再び海斗とレッドちゃん(2)
海斗は物心がついたころから、母親に愛されていると感じていた。父親と母親がとても仲が良いと感じていた。生まれつき体が弱かった母親は、海斗を生んでからさらに衰弱したらしいが、それでも自分が母親に愛され、父親が母親を愛している限り、彼女の命は絶えないのだと、そう海斗は信じていた。
彼女の容態が悪化したのは、海斗が生まれて11年目の冬。それから3年の入院生活を送った後、静かに旅立ってしまった。母親がなくなってしまった寂しさに打ちひしがれていた海斗は、この気持ちを感じているのは自分だけじゃない。父親はもっと悲しんでいるのだ。海斗は、自分が父親を支えてあげようと、そう決心した。
母親が亡くなってから2年が経ったある日、海斗に紹介されたのは、父親の再婚相手だった。母親よりも一回り年下の女。しかもその人には、バツがついていないにもかかわらず、6歳と4歳の子どもがいた。海斗はそれが何を意味しているのか、察せないほど馬鹿ではなかった。母親を裏切った。父親が母親を愛していなかったから死んだのだ。母親が死んだのは父親のせいだ。14年の家族の思い出が、突如として崩れ落ちた。残ったのは怒りと憎しみ。家に帰ると吐き気のするような、「幸せな家庭」がそこにあった。海斗はそれに我慢できなかった。
海斗は逃げるように家庭を離れ、暴力に明け暮れた。いろいろな不良に目をつけられたが、冬彦と組んでからは、それこそ本当に向かうところ敵なしで楽しかった。家庭の事をすっかり忘れることができた。しかし成人が近づくと、今までの「やんちゃ」は「犯罪」へと変わっていってしまう現実にぶつかる。大人へのステップアップは、海斗にとっては苦痛でしかなかった。
「今でも仕事が終わってから、家に帰らないでいろんなところをぶらぶらしてるよ」
レッドは黙って聞いていた。時折相づちを挟んだが、それは海斗の話を促し、前に進めてくれた。海斗が全て話し終えると、レッドは一息ついた。信じられないという風に首を横に振る。
「カイト、あんたは何にも悪くないわ」
海斗は思い出す。冬彦にもそう言われたのだ。
「父親も、再婚相手の女も、恨んで当然」レッドは海斗の隣に腰掛ける。
「でも、」
海斗は、その次に発せられる言葉を予測できた。どうせ、自分の存在を恨んではダメ、とか、人殺しはダメ、とかだろ。こういう時、他人は自分勝手にものを言う。しかもその言葉には何の責任もない。ただの自己満足でしかないその言葉は、逆に海斗の怒りに触れるものでしかない。そう感じていた。大人には自分の気持ちも、立場も、何もかも分かるもんか。分かってくれたのは冬彦だけだった。
「子ども二人は守りなさい」
レッドの言った言葉は、予想していたものとは全く違っていた。
「は?」思わず声が出る。意味が分からなかった。自分と母さんを裏切った、おやじとおばさんの、その象徴でしかないそいつらを?守る?
「何言ってんのか、俺にはよくわかんねぇんだけど」
「不倫は確かに許せないわ。でも、それは生まれてきた子どもたちには関係のないこと。子どもは親を選べないのよ」
「それはこっちの立場になってから言ってみろよ」海斗は怒りを抑えながら喋る。声が上ずった。舞夏のダチだからって、心を開きすぎた。所詮、こいつも他のヤツとおんなじかよ。
「あんたからしたら、その子たちは『不倫でできた子』でしょう。それは世間一般でもそういう見方になってしまうのよ」
海斗は黙った。その通りなんだからそれでいいだろ。
「その子たちは、ほとんどが両親よりも先に死ねない。そして両親を失ったとたん、味方は誰一人いなくなってしまう。そしたら誰がその子たちの支えになるの?」
それは俺だ。確かにレッドの言う通りかもしれない。だが…
「じゃあ俺は、不倫の後始末をしなきゃいけないんだな?」
「そういうことになるわね。それでそうなった時、もしまだ恨みが払拭されないんだったら、その子たちを殺せばいいじゃない」
「…は?」
「殺すのよ。あ、でも捕まりたくないなら、あたしが何とかしてみるわ。幽霊なんだから、呪い殺すとかできそうよね」
海斗はこの幽霊が本当に何を考えているのか分からなかった。
「さっき守れって言ってたくせに、矛盾してねぇか?」
「世間の厳しい目から守ってあげようとした結果だって、後付けでも理由として成立するでしょ?」
「訳分かんねぇ」ため息を吐く海斗を見て、レッドは笑った。
「彼女たちを守ることは、あんたにしかできないのよ。このだだっ広い世界で、たった二人しかいない兄妹なんだから。その子たちにとって、あんたはきっととても大きな存在なのよ」
「くさいセリフだな」海斗は力が抜けて、思わず笑った。
「そうね」レッドもつられて笑う。
「もともと不倫なんて世間の常識通じないんだから、その対処も常識はずれでいいと思うのよ。生かすも殺すもあんた次第。どんな方法でもいいから、世間から守ってやりなさい。これがあたしの意見」
海斗はカラオケ台のモニターをぼーっと見つめた。今までそいつらを「妹」として見てこなかった。そうした瞬間、自分の家族と認めてしまうからだ。自分の家族は母親だけでいい、そう思ってきた。だけど不倫した本人たちが死んだあと、そいつらはどうなる?俺は「可哀そうな子ども」として世間から同情され、建前だらけの汚くて優しい手が差し伸べられるかもしれない。逆にあいつらは「不倫してできた子ども」として世間から冷たい目を浴びせられ、建前だらけの汚くて批判的な態度を取られるかもしれない。俺もあいつらも、望んでそうなった訳でもないのに。
海斗は再びため息をついた。この考えに至ったのは初めてだった。いつもそんな考えをする前に、冬彦が手を差し伸べてくれたからだ。しかし自分が嫌いな「大人」となった今、もうそれはできない。いつまでも逃げられるものではないと、初めて確信した。本当に、大人へのステップアップは苦痛でしかない。
「兄貴ってだけでどんだけいろんなもん背負わなきゃなんねぇんだかな」
「年上の性ね」レッドはふふっと微笑んだ。
その日海斗が歌った曲の採点には、ほとんど同じようなコメントがされた。
『気持ちがこもっているのが伝わってきます』




