018.工場を閉める
他の工場はどうだろうか。ムートンブーツは上代も安いものだから、国内OEM――「Original Equipment Manufacturing(Manufacturer)」を略した言葉で、他社ブランドの製品を製造すること(あるいはその企業)を指す――をするとコスト面が厳しい。どちらにせよ持ち込みOEMは受けて貰えるかどうか・・・・。総合的に考えてムートンブーツで新商品を開発するのは難しいと思った。
「ムートン以外の新商品を考えて、それに充てるしかないだろう。上手くこの材料を使えるように、考え出さなきゃな。あまり無理せず、スニーカーに絞って考えたらいいんじゃないのか」
「スニーカーは毎年色々出しているし、もっと斬新なアイディアが欲しいの」
「材料が一万足分もあるんだから、そうも言ってられんだろう」
「あぁーっ。キッツーいぃー」
思わず机に伏せた。一万足分のスニーカーの材料・・・・しかも特注分・・・・。どうやって使えというのだ!
ただでさえ難しい新商品の開発が、更にとんでもなく難しいものになってしまった。
遅くまで父と話し合ったが、全くいいアイディアは浮かばなかった。
その日は夢を見た。展示会当日になっても新商品が出来上がっていないという最悪の夢だった。目覚まし前に飛び起きて実家の自分の部屋だと気が付き、夢で良かったと胸を撫でおろした程だ。
本当に最悪。こんな夢を見るなんて。
一万足の受注キャンセルが、相当な痛手となって私にのしかかっている。これを片付けない限り、枕を高くして眠る事は不可能だろう。
しかし、嫌な事は続くものだ。
世の中が不景気だから、靴業界は特にいい話が無い――
※
「高丸さんの工場を閉める!?」
翌日の事。格安の下代(メーカーの設定した仕入れ価格)なのに恐ろしくお洒落なパンプスを作り続けて早ン十年にもなる浅草で老舗メーカー、高丸商店の代表取締役――社長の高丸宗之介さんが福士社長へ挨拶に来られた。
てきぱきとお茶を出し、それでは失礼します、とショールームの奥の商談スペースを出ようとしたら、福士社長が大きな声を上げたので驚いた。思わず息を呑み、立ちすくんでいると、紗那ちゃんもそのまま聞いてくれていいから、と高丸さんが笑った。
「高丸社長、それは本当の話ですか?」
福士社長が焦りと驚きの色を浮かべ、自身の目の前に座っておられる高丸さんに詰め寄った。彼は恰幅の良い大きな身体で、何時も優しい笑顔を湛えておられる。実は私のお父さんの飲み仲間。
高丸商店はスギウラよりも早く開業され、浅草の靴業界を牽引してきた老舗メーカーのひとつだ。彼は三代目社長。
その高丸商店が、なくなってしまうなんて。本当に残念だ。いい靴を作るメーカーだから、余計に。
「まあ、年内いっぱいで考えております。福士さんには本当にお世話になったので、在庫限りで良かったら、安くしておきますので定番のパンプス、またご注文頂けると嬉しいです」
「あー・・・・いや、えー・・・・まいったな。高丸さんのエレガントパンプスは、お客様には大変好評なのですよ。どうにか、継続することはできないのでしょうか?」
「工場をね、維持していく力が無くなってしまって。面目ない」
背中を丸め、苦渋の笑みを浮かべながら話す高丸さんの姿は、かつての父にリンクした。
高丸さんは何時も堂々としていて、私を小さい頃から可愛がってくださった。高丸商店のパンプスのヒールゴムは全てスギウラが作っているから、父と高丸さんは本当に仲がいい。飲み仲間というか、親友でもあり、戦友でもある。お父さんは知っているのだろうか。高丸さんが工場をたたんでしまう事。
「もう生産はやっておりませんが、年内は修理やら在庫の出荷やらで事務所は開けております。短い間になりますが、最後まで宜しくお願い致します」
高丸さんが福士社長に向かって頭を下げた。
「・・・・どのくらい、定番のパンプスは在庫があるのですか?」
「何時もお買い上げ頂いている鉄板のものなら、在庫が五千足弱ほど」
「解りました。それは全部フクシで買いましょう。現金が良いですよね? 掛け(当月締めの翌月払い)が苦しいなら、すぐ振込みさせます。いかがですか?」
「それは大変助かります。では、早速請求書を作ってお送りしますので、宜しくお願い致します。即金だと大変有難いです」
工場経営は、相当苦しいようだ。だから工場を閉める覚悟を決めたのだろう。かつての父が、金策に走り回っていたあの時のように。
今の高丸さんの姿を見ると、他人事とは思えない。でも、私には高丸さんの工場を救えるだけのお金なんか持っていない。雀の涙ほどの貯金があるだけ。赤字経営の工場には、焼け石に水。何の足しにもならない程の金額だ。
「倉庫代もかかるでしょう。すぐにこちらの倉庫に送って下さい。請求書が届き次第、振込みしておきます」
「ありがとうございます。社長には何から何まで世話になりました」
「苦しい時はお互い様です。フクシが大変な時、融通を利いて助けて下さったのは、高丸社長でしょう。しかし・・・・大変残念です」
「ここ数年で、海外製の安い製品が沢山入ってきたでしょう。まあ、うちの商品も半分メイドインチャイナですけどね。それでも国内縫製に拘って、スギウラのいいゴムと合わせて鉄板のパンプスは作っていたんですけど・・・・どうにも、ね。勤務する連中も年寄りばかりになりましたし、不況の波にも勝てません。いい機会だと思って、これ以上苦しくならないうちにと、決断しました。今ならまだ、工場や会社に在庫を処分すれば、赤字も最小限で抑えられそうですから」
「そうですか。解りました。何かこちらで力になれる事があれば、手伝いますので遠慮なくお伝えください」
「ありがとうございます。それでは、失礼します」
高丸さんは何度も頭を下げ、恰幅の良い身体を揺らしながら退席した。私と社長は彼をフクシの玄関先まで見送った。
そういえば高丸さん、少し痩せた。恰幅のいい身体はまだ健在だけれど、以前はもっとどっしりしていたのに。
今・・・・金策が辛く大変なのだろう。
高丸さんの車が社を出るまで見送った。ああ・・・・本当に残念だ。今履いている私のパンプスは高丸さんが作ったパンプスで、ハイヒールなのに歩きやすくて、尚かつ履きやすいのだ。愛用しているファンは私以外にも多い筈。なくなる前に、ストック買っておこう。もうこのパンプスが手に入らないなんて、靴好きの私にとっては辛い。
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