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カラオケ屋さんのレッドちゃん  作者: 深田おざさ
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日葵と海斗と阿部敏弘(2)

 エレベーターの中では特に何も話さず、日葵はスマホの電源をつけて何をするでもなく指を動かし、海斗は鍵を手で遊んでいた。ちゃりちゃりという音が狭い空間に消えていく。

 エレベーターが開いて、二人とも外に出た。むわっとした蒸し暑い空気が出迎える。

「それじゃあ、また会えたらよろしくです」海斗はそういうと、駐輪場へと向かおうとした。


 その時だった。

「日葵…」ふと、聞きなじみのある声が日葵の後ろから聞こえて、日葵も海斗も立ち止まった。日葵が振り返る。きっちりと整えられた黒髪に、いかにも高級そうなネックレスとバック。

「阿部君…」日葵は一歩後ろに下がった。嘘だ。バイト先にまで来るなんて…。

「そいつだれだ?新しい彼氏か?」敏弘はゆっくりと日葵に近づいた。

「い、いや、違くて…」日葵は震えながら海斗を見た。海斗はそれに気付き、一歩前に出る。

「まぁまぁ、お兄さん、ちょっと落ち着いて」海斗は敏弘と日葵の間に立った。

「兄さんが想像してるような仲じゃないですよ」

「顔も知らねぇ奴の言うことなんか信じられるか!」敏弘は急に大声を上げると、海斗を突き飛ばした。海斗は2,3歩後ろに下がると、そこにあった自転車と共に倒れた。

「俺を捨ててそいつに乗り換えんのか」敏弘が日葵に迫る。

「そういうのじゃないって…!」日葵は強く言い放った。

「もしそうだとしても、もう私たち、別れてるから…!」怒りと恐怖で声は震えている。

「勝手に決めんなよ…!俺は同意してねぇぞ!」

 その瞬間、日葵の右頬に鈍い痛みが走った。視界がぐらつき、左側へよろけ、その場に座り込んでしまった。何をされたのか、最初は分からなかった。殴られたのだ。右頬を手で押さえる。

「俺の事、まだ好きでいてくれてるよな?」こちらも声が震えている。

 日葵は口の中ににじむ血の味と、迫ってくる敏弘に恐怖を感じ、声が出ない。

「何か言えや!」上から降り注ぐ敏弘の怒号に、日葵は体をびくつかせた。

 その瞬間、肩をたたく手の感触。ちゃりん。と、鍵の鳴る音。

「さすがにやりすぎ。いくら彼女だって言い張っても、手上げたらそこまでだろ」

 海斗は再び敏弘と日葵の間に立った。

「うるせっ」

 日葵は下を向いていたので何が起こったのか分からなかったが、海斗が「もう大丈夫」と言って顔を上げた時には、敏弘は地面にはいつくばっていた。

「とりあえずぶん投げた。あと、警察も呼んだから…」

 緊張、恐怖、怒り…いろいろな張りつめていた感情が一気に緩んだのか、海斗の顔を見て安心したのか、日葵の目には涙があふれた。喉がつっかえて上手に呼吸できない。海斗の服に必死で掴まる。海斗は優しく抱擁し、日葵の背中を撫でた。

「大丈夫、大丈夫。怖かったな」

 海斗のその声は、日葵が受け取ったどの言葉よりも心に染みるものだった。


 その後警察が来ると、敏弘は警官たちと共にパトカーで消え、日葵と海斗は事情聴取を受けた。

「斎藤さん」日葵は事情聴取を終え、駅に向かおうとしたとき、海斗が走ってきた。どうやら先に事情聴取を終わらせて、日葵を待っていたようだ。

「怪我、大丈夫?」

「あ、もう大丈夫です」そう言いながら、日葵は海斗に泣きついたことを思い出した。

「あ、あの、いろいろ迷惑かけて、本当にごめんなさい。お見苦しいところを…」

「いいって。平気平気」海斗はへらっと笑った。

「つらい時とか、苦しい時、しんどい時は、人に頼っていいんすよ」海斗はすぐ近くにあったベンチに座り、日葵に隣に座るように促した。日葵はそれに従う。

「いやー、事情聴取ってあんなに時間かかるんすね。途中で眠くなっちゃいましたよ」

「そうですね」

「でも、久しぶりに知り合いの警官に会えたからまぁ良かったっす」

「お知り合い、いるんですか?」

「学生時代にお世話になっちゃった人が」そう言いながら海斗はまたへらっと笑う。

「お前大人しくなったなーって煽られたんで、あんたは頭寂しくなったなーって言ってやりましたよ」

 満足げに鼻を鳴らす海斗に、日葵は思わず笑った。何を隠そう、はげネタに弱い。すると海斗はうなずいた。

「やっと笑った」

「へ?」

「こういう事があった時は、誰かと話したり遊んだりして、笑って、楽しんで、忘れちゃうのが一番っすよ」

 日葵はうなずくことしかできなかった。まるでおばあちゃんの話のように、なぜか海斗の言葉はぐっとくる。この人はきっと、たくさんの事を経験していて、それをちゃんと乗り越えられた人なんだろうな。と日葵は感じた。

 日葵と海斗はその後も話し続けた。日葵の大学、海斗の仕事、趣味、過去の失敗。気付けば先ほどの事を忘れてしまうぐらいに話していた。

「え、てことは俺たちって同い年?」

「ほんとだ。偶然ですね」

「じゃあお互い、敬語なしってことで」

「そうですね。…あ」日葵が無意識で敬語を使う。

「まぁ慣れながら、ね」海斗は笑う。

「あ、西山君って、」

 日葵はずっと聞きたかったことを思い出した。ここまで話してきて、もし自分の戯言だったとしても、彼はバカにしてこない、と確信していた。聞くなら、打ち解けてきた今しかない。

「私のバイト先のカラオケ屋さんの11号室の話知ってる?」

「あぁ、レッドの事?」

 すんなり。ていうか知ってた。しかも名前まであるのか。

「え?あの、えっと…」頭が追い付かない。いろいろ聞きたかったが、まず何から聞くべきなのか。ショート寸前の日葵を見て、海斗は笑う。

「俺も最初は絶対嘘だろって思ってたんだけど…」


 その日の夜、日葵はなかなか寝付けずにいた。レッド。11号室の幽霊。わたしには見えなかったけど、見える人もいるのか。私もそっち側が良かったな。日葵は大きく息を吐いて天井を見上げた。来週末、海斗が一緒に11号室に入ってみようと提案してくれた。日葵としては、一目見たい気持ちもある反面、オカルトというのは靄にかかったままの方が魅力的に感じるのではないか、とも感じていた。しかし海斗がわざわざ誘ってくれたことを無下にはしたくなかったので、行くつもりだ。もしこれで見れたらどうしよう。いろいろ聞きたいことがあるんだよね。

 そして日葵は海斗との約束の日、11号室で驚きと感激の混じり合った声を上げることとなった。

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