第04話 私には書けないセリフ
俺は「なろう系ラノベ」を思い切りバカにしてきた姫乃に対して、こう言ってやった。
「確かに、姫乃が言ったような、いま流行のラノベ……いわゆる『なろう系』のラノベは、俺たちが十代だった頃のラノベとは、大きく違う」
「でもな……ここからは、俺の個人的な意見になるが……俺は、その違いには、ちゃんとした理由があると思ってる」
「なに……その理由って?」
俺は言った。
「社会人はな……疲れてんだよ」
すると、姫乃はキョトンとなった。
「……え? たったそれだけ?」
「『それだけ?』じゃねえよ……姫乃。お前、大学出てからこれまで、どうやって生きてきた?」
「どうって……ダイちゃんも知ってるでしょ? 何年かは、親戚のおじさんがやってる会社でお手伝いをして、同人で稼げるようになってからは、それに専念してるよ」
俺はうなずきながら言った。
「ま、言っちゃ悪いが、お前は苦労を知らず、ぬるま湯に浸かって生きてきたわけだ」
「そ、そんなことないよ! 同人で稼ぐのって、すっごい大変なんだよ!」
「でもたとえば、休みたい時には休めるだろ? 自分が決めたタイミングで、自由に」
「そ、それは、締め切り前じゃなければ、確かにそうだけど……」
言いよどむ姫乃に対して、俺は力説した。
「普通の社会人はな、作家と違ってそうはいかないんだよ……わかるか? 普通の社会人っていうのは、イコール読者のことだ。俺たちの作品にお金を払って、読んでくれる人たちのことなんだ。俺たちは、その人たちが普段どんな生活をしているのかを、常に考え続けなきゃいけない。忘れちゃいけないんだ」
「……」
姫乃が、ちょっと目を見開く。良い反応だ。俺は続ける。
「俺は、初めて肉体労働のバイトをしてた時に、イヤって言うほどそれを思い知った。『社会人って、こんなに疲れるのか』ってな……そして、家に帰ってラノベを読もうとした時……愕然とした」
「ど、どうして?」
「読めなかったからだ。疲れていて」
「な……」
絶句する姫乃に向かって、俺はさらに続けた。
「内容が、頭に入ってこなかったんだ……昔ながらのラノベは、文章が凝りすぎていたり、展開が重かったりして……疲れている時の俺は、読んでいて苦痛を感じた」
「う、嘘でしょ……?」
「お前にはわからないかもしれないが、事実だ。そして、ちゃんと調べたわけじゃないが、きっと、俺みたいな人はたくさんいるんだと思う」
「そんな、疲れ切っている時に……俺の心に染み渡ってきたのが、なろう小説だった」
「読みやすい文章。ストレスの少ない平易な展開。主人公が必ず報われて、トントン拍子に出世する、ひたすらにハッピーなストーリー」
「その全てが、仕事で疲れ切った俺の心に、スムーズに、流れるように染み込んできて……『面白い』と思わせてくれた」
「そうして、辛い日々の中に、一時の救いを与えてくれた」
「その時、俺は、なろう小説が昔ながらのラノベに取って代わって、これだけ広く受け入れられた理由が、理解できたんだ」
「極めて個人的な意見だし、異論もたくさんあるだろうが……これが、俺の考える、いまの『なろうブーム』の背景だ」
「で、でも!」
と、姫乃は反論しようとする。
「そんなの、辛い現実から、目をそらしてるだけじゃないの……? 作家ならもっと、読者に対して、辛い現実と戦って、それを変えるような、そのための勇気や知恵を与えるような、そういう作品を書くべきじゃないの? 『なろう小説』は……単なる、現実逃避じゃないの?」
俺は、これには一度うなずいた。
「確かにその通りだ。俺もそう思うから、自分では『なろう系』を書かなかった……まあ、書けなかっただけかもしれないけどな」
「……でもな、姫乃」
「たとえばさ、宗教ってあるだろ?」
「『信じる者は救われる』っていう、あれだって、一種の現実逃避とも言える」
「でも……見方を変えれば、宗教は、どうしようもない日々の辛い現実から『人々の魂を救っている』って、前向きに評価することもできる。っていうか、世界的には、そう考える人の方が多いんだろう」
「ほんとに、バカみたいに大げさな話になっちまうけど……俺は『なろう小説』も、それと似てると思うんだよ」
「『なろう小説』は、日々の辛い生活に耐えている人たちに、癒やしを与えるっていう点では、俺たちが好きだった頃のラノベよりも優れているんだ」
「それを『現実逃避』と捉えるか『魂の救済』と捉えるか……見る人によって、受け止め方は違ってくるだろう」
「どっちの立場を取るかは、人それぞれで良いと思うけど」
「でも」
「反対側の意見を、一方的に切り捨ててもいいような……」
「そんな、簡単な問題じゃねえよ……」
「……と、俺は思う」
「………………………………………………………………………………………………」
俺が語り終わると、姫乃は長い沈黙に落ちてしまった。
俺は、冷めかかっているコーヒーをすすりながら、目を伏せる。
熱く語りすぎて、ドン引きされたかもしれない。
……もしかしたら、このことがきっかけで、十年続いた姫乃との友情が、壊れてしまうかもしれない。
でも……俺は、後悔はしていない。
最近のラノベや漫画の主人公みたいに「うわああああああ! やっちまったああああああ!」なんて言って、わざとらしく赤面して、叫んだりもしない。
……なぜなら、俺は。
自分の心に背くようなことは、一言も言ってないからだ。
……だから、俺は。
赤面してうつむく代わりに、堂々と胸を張って。
五月姫乃と、正面から向き合った。
姫乃はまだ、ポカンと口を開けたまま、俺を見つめて固まっている。
……もしかして、俺があまりに熱くなりすぎたせいで、どうしたらいいか、わからないのだろうか?
そこで、俺は「帰るか」の一言を言いかけた。
……だが。
姫乃の頬を、一筋の滴が駆け下りるのを目にして……俺はその一言を飲み込んだ。
姫乃は、言った。
「私には……書けない……」
「……え?」
「私には……書けないよ……そんなセリフ……」
「逆立ちしても……一生かかっても……私には、絶対に書けないよ! そんなすごいセリフ!」
言うなり、姫乃は「ガタッ」と音を立てて椅子から立ち上がった。
「ダイちゃん……いや、岡崎大悟先生! さっきまでは軽い気持ちで頼んでたけど、いまの話を聞いて、私は考えを改めました!」
「え……なに……どゆこと?」
「大悟先生は……売れなきゃいけない作家です! 報われなきゃいけない作家です! 幸せにならなきゃいけない、そんな素晴らしい作家です!」
「……」
「先生! お願いします!」
そう言って、姫乃は指を揃えて、テーブルに額がつくまで、頭を下げた。
「私とコンビを組んで、漫画家になってください!」
「ラノベの世界で、咲かないまま枯れてしまったあなたの花を、私が漫画で咲かせてみせます!」
「だから、先生の作る話で、私を連れて行ってください!」
「そうしてくれたら、私は私の絵で、必ずあなたを連れて行きます!」
「連れて行くって……」
俺は問うた。
「どこへ……?」
姫乃は言った。
……涙で濡れた真っ赤な顔を、俺に向けて。
「『向こう側』へ!」
「………………」
向こう側に、行きたい。
それは、全ての作家志望者が抱く、見果てぬ思い。
かつての俺が願い、
新人賞を受賞して、初めて本が出た時に「叶った」と思い込んで、
……でも、実は全然叶ってなんかいなかった、見果てぬ夢。
輝く画面の向こう側。
めくるページの向こう側。
……受け取る側ではなく、作る側。
向こう側に……行きたい。
その願いは……今もまだ、俺の胸の奥底に息づいていた。
姫乃の言葉が……そのことを、俺に思い出させてくれた。
気がつけば、俺は、
そっと差し出されてきた、姫乃の手に、
ゆっくりと、手を伸ばしていた。
その、手のひらと、手のひらが重なった瞬間……姫乃は言った。
「ダイちゃん……今度こそ、君を幸せにするよ」
「姫乃……」
俺は言った。
「……それ、立ってないか? 死亡フラグ」
ちなみにこの後、喫茶店の店員さんから怒られました。うるさいって。
なんつーか、現実世界で熱血展開とか、やるもんじゃないと思ったよ、うん。