第四話
電話するのはどうしてこんなにハードルが高いんだろう。
名刺の裏に書かれている番号を入力してから、深呼吸を三つ繰り返して通話ボタンをタップした。
指定された場所は、アットホームな雰囲気の喫茶店で、さっきコーヒーを出してくれた店員の男の人はカウンターに座ってテレビを見ている。
客が僕だけというプレッシャーを感じながら緊張して待っていると、今日はジーンズにシャツというラフな格好をしたアガタさんがやってきた。
「よぉ、思ったよりも早かったな」
黒猫のエンさんの入ったリュックを下ろして、躊躇いなくそれを開く。
飲食店で猫を出してもいいのだろうかとドキドキして店員さんをうかがっている間に、リュックから出てきたエンさんが、するすると椅子の間を通りカウンターの椅子に飛び乗ってしまう。いつの間にかカウンターの中に戻っていた店員さんは慣れたように、エンさんの前にほぐした鶏肉を乗せた小皿を置いた。
もしかして、常連なのか? エンさんは当たり前の顔をして、上品にそれを食べている。
怒られないのならいいやと、顔をアガタさんに戻して頭を下げた。
「呼び出して、すみません」
「連絡しろって言ったのは俺だ、気にするな」
まだあれから三日しか経っていないのに電話してしまった僕に、アガタさんは鷹揚に頷いて、注文しなくても出てきたコーヒーを飲んでいる。
やっぱり、ここの常連なのかな。
「それで、どうした? キセツが動かなくなったか?」
「いえ、あの、この通り、とても元気です」
店員さんを気にしながらポケットから取り出したキセツ人形を手に乗せると、キセツ人形はくるりと回ってビシッとポーズを決めた。
日に日に表現力を増しているんだ、そのうえ、意思疎通すらできるようになった。
だからこうしてアガタさんを呼び出すことになったんだけど。
「それで、キセツが、あなたを止めてくれって言ってて」
「ふうん?」
信じてないよね、僕も自分で見なきゃ信じられなかったから。
だから、スマホのメモ帳を起動してアガタさんに見えるようにして、キセツ人形の前に出した。
すると、キセツ人形は器用にスマホの前に立ち、全身を使ってフリック入力していく。凄く可愛い。
「霊体と電子機器は、相性がいいからか……」
呆れた声だけど、文字を追う視線は真剣だった。
そして、キセツのメッセージを読んで首を横に振る。
「なるほどなぁ。でもな、キセツ。俺はちゃんと契約したんだ、お前のご両親と」
「え?」
キセツに話しかけた言葉に、思わず反応してしまった。
「アガタさんの依頼って、キセツとじゃなかったんですか?」
「そっちは、ちゃんと果たした。キセツをお前に届けた、それで完了している」
そう言ってから、口の端を引き攣らせて、言葉を続けた。
「依頼はひとつじゃない」
なるほど、キセツとは別件で彼の両親から依頼を受けてるのか。
だとしたら、キセツを失ったご両親は、一体どんな依頼をするのだろう。
「キ、キセツのご両親とは、どんな契約をしたんですか」
とても恐ろしいことを聞くことになるかもしれない覚悟をしたけれど、肩を竦めて拒否されてしまった。
「契約は、おいそれと他人に漏らしていいものじゃない。それが社会ってもんだ」
アガタさんの言葉を聞いて、キセツが猛烈な勢いでスマホに文字を入力している。画面を向こうに向けているせいで、なにを入力しているのかわからないが、アガタさんはすこし困ったような顔をしている。
「だけどな、お二方の意志を尊重するのも、大事だろう」
アガタさんの声に反応するように、キセツが入力する。会話になってるんだろうな、僕は手のひらの上にスマホを立てて、動かないことが仕事だ。
一体なにを入力しているのか、凄く気になるけど我慢だ。
キセツとアガタさんの話し合いが決着したのは、スマホの充電残量が十パーセントになったところでだった。僕は無心で、スマホを支える土台と化していたので、話の内容はわからない。
「わかった、わかった。だが、相手の出方次第だぞ? それでいいんだな? それじゃ、手遅れになる前に、手を打つか。いくぞ、ゲン」
「えっ? 僕もですか?」
当たり前のように僕も同行することになっていた。黒猫のエンさんは椅子に丸まって眠っていたので、そのまま寝かせておくとのことだった。
店員さんもそれでいいと言ってくれてた。
店の前の駐車場に停められていた……車が詳しくない僕でも知っているメーカーの外車に乗り込んだ。背の高いアガタさんが乗ると似合うけど、若干小柄な僕が乗ったらシートに埋まってしまう感がある。
アガタさんって金持ちなのかな、いや、きっと金持ちなんだろうな。金持ちオーラはないんだけど、持ち物がいいもんな。
「これから、あの女のところへいく」
赤信号で止まったときに行き先を告げられたが、やっぱりという思いしかない。あの呪いの移ったハンカチが関係してそうだ。
カーナビなしで迷いなくついた場所は、隣町のマンションだった。立派な高層マンションだ、あの子もお金持ちか。
自動ドアを入った先にある受け付けカウンターみたいな場所にいる男性に声をかけ、やりとりをして、奥にあるエレベーターに乗り込んだ。僕もちいさく頭を下げてから、アガタさんのあとに続いて一緒にいく。
なんだか、気後れしちゃうな。
「そういや、お前、律儀に禊ぎしてきたのか?」
「禊ぎ、ですか? ああ! 水浴びですね! 最近、母と弟の影響で、風呂を上がるときに、水を浴びるようにしてるんです。風邪をひきにくくなるらしいですよ」
風呂を上がるときに冷水をかぶると、代謝がよくなりダイエットにも効果があると、母が熱心に布教するもんだから、弟も僕も風呂上がりの冷水が習慣になった。いまでは、冷水を掛けないほうが調子が悪いくらいだ。
「……平和だな、お前んち」
「そうですね、家族仲はいいと思います」
自信を持って言うと、頭をワシワシと撫でられた。ぐしゃぐしゃになった髪の毛を手櫛で直しているうちに、エレベーターが止まった。
なんだか胸がドキドキする。ポケットに入っているキセツ人形が、外を確認するように顔を出した。
「キセツは隠しておけ。元々、キセツを核にしてできたものだ、引き合う」
低い声で注意されて、慌ててキセツ人形をポケットに押し込んだ。
《つづく》