門出
「いやぁ~見事だったよ十神くん!」
「日本建築学会学生コンペ最優秀賞とはね」
「今回の作品は『螺旋の海』だったか。計算されつくした内部構造には驚愕したよ」
「外観の美しさと複雑な内部構造の二重奏。自由な若者の発想で将来が楽しみだ」
酒を片手に高揚したお偉いさんたちが、唾を飛ばし代わるがわる声をかけてくる。鬱陶しいなと思いつつも、建築業界では地位のある人ばかりだ。無下にはできない。
「ありがとうございます」引きつった作り笑いを浮かべ礼を言う。
俺がいるのはコンペティションの授賞式後に開かれた立食パーティーの会場。会場最前列の檀上にはコンペに出品した俺の作品『螺旋の海』が鎮座している。
正直に言えば出席したくなんてなかった。しかし、建築業界という狭い世界で、今後食べて行こうとするならば欠席することは許されない。
まぁ、仕方なく愛想笑いを振りまくしかない俺が一番さもしいのだけれど。
俺を囲むように集まっていたお偉方がひとしきり褒め終えると、こちらが本題とばかりにアイツの話をし始める。
「お父上もたいそう鼻が高いだろう」
「そりゃあそうでしょう。自分と同じ賞を息子が受賞したんだ」
「天才建築家、十神誠司の息子らしい活躍だよ」
「天才二世の名は伊達ではありませんな」
並べ立てられるアイツへのおべっか。世界的な建築家、十神誠司は俺こと十神龍司の父親だ。アイツへの世間様からの評価は、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を20代で受賞した稀代の天才。
確かに息子の俺からみても実績と実力共に凄いと思うし、俺が建築家を志すきっかけになる程度には憧れで自慢の父親だった。
あの日までは。
誰もかれもがアイツの話題で俺を語る。天才の息子だから天才なのだと、父親が偉大な建築家だから息子も建築の才があるのだと。
俺自身を見てくれる、評価してくれる奴なんて会った事もないし、きっといやしない。
はぁ、我ながら女々しいな。
馬鹿な考えを飲み込むようにグラスを傾ける。まだ18歳なのでアイスティーだが、酒が飲めればこのムカムカから逃れられるのかね。
ひとしきり挨拶を済ませ、せっかくの授賞式だしとオードブルを摘まんでいると。
「貴方が十神龍司?」
涼やかな声で名を呼ばれ振り返ると、漆黒のドレスを纏った銀髪の美人が立っていた。
彼女が纏うドレスはブラックフォーマルで露出が極端に少ない。見える部分と言えば初雪のように白い肌に、意思の強さを示す鋭い金色の瞳が輝く小さな顔くらい。透き通るような銀色の髪は豊かな胸まで伸び、装飾の足りないドレスの一部のように煌いている。
銀髪に金色の瞳などと奇抜な出で立ちながら、それらを違和感なく纏めてしまうほどの美貌の持ち主に見惚れてしまっていたようで。
心配げに胸元に手を当て美人が言葉を零す。
「どうしよう……言葉が通じていないのかしら?」
日本語に自信が無いのか、遠回しに馬鹿にしているのか判別がつかないが、慌てて答える。
「申し訳ない。私が十神龍司で間違いありません」外向けのかしこまった話し方で問う。「えっと、貴女は?」
「ローレリア・ミム・アドガルアよ。こちらの世界で言葉が通じて安心したわ」
アドガルア? 聞いたことの無いファミリーネームだが国籍はどこだろう。でも、やはり日本語の扱いには難があるな。
人間離れした雰囲気の女性だが、『こちらの世界で』などと、それではまるで別の世界から来たようじゃないか。
別の世界とは18歳にもなって馬鹿なことをと気を取り直し話を進める。
「ローレリアさん、ですね」
「えっ!」名前を復唱すると顔を赤らめ動揺する。
「どうかしましたか?」
紳士的に対応したつもりだが「い、いいえ? どうもしないわ。むしろどうかしているのは貴方ではなくて!?」と顔を真っ赤に染め言い放つとそっぽを向いてしまう。
あまりに急な態度の変化に『何言ってんだあんた』と言いたいところだがグッと堪える。もしかしたらお偉いさんの娘の可能性があるから仕方がない。
真っ赤な顔を隠すように顔をそむけているのに、チラチラとこちらを伺ってくるので、何か話したいことがあるのだろう。
そっちから話しかけて来たのだから責任を持って話を進めて欲しいが、美人の照れ顔を前に怒る気も起きない。美人て便利だな。
出来るだけ自然に笑みを浮かべ「それでローレリアさん、ご用向きは?」仕方ないのでこちらから話しかける。
「ご、ご用向き? そうね、そう! ご用向きよね!」もしこれが男なら不審者だなぁと思わせるキョドリっぷりで続ける。「あと、かしこまらなくていいわ。フランクにいきましょ」
「そうですか? まぁ、それなら俺も楽だけど」
こほん、と咳払いし気を取り直したローレリアがピンク色の薄い唇を開く。
「あの作品」授賞式会場の檀上に置かれた最優秀賞作品を指差す。「作ったのは貴方で間違いない?」
「俺で間違いないよ」
「お願いがあるのだけど、アレに込めた想いの色について聞かせて」
「想いの色?」質問の意味を捉えかねオウム返ししてしまう。
作品に対する質問は今日だけでも多く受けたが『想い色』などと問われたのは初めてで戸惑う。大抵は『作品のテーマは?』や『題名の意味は?』と聞いてくるし、俺が聞く立場でもその辺を聞くだろう。
もしや冷やかしや同業者の嫌がらせなのかと訝しみ、ローレリアを観察する。こちらを見つめて来るローレリアの目は怖いほど真っすぐなのにどこか悲し気で。質問はヘンテコだが真剣に聞いているのが伝わってくる。
インタビューには慣れてるから曖昧に答えるのは簡単だけど。ローレリアが怖いくらいの気迫を持って答えを待っているのに失礼だよな。
きちんと答えるためにも、彼女の真意を探らねば。
「悪いけど先に質問させてくれ」
「どうぞ」質問に質問をなどと言わず余裕そうに譲る。
「質問の意味が分からない。何を聞きたいのかもう少し具体的に頼む」
俺の求めにローレリアは首を傾げ思案顔。「暗い深淵の微弱な魔力に魅かれてと言っても分からないわよね」などと中二病のような独り言を口にする。
意外と思慮深いらしく、あーでもないこーでもないと考え込んでいる。
こちらとしてはアイスティー片手に、美人を俯瞰できるので役得だが。彼女のドレスは露出は少ないがボディラインが強調されるタイプで、ついつい無防備な胸元に目線がいきそうになるのをグッと堪える。
考えがまとまったようで吸い込まれそうな金色の瞳でじっとこちらを見つめ口を開く。
「あの作品から暗い情念を感じたから、かしらね」
「暗い情念?」意味不明な単語なのに何故か不意にアイツの顔が脳裏に浮かぶ。
「そう、貴方ってお父上への恨みを建造物に込めて設計してるのね」
「なっ!?」
誰にも気づかれたことの無い思いを言い当てられつい声が出てしまう。
しかし、ローレリアは更にこちらの想いを言い当てていく。
「あの作品は美しいわ、綺麗に着飾って『宝物はここよ』と人々を誘い謳うの。でも、その正体は醜い化物。甘い蜜を求め訪れる愚か侵入者は宝を前に気づくのよ、ここが怪物のはらわたの中で2度と外へ出られない自らの墓標になるのだと」
「ははは」引きつる笑みを浮かべ取り繕う。「詩人だな職業はポエマーか?」
ローレリアは俺の軽口など気にした風でもなくこちらの目を覗き込み。「ああ、そういう色。貴方って建造物が憎ければ、建造物を褒めそやす輩も嫌いなのね」と言ってのけた。
こいつは一体何者なんだ?
驚きで言葉に詰まる。
アイツに、親父に対するコンプレックスを他人に言ったもなければ悟らせたことだってないのに。それを、俺にとっての一番のコンプレックスを初対面で言い当ててきやがる。
週刊誌か新聞記者でアイツについて情報を集めているのか?
余裕がなかったのだろう「お前、何が目的なんだ?」強い言葉が自然と口から漏れる。
「わたしはね、探しているのよ。人の庭に勝手に上がり込んできて、我が物顔で暴れる馬鹿者に絶望を与えてくれる。そんな建築が出来る存在をね」予想していたのと遠く離れた答えが返ってくる。
「何を言っているのか知らないが、侵入者対策なら警備員でも常駐させればいいだろ」
「警備員を殺した上で暴れる輩だとして、十神龍司ならどうする?」挑発的に聞いて来る。
警備員を殺してまで上がり込んで来るって、この美人はブラジルの危険地帯にでも居を構えているのだろうか。
どうも話が噛み合っていないが、俺を試すような質問に建築家志望として答えるならこうかな。
「迷宮を作って一番奥に引きこもれば解決だな」
「ふふふ、いい答えね」初めて笑みを浮かべる。「まさにそれを求めているの」
「迷宮を?」
「迷宮を」
ローレリアが目を細め螺旋の海を改めて指差す。
「もう1度聞くわ。あれに込めた想いの色について十神龍司の口から聞かせて」真っすぐ俺を見つめる瞳を前に誤魔化そうという気は起きなかった。
「想いの色ってのは分からないけど……あんたが言った通りだよ。色々あって建造物も建築家ってやつも、それらを褒める奴らもひっくるめて大嫌いなんだ。ただ、ちょっとした約束があるのと、俺に建築以外の能が無くてな」
何を熱く語ってんだか、自分でも馬鹿らしい。けれど、初対面のはずなのに不思議とローレリアの前では、自分を飾らず偽らずにいられた。
黙って続きを待つローレリアをしり目に、アイスティーで喉を潤し話を続ける。
「どうせ建築家目指すなら、嫌々やるよりガッツリ恨み辛み込めてやろうってね。あの作品には今の俺の抱える苛立ち全部込めたんだよ。捻くれた考えから生まれたのに褒められるんだから笑えるだろ?」
最後は気恥ずかしくなり茶化してしまう。
しかし、ローレリアは意外にも真面目な顔で受け答える。
「想いは力よ、善悪は小さな存在の価値観でしかない。わたしはあの作品に呼ばれてここへ来たの。貴方に、十神龍司に会いね」
「作品に呼ばれて俺に会いに? 親父への布石として会いにの間違いだろ」
「貴方の父親に興味なんて……なるほど、鬱屈の根源の色がやっと見えたわ。父親への鬱屈と自分を評価しない環境への怒り、何よりもそれらに抗えない自分自身への不甲斐なさが本流なのね」
「お前、心でも読めるのか?」まるでこちらの思考を読むかのような言葉に動揺する。
「すでに言ったはずよ、想いの色が見えると。心が読めるならもっと楽だわ。いいえ、そんなことよりも」理由は分からないが晴れやかな顔になる。「ねぇ、それならわたしからの提案は貴方にとってとても魅力的なものになると思うの」
ずいっとこちらに近づいてくる。
って、近い近い! さっきまでお前に抱いていた疑問とか戸惑いが吹き飛ぶくらい、いい香りがするがら離れてくれ!
美人に耐性の無い自分が情けないが、無意識に少し距離を取る。
「どうして距離を取るの?」きょとんと首を傾げる。
「聞くなよ! てか、色を見られるなら分かれ!」言うとこちらを見つめて来る。
「色欲の色ね。あぁ、分かったわ、貴方って女性と性k「いい! 言うな!」」
己の経験の無さを追求されそうになりついつい声を荒げてしまう。周囲の人から変な目で見られてやしないかと見渡すと、不思議と周りに人はいなかった。
俺の様子に気づいたのだろうローレリアが補足する。
「境界を操作して人払いは済ませてるわ。気にしないで」
「お前の発言ってファンタジーな」
「こちらの世界のルールがお堅いのよ……って、本格的に厳しくなってきたわね」
苦虫を噛み潰したように眉を寄せる。
何が厳しいのか、もしや俺との会話が? と疑心暗鬼になってくるも驚愕の出来事が起こる。
「ローレリア! お前、髪が透けてないか?」元から透き通るように綺麗だった彼女の髪が現実問題として透けだしていた。
「時間ね」苛立たし気に髪を梳く。「端的に言うわ。人生を変えたくない?」
「は? 人生を?」
姿と共に存在感も希薄になるローレリアが手を差し伸べてくる。
「こちらの世界で安寧と暮らしたいならやめなさい」
「おい! 髪だけじゃなくて体まで」
「でも、もし窮屈な現実から解き放たれ自由に生きたいと望むならこの手を取って契約を」
「この手を取れって……」
薄れゆく中でも輝きを失わない彼女の瞳が俺を捉える。根拠も何も無いがローレリアの手を取れば俺の人生は大きく変わり、悩んでいる時間は残り少ないと分かる。
だから、1つだけ聞くことにした。
「教えてくれ、ローレリア。お前にとって俺は必要か?」
「必要よ。わたしの持てる全てを賭けても惜しくないくらいにね」
恐ろしいほどの即答。自分の人生の岐路を他人に委ねる女々しい俺とは決定的に違う。きっと彼女は俺とは比べ物にならない人生経験を積んでいるのだろう。
情けないけど、でも、それでも俺は、俺を必要と言ってくれるローレリアに、心から魅かれていた。
迷いなくローレリアの手を取る。彼女にとって握手がどれほどの意味を持つかも知らないで。
「契約ってやつはこれだけでいいのか?」
「ええ」恥ずかしそうに下唇を噛み上目遣いで頬を染める。「契約は成されたわ」
「こんなので……あ、れ?」強烈な眩暈に襲われ立っていることもままならない。
平衡感覚を失い崩れ落ちる俺をアドガルアが抱き留めてくれる。
しかし、彼女の大きく柔らかいものに包まれる幸せを堪能する余裕も無く、俺の意識はここで途切れる。
だから微笑むローレリアが最後に告げた言葉を聞き取ることが出来なかった。
「よろしくね、わたしのお婿さま」
◆迷宮と迷路◆
迷宮という言葉を龍司くんが使う場面がありますが、本来の迷宮という言葉から考えると誤用も甚だしい限りです。
迷宮を名乗るには、いくつかの条件が揃わねばなりません。
・通路は一本道で分岐路は禁止
・行きと帰りで必ず同じ道を通る
etc
と、迷宮と言われる建築物は条件が厳しいのです。
では、何故厳しいのか?
これは研究者様によって異なりますが、通説では儀式のためと言われています。
迷宮とは生者が1度死に、生還するための儀式の場として用意されました。分かりやすい例として、エジプトのピラミッドが同じ死生観から作られています。
古代において死とは定義されないものでした。そこで、1度死して再度生還する者は特別な身分、つまりファラオなどの支配者層として祀られるわけです。
だからこそ、迷宮という儀式の場を作り、王族が一定の年齢を迎えそこを踏破することで、特別な力を得ると考えられていました。
クレタ島の有名な迷宮はそうした名残であり、支配した古代ローマ帝国によって汚された歴史そのものだと言えます。
しかし、古代の迷宮を信奉する文明が消され、王政ではない政権が台頭しだすと迷宮とは御伽噺の遺物と成り果てます。迷宮がただの複雑な建物として、娯楽の一部たる迷路と混同され現在に至ります。
十神龍司は迷宮の歴史について建築家見習いとして知らないはずは無いのですが、物語の可読性を考えると迷路をダンジョンと訳すのは難しいと考え、迷宮をダンジョンとしております。
何が言いたいかと言えば、ここまでお読みいただけたなら、あなたは私と同じ趣味の人ですよというなすりつけ。
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