにしているんだ」



 それを聞いて、さやかは海の精もかわいそうだと思った。



「椿の精は、恋人を返して欲しくて花を流すの?」


「ああ。この川は冬でも凍らないほど温かい。椿の花にその温もりを閉じ込めて、男の魂を返してくれと頼んでいるんだ」


「でも戻ってこないの?」


「もうずっと」



 青年は表情を変えないままうなずいた。

 そして川へと近づいて行くとさやかのほうを振り向いた。



「さあ、もういいだろう。家へ帰りなさい。舟を呼んでやろう」



 そして懐から手のひらに納まる大きさの木の板を取り出すと川の上にかざす。

 すると、滝の中からゆっくりと一艘の舟が現れた。

 長い竿を手にした船頭が1人、舟の上に立っているが、編笠を深く被っているせいか顔がよく見えない。



「この舟が川下まで連れて行ってくれる。乗りなさい」



 言われるまま、さやかは舟に乗って腰を下ろした。

 船頭は流れに竿を挿して岸を離れた。


 途端、さやかは青年の名前を聞いていなかった事を思い出し、声を上げようとしたがそこにはもう誰もいなかった。




 舟はゆっくりと流れに乗って進んでいく。


 川面から時々、川霧のように上がる白い湯気を見ていると、ちらほらと雪が舞い出した。

 音もなく降る雪はあっという間に岸を白く染め、静かに水面へと吸い込まれて行く。


 ひとつ、ふたつと上流から椿の花が流れて来た。


 すると少しだけ空気が温まったような気がして、さやかは一輪、花をすくってみる。

 それはやはりほのかに温かかった。

 

 ふと気になって耳元に挿した椿に触れると、それもほんのり温かい。


 寒さから守ってくれているのだと、さやかは舟の上で座ったまま振り向いた。


 ぼた雪が降り注ぐ白の中に、滝も椿ももう見えなかった。







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