第三話 どこにでもいるアルバイトである。
とあるところに決して逆らえない暴力で抑え込まれている子供がいました。
どこにでもありそうな新聞会社。その部署で一組の男女が、こんど新聞に掲載する記事について話し合っていた。
「没だね。なんというか臨場感がない。というか、インパクトがない」
そう言って、私が造った記事に駄目だしする先輩上司にそうですか。と、肩を落としながら私は自分のデスクへと戻る。
新聞記者になってまだ一年も経たない新米記者だが、今のところ私が書いた記事は取り上げられたことはない。同期の人間もちらほら新聞や雑誌に上がることは滅多にない。
というかが。先ほど駄目だしした先輩がその記事を盗用して自分の手柄にしている気配すらあるから、やる気も入社当時に比べれば大分落ち込んでいる。
入社時ではアイドルのように扱われ、浮かれていたが、駄目出しだけをされる日々に気力が失せていく。駄目だ。まだ諦めるな。容姿は他の人より整っているつもりだ。それを活かして、すごい記事を作るんだ。
そう意気込んだ私は取材に行ってきますと言って、部署を飛び出した。その後を一人の中年男性がいやらしい表情を作っている事にこの時はまだ気づけずにいた。
取材する内容は未だに決まっていない。が、小さくも無ければ大きくもないこの会社だが取材する内容は様々ある。
芸能界。公務員の汚職、ふしだらな行動。最近流行りの食べ物。小さな事件から小さな功績を色々と模索しながらも様々な場所を行き来したが、ぱっと見で驚いたり、目につく光景なんて…。あった。
とある博物館で変わった話がないかと女性従業員の方に取材していると奥の方に見える 廊下で清掃業者のグループを見かけた。その中の一人が、何というか濃い。すごく濃い存在感があった。
まるでウサギ小屋にいるウサギの着ぐるみを着たライオンのような明らかに堅気じゃなさそうな男性がいる。目の下には鋭い切り傷。眼力は常人の三倍以上。眉毛も太く、喉や足回りも鍛え上げられた筋肉で太い。鬼と人を足して2:1の配合率の存在と言われても納得するような彼を見つけた。清掃業者の格好だが、物騒な意味での清掃だと勘ぐってしまう男性がいた。
声をかけるのは当然躊躇ってしまう。しかし、彼ほどインパクトのある人物を取材すればきっといい記事が。それこそインパクトのある記事が書けるだろう。
そう思って彼にも取材をしようと駆け寄ろうとしたが、先ほどまで取材をしていた博物館の女性従業員が止めた。
「あの子に取材するのはやめときなさい。あの子は田中太郎。ああ見えても高校三年生のアルバイト。
目の下にある傷はとある抗争に巻き込まれて返り討ちにした時に出来た傷だそうよ。
得意な事は単純作業。苦手なものは集団行動。
とあるヤクザの子供とか、傭兵の子供だとか、外国のスラム育ちだとか言われるだけの喧嘩をしょっちゅうしていて怪我が絶えない日は無いの。
お仕事はまじめにこなすけど口数は少なく、やむなく集団行動するときは終始不機嫌らしくて、場の雰囲気が一気に悪くなる。それだけじゃなくて、前のアルバイトで上司や先輩が気に入らないからと言って動けなくなるまでぶちのめした経歴を持つ不気味な子よ」
それだけの悪行がありながらどうして清掃業のアルバイトが出来るのかと疑問に思っていたが、聞けばぶちのめされた先輩や上司は何かしらの不祥事をやらかしており、情状酌量という事もあってか、田中少年にはまだ前科が付いていないとのこと。
私みたいな美人な女性も気に食わなければぶちのめされる。と、忠告されて怖気づいていた。私がまごついている間に清掃業務を終えたのか田中君は業者の車に狭そうに乗り込んで博物館を出て行ってしまった。
取材を終え、会社に戻りながらじっくり考えたが、やはり多少の危険は承知の上で彼に取材をしようと決めた。幸いなことに彼の務めている清掃会社はうちの会社の清掃にも携わっている。運が良ければ彼に会えるだろう。会えなかったとしても後日その会社に向かえばいい事だ。
会社に戻ると田中君の務めている清掃業者の面々が見えたが、彼の姿は見られなかった。おそらく彼の業務は終えて帰ってしまったのだろう。少し残念だが、また後日伺えばいい。
「お疲れ様。今日も頑張るじゃないか。」
そう思って、今回の取材の記事を書きまとめていると四十過ぎの汚い雪だるま。じゃなかった。自分の部長が、私に紙コップに入ったコーヒーを差し出しながら話しかけてくる。
女性社員の中で彼はセクハラ親父と言われるほどであり、その視線もいやらしく今も私の胸や尻に向けられていた。
本来なら相手にもしない相手だが、一応上司という事もあり無下には出来ない。かといって、関わりあいたくもないものだ。
差し出されたコーヒーを受け取りながら私は愛想笑いをする。このコーヒーにもどんな細工をされているのかわからないからすぐには口にしない。
私を労うような口調で話しかけてきたが、五分もしないうちに自分の苦労話じみた自慢話をしてきた。これならもう少し外回りで情報収集すればよかった。
「あ~、ちょっといいかな。資料室で20××年の夏に起きた事件の資料を持ってきてくれないか。他の資料とごっちゃだから探すのが大変だろうけど。時間がいくらかかっていいから。よろしく頼むよ」
営業スマイルで部長の話を聴いていた私だが、そこに私の記事を没にした先輩から声がかかった。
私の記事を没にする、何かと嫌なイメージしかない先輩だが、ナイスタイミングだ。
私はその場を後にして、資料室へと向かうことにした。
資料室はアナログ時代からの資料もあり、かなりの書類やファイルが図書館のように本棚に並んでいた。いつもはかび臭く埃っぽい書庫だが、清掃業者の人が掃除してくれた後なのか清潔感で満たされていた。
資料室に入った瞬間の清潔感で気分が楽になったと思ったが、なんだか体が少し重くなったように感じた。まるで、水中にいるような。少しだるい感じの雰囲気が資料室にあった。
私が来る前から資料室の伝統はついていたので、そこまで気にするようなことではないと考えなおし、先輩の探してく領に言われた資料を探してみるが、なかなか見つからない。
年代も時期もばらばらに並べられていない。むしろ整然としたように並べられている本棚なのにその資料だけが見つからなかった。それを不思議に思いながら本棚の反対側へ行こうとしたその時、ガチャリとドアの鍵を閉められるような音を聞いた。その方向へ振り向くとそこには何かのファイルを持ったセクハラ部長が立っていた。
「お探しの物はこれだね」
断言しながら私にいやらしく笑いかける部長を見て嫌な予感がした。
資料室は完全ではないが、それなりに防音設備が整っている。そんな所に閉じ込めながら二人きりとは。
「ええ。それですね。部長も意地悪するなんてひどいじゃないですか」
営業スマイルを作りながら部長から一歩遠ざかる。が、彼が近づいてくる。と、同時に周りの空気が一段と重くなった気がした。生理的な悪寒が一段と増す。
「意地悪か。私を避けている君だって意地悪じゃないか」
「な、なんのことでしょ」
こちらを非難しながらだがその笑みは深くなるばかり。胸元のネクタイを緩めながら舌なめずりをする部長の目にはドロドロした感情が見えた。
避けられている自覚があるなら態度を改めてほしい。それが全女性職員からの意見である。が、今はそれどころではない。正しく貞操の危機だ。徐々に後退していくがすぐに壁際まで追いつめられた。
そして、部長は追い詰められた私の手を取って、鼻息を荒げながら顔を近づけてきた。
「私を避けていないというのなら、仲良くなろうじゃないかぁ」
「やめてください!人を呼びますよ!」
湿り気と熱のこもった言葉と感情を向けてきた私は思わず押しのけようとしたが、部長はファイルを床に落とし、その手で押しのけようとした手を掴んだ。
「ははは。いやだなぁ。私はただ仲良くなりたいだけなのに。…これでは力ずくでそういう関係になるしかないじゃないかぁ」
「誰かぁあっ!誰か来てぇ!」
私の両手を片手で抑え込んだ部長は私の胸元をもう片方の手で揉みしだいた。
これは明らかにセクハラを超えて暴行だ。記者をしているからこそわかる。ここで他人の目があれば目の前の汚い雪だるまを牢屋にぶち込める。
そう思い叫び声をあげたが、武将の手は止まらない。それどころか更にその手つきは荒くなり、私のスーツを荒々しくはぎ取っていく。
「ははは。むだだよ。無駄無駄。この部屋は最近改築してね。防音性はものすごく高い。その上、資料室の部屋の外には君の先輩が見張っている。もう、君は私と仲良くなるしかないんだよぉ」
今になって気が付いた。このおっさんは自分の話を中断されるとすごく機嫌を損ねるのにそれがなかった。あの資料探しの言葉は私をはめる為の合図だったのだと。
他の誰かに一緒についてきてもらえばこんな事にもならなかったのに。
「嫌「あがああああああああああ!」…、え?」
もう少しで部長の唇が私の肌に接触する寸前で部長の顔が彼の悲鳴と共に離れていく。それは頭二個分ほどの高さまで。
思わず目を閉じて拒んでいた私だが、部長の悲鳴を聞いて目を開く。
その目に飛び込んできた光景は部長の後頭部を右手一つで鷲掴み、そのまま持ち上げ、部長の足が宙ぶらりんになるほど高く持ち上げている巨漢の姿。
私が後で取材をしようとした田中少年の姿があった。
彼は私から部長を引きはがすように腕を振るい私とは反対側に部長を放り投げて、私に問うてきた。放り投げられた痛みで部長はその場で呻きながら言葉を零した。
「ぐぅおおお…。お前は、一体どこの誰だっ」
セクハラを受けていたのかと。それに私は涙を零しながら頷くと。田中少年は正面から部長の顔を鷲掴み。アイアンクローをしながら持ち上げて答えた。
「我が名は太郎。田中太郎。どこにでもいる清掃アルバイトである」
「どこから、入ってきやがった!」
部長は邪魔をされて頭に血が上っているのか田中君を見ても臆することなく声を荒げながら彼を責め立てるが、彼は元からこの部屋で作業をしていたのだと答えた。
彼は私がこの資料室に入って来た時、持ってきた清掃用具をまとめていた所であり、自分が周りの空気を悪くさせる事も自覚していたので、出来る限り気配を消してその場を去るつもりだったのだと。
あの違和感は彼が気配を消した物だったのか。あそこまで気配を消すとか傭兵か?気の利かせ方がちょっとおかしい。
「じゃ、邪魔をするのならお前の会社との契約を打ち切る!それどころかお前の事を記事にして社会的に抹殺してや、ぎああああああああっ!」
田中少年の握力が強くなり、部長を更に締め上げる。その悲鳴は外にいた先輩にも聞こえたのか、先輩もこの資料室に入ってきた。
「ぶ、部長?!これは、一体!君、暴力は止めたまえ!」
「がああああああっ!はやく、早く、こいつを引きはがせぇえええっ!」
部長とグルだった先輩は田中少年に語り掛けるが田中少年は無言。むしろ、これまでの前後の会話を聞いていたから、先輩も私への暴行の共犯だと判断した田中少年は無言で先輩の顔もアイアンクロー。そして無言で締め上げた。それは離れている私からも聞こえるほど、彼等の頭蓋骨をミシミシと締め上げ散った。
「「ぎぃやぁあああああああああ!…あ」」
そして、最後にパキッ。と出てはいけない音が鳴った気がした時、二人はあまりの痛みで気絶した。田中少年はそれを見た後、携帯電話で警察に連絡を入れた。
警察が来るまでの間。先輩が入って来た時に開けっ放しだった扉から二人の悲鳴を聞いた他の男性社員が資料室にやって来て、目の前の惨状を見てさらに悲鳴が上がった。
田中少年の前に男性二人が涎をたらしながら横たわり、後ろでは衣服が乱れた女性の私がいたため、田中少年が部長と先輩を叩きのめし、私に乱暴を働いていると勘違いした男性社員は大声で他の社員を呼んだ。
そこまでして、ようやく私は自分の現状を飲み込み、着崩れた衣服を直して彼等に田中松園は無罪で、犯罪者は部長と先輩だと説明した。ちょうどその時警察もなだれ込んできて、似たような勘違いでひと騒動が起こったものの何とか説明できた。
警察に連れていかれた部長と先輩。事情徴収として私と田中少年も連れていかれたが、無事無罪を勝ち取れた田中少年と共にパトカーに乗せられて自宅へ帰ってきた私はベッドに入るなり、涙が出てきた。
女性警察官に色々と話を聴いてもらった時は涙が出なかったのに。本当に無事に済んだのだと実感した時、改めて恐怖から脱した涙があふれた。
あの時、田中少年がいなければどうなっていたか少し考えればわかる。
部長と先輩は青のような手段で女性を襲い、その現場の写真を撮り、以後も脅迫や暴行を繰り返してきたと警察の報告を受けた時は体が震えた。
その毒牙で傷つけられずに済んで本当によかった。と、涙があふれるのだ。
と、同時に田中少年の事も警察から聞かされた。
市立の高校に通う前から喧嘩や暴力に明け暮れて、高校に通ってからも喧嘩三昧。その相手は優に百は超える。今もその後遺症が残っている相手がいるという話は聞いたが、同時に彼は売られた喧嘩を買ったに過ぎない。いわば正当防衛を繰り返してきただけに過ぎない。まあ、中には過剰防衛も含まれるが、今のところ、彼が有罪になった事例は無い。
高校三年生になり、とある専門学校に通うための資金を集める為にアルバイトをしていると話を聴いたが、黒い噂はまだある。だが、彼は極めて中立な立場にいるそうだ。
敬遠する者には彼も近づかない。悪意を持って接する相手には悪意で返す。まるで鏡のように対応する彼の人柄を知りたくなった私は警察から聞いた情報を頭の中でまとめながらとあることを決意した。
桜の花が開きかける三月。
とある高校の卒業式。そこに田中太郎はいた。
この学校に通っている間、様々な喧嘩や暴力をしてきた彼。無事とは言えないが、何とかその日、卒業を迎えることが出来た。
自分と共に卒業する学友やそれを惜しむ後輩たちに見送られ、最後になる高校の門をくぐった瞬間、門の外で待機していた女性が彼に話しかけてきた。
のちにその報道界の重役にまで出世するその女性は田中少年に精一杯の笑顔でマイクを向けてきた。
「どこにでもいる報道記者の有里瑠衣です!今のお気持ちを聞かせてもらえますか!」
子どもは自身を鍛えて強くなりました。
そして、誠意には誠意で。暴力には暴力で答える強かな人間になりました。