第09話 追放した編集、追放された作家を訪ねる
「だからって……だからって! 本当に通報することないでしょう!?」
「いや……ほんと、すいませんでした……」
さすがの俺も、これには頭を下げるしかなかった……だって、まさか本物だなんて、一ミリも思わなかったんだ……。
事情を話して警官から解放された追田は、いまは俺の部屋に上がり込んで、段ボール製簡易テーブルの輪に加わりながら、俺に対して抗議しているところだった。
ちなみに、姫乃は眠っているような細い目になりながら、二杯目のミルクティーをゆっくりとすすっている。
「マ、マジでびびりましたよ!」
と追田。
「パトカーから降りてきたガタいの良い制服警官二人組が、メチャクチャ怖い目つきで、腰の拳銃ホルスターを手で押さえながらこっちに向かってくる光景! その恐怖たるや!」
「いや、ほんとに失礼しました……」
などと表面的には頭を下げつつ、俺の心の中には「ざまぁ」と思う気持ちもあったりした……が、これは言わない方がいいだろう……でも心の中では言っちゃお。ざまぁ。
「……で、今日は何をしに?」
「ああ、はい、それなんですが……まずはこれを」
と言って、追田はスーパーのレジ袋を差し出してくる。
「これは?」
「先生が好きだとおっしゃっていた、駅前スーパーの百円スイーツです。手土産として持参しました」
「……」
「色々種類があって、どれがいいかわからなかったので、全部買ってきました」
いや、確かに好きだとは言ったけど……「手土産として持参する」ものじゃないだろ……。
せいぜい「差し入れ」のレベルだが、あんなことがあった後でわざわざ訪ねてくるという時に、持参する物としては……。
これはバカにされているのかと思って、俺は追田の様子をうかがったが……ヤツは「どうだ」と言わんばかりに胸を張っている。
なんというか……ボールを取ってきた犬みたいに、誇らしげな表情だ。「褒めて褒めて!」みたいな……。
本当に、なんなんだコイツは……
などと俺が思っていると、姫乃が、
「あ、ちょっと見てもいいですかー?」
と声を上げながら、子供みたいにスーパー袋に手を突っ込んで、漁り始めた。
「最近のスーパーの百円スイーツって、良くできてますよねー。ほんと『コスパ最高』って感じでー」
「……」
まあいいか。姫乃が喜んでるし。ここは流しておいてやろう。
もしかして、俺が険悪な雰囲気になっているのを察して、姫乃は仲裁してくれたのだろうか。
だとしたら、姫乃……お前、デキる女だな……。
などと俺が思っていると、似たようなことを思ったのか、追田が姫乃に向かって言っていた。
「いやー、先生にこんな若くて綺麗な彼女さんがいるなんて、知りませんでしたよ~」
「まあ、追田さんってお上手ですね!」
「いやいや、本当のことですよ~」
「……」
まあ「彼女じゃないけど一緒に住むことになった」と説明するのは、色々と面倒なので捨て置く(どうせ追田やブラック文庫とはもう大して関わらないだろうし)としても……
若い?
姫乃が若い……ね。
何を今さらという話だが、姫乃は、容姿、ファッション、振る舞い、言葉遣い……どれを取っても二十代前半にしか見えない。
理由は簡単……姫乃が、そう見えるように努力しているからだ。
しかし、姫乃は大学での俺の同級生であり……したがって……したがって三十歳なのである……三十歳なのである!!!!
ぶっちゃけ俺は、再会した瞬間から「三十にもなって『ダイちゃん』呼びはどうなんだろう?」と思っていたし、姫乃のすごい若作りに対して、これまで言いたいことがないわけではなかった。
ただ……
それを言ったら……俺は……殺される気がしたんだ……
そう囁くんだよ……俺のラノベ主人公が……
それに、まあ……姫乃はキレイになろうと、努力しているわけであって。
努力してる人を笑ったりするのは、人として良くないことだからな……まあな……。
余計な話をしてしまった。本筋に戻ろう。
俺は追田に向かって言った。
「で? 用件はなんですか?」
すると、追田は左手で後頭部をかきながら言った。
「いやー、僕、あの時ちょっと、先生に可哀想なことしたかなー、って思ってー」
「……可哀想?」
「ええ。三十歳で正社員歴もない岡崎先生を、世間の荒波に放り出すなんて、さすがにちょっとひどすぎたかなー、なんて」
「……」
「まー、どうせまた本を出しても、赤字になっちゃいますけどねー……でも、下読みの仕事だったら、させてあげてもいいかなーって、思ったんですよ」
「……」
「まあね。下読みの仕事とかで、うちとのコネクションを維持しておいてくれればね。たまたま急に枠が空いた時とかに、岡崎先生の作品を出版とか。そういうこともね、絶対にあり得ないとは、言えなくもないですから。わずかとはいえ、可能性が、ないこともないですから」
「……」
「どうですか? 良い話でしょ?」
「……せっかくですが」
と言って、俺はそこにいる姫乃と組んで、漫画家デビューを目指していることを説明した。
「漫画家……デビュー……」
それを聞くと、追田は急に青ざめた表情になった。
んん? 俺なんていなくても困らないような口ぶりだったが……違うのか?
……いや、まさかな。俺みたいな売れない作家なんて、代わりはいくらでもいる。出版社の元には、ほっといても次から次へと、新しい若者がやってくるのだから。
「じゃ、じゃあ……」
と追田。
「ライトノベルは……もう書かないんですか!?」
「いや、書かないんですかって……俺が書くラノベなんて必要ないって言ったのは、あなたでしょう」
「だ、だからって、これまで八年……授賞前も含めたら、十年近くもやってきた世界ですよね!?」
追田は、何か妙に必死に食い下がってくる。
「そ、そんな世界を、簡単に捨てちゃえるもんなんですか!? 少しは愛着とか、こだわりとかないんですか!?」
「……俺にそういうのがあったとしても、世界の方では、俺に未練がないみたいですし。片想いなんて、やってる歳でもないし」
「だ、だからって!」
と、追田は姫乃を指差しながら言った(俺はその動作を極めて不愉快に思った)。
「こ、この人にちょっと誘われたからって……そんな簡単に、コロッと転向しちゃうなんて……見損ないましたよ岡崎先生! あなたはもっと、信念のある人だと思ってました!」
「……」
転向……信念……ね。
そういうアツい言葉を使った方が、俺みたいな熱血タイプには効くだろうと、コイツなりに悪知恵を働かせた結果だろうか?
追田が一体どういうつもりで、そこまでして俺を引き留めるのかは謎だったが……そんな風に言われて何も言い返さないのも癪なので、俺はここは一つ、じっくり言い聞かせてやることにした。
「……追田さん」
「は、はい?」
「俺は……そこにいる姫乃にちょっと誘われたからって、コロッと、軽い気持ちで転向したわけじゃありません……もちろん、姫乃は大きなきっかけを作ってくれましたが……実は、前々から考えていたことがあって。俺は姫乃が作ってくれた機会を利用して、その考えを実行に移そうと思った……そういうわけなんです」
「そ、その、考えというのは……?」
「……ラノベと違って、漫画の世界なら、俺の作風でも受け入れられるかもしれない、という考えです」
「そ、そんなバカな……」
俺の話を聞いて、追田は声を震わせながら言った。
「ラノベも漫画も、同じエンタメ業界だ……一方で受け入れられなかったものが、表現の形態を変えるだけで受け入れられるなんて、そんなことあるはずがない……駄作はどこへ行っても、駄作のはずだ……」
「まあそりゃあ、駄作は駄作でしょうけど……」
と言って肩をすくめつつ、俺は言った。
「でも、ラノベと漫画には、大きな違いがあります……表現の形態以上に、もっと大きな違いが」
「……?」
「ダイちゃん?」
黙り込んでしまった追田の代わりに、姫乃が身を乗り出して聞いてきた。
「なんなの、その違いって?」
俺は言った。
「それはな……漫画には、多様性を受け入れられるだけの、大きな市場規模がある、ってことだよ」