第三話
テーブルに乗っていたのは、髪の毛? で造られた人形だった。
なんだろうな、超、気持ち悪い。嫌悪感がそこはかとなく湧いてくる。
「この作り方、どこで知った」
アガタさんの低い声に、思わず首を竦めてしまう。
「さぁ? 確か、ネットで……」
視線を揺らしてちいさな声で答えた彼女は、明らかに嘘をついているふうだ。
僕でさえわかるんだアガタさんだってきっとわかっているのに、それには触れずにテーブルの真ん中にある気持ち悪いその人形の上に、ポケットから取り出した高級そうな真っ白いハンカチをかけた。
見えなくなってちょっとホッとする。
「これはまだ、完遂していないと、気付いているな?」
低い声と鋭い視線が彼女に向かう。
「ど、どうしてよ? だって、川目くんは死んだんだから――っ」
どうして、キセツの死に関係が?
頭の中がグルグルと疑問が回り、仮定が口をついて出た。
「君は、キセ……カワモク君を……もしかして、殺したの?」
ソファの陰から顔を半分覗かせた僕の問いに、彼女はギョロッと僕を睨み付けた。
思わず出そうになった悲鳴を、グッと飲み込む。
彼女はそんな僕の様子に気づいたのか、睨むのを緩めると、幼げな仕草で細かく首を横に振り、僕を真っ直ぐに見る。
「違うわ、わたしはなにもやってないわ。だって、自殺だったんでしょ? 自分で死んだんじゃない。 わたしは関係ないよ」
悪びれもせず関係ないと言い切る彼女に驚いて、立ち上がる。
「でも、SNSのDMで、君は非道いこと書いてたじゃないか……っ! 関係ないなんて、よく言えるね」
キセツがあんな言葉で死を選ぶとは思わないけれど、彼にあの言葉を吐き出したことをなんとも思っていないのが、無性に憎らしくなった。
「だからなによ! 書いただけだわ! わたしだけじゃないでしょ! あいつは他のクラスメイトからもハブられてたもの!」
「ハブられてたから、なんだよ? だから悪口を書いていい理由にはならないし、貶めていい理由にもならないよね?」
両手を握りしめ、怒鳴りたくなるのを堪えて言った僕に、彼女は眉を逆立て目を剥く。
「そ、そんなこと、きれい事じゃない! みんなもやってるわよ! どっかでストレス発散しないと、おかしくなるのよっ」
顔を真っ赤にして、手をにぎしりめて言う彼女に、怒りが腹の底から湧き上がる。
じゃぁキセツはお前のサンドバッグなのかよ! そう叫ぶ前に、アガタさんが僕の前に手を上げて止めた。
「もう、君はおかしくなってる。自覚してないのか?」
静かなその声に、僕の荒ぶっていた心がスッと落ち着いた。
僕をクールダウンする、アガタさんはメントール系の存在だ。
「そうやって他人を言い訳にして、自分の責任から目を逸らして生きることが『おかしい』と自覚できていない。だから興味本位で呪術に手を出した、本気でカワモクタカユキを呪いたかったのか、別の何があるのかは知らん。だが、君はその責任を取らねばいけない。君は、自分でやったことの責任を取らなければいけない。それは、未成年だろうが、か弱い女性だろうが、頭が弱かろうが、関係ない、贖わなければならない責任だ、義務と言ってもいい」
アガタさんは人形を両手で包み込むようにして、そっとハンカチごと持ち上げた。すると、手のひらの上でむくりと、ハンカチに隠されていた例の人形が起き上がった。
僕と彼女の喉から、ヒッとちいさな悲鳴が出る。
手の上を見ていた彼が、彼女に向く。
「俺は『届ける者』。君が彼から奪ったものを返してもらって、それを然るべき場所へ届けなければならない。そういう、依頼を受けている」
「う、奪ったものって……」
慄く彼女に、アガタさんは両手を……手の上でもぞもぞと動くハンカチを、彼女に差し出すように伸ばした。
「君はこの呪いが、どんなものか知らなかったんだろうな。すこしでも知っていれば、絶対に手を出さない、そんな種類のものだ。本能的な危機感が人並みにあれば、手を出さないし、倫理観があれば手を出さない」
静かに諭すように言ってから、「そのどれもを、君は有していなかった」とアガタさんは続けた。
彼女の視線は彼の差し出した手の上で動くハンカチに釘付けで、彼の声が聞こえていないのかもしれない。
もしかして、あの人形はキセツの髪の毛でできてるんじゃないか?
じゃぁアガタさんはあの髪の毛を取り戻すために、彼女を呼び出したのか。でも、それならなんで僕はここに連れてこられたんだろう。
「こんなになっても、こいつは楽しそうに踊ってる。君を恨んですらいない」
手のひらで動くハンカチを……ハンカチの下にいるであろう、髪の毛でできたあの人形にアガタさんは呆れているみたいな口調だ。
恨んでない、のかな。本当に? だって、まだビリビリ首筋に嫌な感じが止まらないのに。
「本当に……本当に、恨んでないの? ああ……っ、川目くんっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、わたしを許してくれるのね……っ」
アガタさんの言葉に、彼女は両手で顔を覆って背を丸めて嗚咽する。
ごめんなさい、ってなんだよ。やっぱり、お前がやったんだじゃないか!
湧き上がる怒りに飲み込まれそうになったとき、僕の足をエンさんの肉球が踏んだ。
マッサージするように何度も、前足でぎゅっぎゅっぎゅと。
思わず足下に視線をやれば、まん丸の目で僕を見上げて、撫でろと言わんばかりに頭を擦り付けてきた。
いや、あの、ちょっとそんな場合ではないんだけど……。彼女が泣いているから少しくらいなら大丈夫か、すこしだけだぞとしゃがんで手を伸ばし、恐る恐る小さな黒い頭を撫でる。
思いのほか滑らかな手触り、いや極上の手触りだ。
猫、凄いな、猫好きの気持ちが、すこしだけ理解できるかもしれない。
調子に乗って背中の方まですすーっと撫でたら、ぐにゃんと手をすり抜けて逃げてしまった。背中を撫でるのは嫌なのか、そうか。
「ゲン、ちょっと手を出せ」
立ち上がったところでアガタさんに声を掛けられ、ソファ越しに右手を差し出した。
「へ? え、ちょっと、これっ」
反射的に出した手の上に乗せられたハンカチに慄く。あああああ、ちょっとチクチクした人形の手触りがあるよぅ。
片手じゃ落としそうだったので、咄嗟に左手も添える。
「ゲン、あいつの思いだけ、取り出してみろ。ほら、楽しそうだろ? 楽しいって言ってるの、聞こえるか?」
アガタさんに言われると、白いハンカチの下で寝ていた人形が起き上がって動き出すのを感じる。固い毛が手のひらの上で擦れてくすぐったい。
――確かに、凄く楽しそうだ。
僕の両手の上で踊る人形が、あっという間に怖くなくなっていた。だって、これがキセツのものなら、僕が怖がるなんておかしいもんな。
「わかるだろ? あいつは、お前を害することはない」
アガタさんの低い声が断言する。
「そりゃそうですね、僕はキセツの友達ですから」
アガタさんに笑顔で返すと、彼の口元が引き攣った。……なんで、そんな微妙な顔するんですかね。
「ゲンは素直で、本当にいいな。すこし手を下げて」
含みがあるように聞こえるが淡々とした言い方なのでよくわからないが、アガタさんが僕の腕に手を乗せて下げるように指示したので、落とさないように気をつけながらアガタさんの胸の高さまで手を下げた。
ノリノリで踊る人形にかかる白いハンカチの上に、アガタさんが手をかざし、マジックでもするようにハンカチの上で手を回した。
すると、じわじわと中心からハンカチがどす黒く変色していく。
こんな近くでマジックみたいなものを見るなんてはじめてで、思わず凝視してしまう。
四隅を残してほぼ真っ黒になったハンカチを、彼が隅を持ってつまみ上げると、踊っていたキセツの髪の毛人形がパタリと倒れて動かなくなった。
彼は摘まんだハンカチを、彼女がテーブルに置いていた封筒の中に無造作に入れる。
「ゲン、のりを貸してくれ」
動かなくなったキセツ人形を片手に持ったまま、ポケットに入れたままだったテープのりを出すと、封筒のベロを出されたので、そこにのりをビーッと貼った。
「封ずる」
ちいさな声でそう呟きながら、彼はきっちりと封筒を閉じ、そのハンカチ入りの封筒を彼女の前に押し出した。
「カワモクタカユキの髪の毛は確かに返してもらった。これは、君に返そう。なに、根幹となる部分は、こちらにいただいた、これは残り滓のようなものだ。こちらで持っているよりも、君の元にあったほうがいいだろう」
残り滓? あの、気持ち悪く染まったハンカチが?
「あ、こ、これで、あの、あれは、なくなったんですね! ああ、よかった」
しどろもどろに言う彼女の言いたいことはわかる、あの呪いがなくなったのを言葉にして確認したいんだろう。
だけど、僕は納得できない、よかったってなんだよ、よかったって――ってぇぇぇ痛ぇよエンさんっ、爪っ! 爪が刺さってるってばっ。
うう……っ、突然引っ掻くなんて、猫って怖すぎる。それも、ズボンを避けて足を直になんて、酷すぎる。
涙目でエンさんを見下ろせば、そっぽを向いて毛繕いしている。
ね、猫って……思ってた以上に、気まぐれだなぁ。
「じゃあ、わたしはこれで帰りますね。本当にありがとうございました」
僕がエンさんに攻撃を受けているのに気づいているのか無視してるのか、彼女はそそくさと封筒を無造作に掴んでスクールバッグに突っ込むと、立ち上がってニコニコ笑顔で頭を下げてドアに向かった。
ドアを封印してある御札を躊躇いなく剥がして、用をなさなくなった御札を適当にドアにべたっと貼り付けると、振り返ることもなく出ていった。
え、御札ってあんな適当に扱っていいもんなの? シールじゃないんだから。
「ありがとう、ございました、か。くくっ」
ちいさく笑う声に驚いてアガタさんを見たが、また口元を引き攣らせているだけで、笑って……ないよね? え、もしかして、笑ってるのか?
キセツ人形を握ってる手の中がもぞもぞしたと思ったら手の中から顔の部分を出してちょっと、びびった、いやちょっとチビリそうな感じでびびった。
「ア、ア、ア、アガタさんっ、キセツ人形がっ」
両手の上にキセツ人形を乗せて、彼の前に突き出す。
「さっきから動いていただろう。なにを今更」
呆れ混じりの視線が、キセツ人形と僕を交互に見た。
「だってっ! もうあのハンカチに呪いが移ったんだから、これはだって、ただの髪の毛、なんですよね?」
尻すぼみになった僕の言葉に、彼は楽しそうに声だけで笑った。
「よくわかってるじゃないか。そうだ、呪いはお持ち帰りいただいた、ここにあるのは、キセツだけだ」
キセツだけ? キセツの成分だけを残したってことだろうか。
ハンカチがないからか、さっきよりも元気に動いてる。まぁ、あの気持ち悪い呪いがないんなら、かわいいだけだからいいんだけど、動力がないのによく動けるなぁ。
「で、これをキセツに『届ける』んですよね? 燃やせばいいんですか? お焚き上げ的な感じで」
燃やすと言った僕に慄くように、手の上からキセツ人形が逃げ出した。……逃げ出したが、落ちた先であるソファの上でキセツ人形はピクピク動いてから沈黙した。
「あれ? おい、大丈夫かよっ」
ソファの背から身を乗り出して慌てた僕の手に、アガタさんがキセツ人形を摘まんで乗せた。すると、わずかに人形が身じろぎして起き上がると、ヤレヤレというような仕草をして手のひらの上に座った。
「お前が持ってないと、動けないみたいだな」
「え? でも、アガタさんの手の上でも、動いていたじゃないですか」
座ったままコミカルな動きをしてる人形が可愛い。
「俺のは、これ。指でハンカチを揺らしてただけだ」
種明かしするように、手のひらを上に向け器用に指を立てる。
「えぇぇ……」
マジックの種明かしにがっかりする。
「深いことは気にするな」
詐欺じゃないの、という言葉を飲み込む。詐欺ではないか、実際、僕が持ってれば、キセツ人形は動くわけだし。
「よくわかんないけど、わかりました。それで、これ、どうするんですか? キセツに届けるんですよね?」
アガタさんに差し出した両手の上で、キセツ人形が立ち上がってクルクル踊る。こんなにひょうきんなヤツだっけ?
「いや、これの届け先は、お前だ」
僕を指さすアガタさんの真似をして、人形が僕の方をビシッと腕を向けた。
「僕ですか?」
キセツが依頼した届け先が僕っていうのに驚いたけど、誇らしくもある。
それよりも、これって持っててもいいもんなのか? ずっと手で持ってないといけないってもなかなか難しいぞ。
「取りあえず、四十九日くらいまでは動くかも知れんが。動かなくなれば、ちいさな袋に入れて御守りにすればいい。キセツがお前を守るだろう。お前が死ぬときに、一緒に棺桶に入れて焼けばいい」
死ぬまで持ってろってことか。
なかなか荷が重い気もするけど、なんとかなるかな。
「わかりました」
「お前は本当に物わかりがいいよな、ありがてぇわ」
ソファから立ち上がったアガタさんは、先程跳ね上がって斜めになったままの風景画に近づき、その裏側からなにか剥がしてから、額を直した。
「なんですか、それ?」
まだらに黒い紙の短冊がなんだか妙におどろおどろしくて、聞いてしまった。
アガタさんは格好いい銀色のオイルライターの蓋を指先で弾いて開けて火をつけると、手にした黒い紙に近づけた。
油を染み込ませてあったみたいに、一瞬で燃え上がり燃え尽きた黒い紙は、不思議なことに灰のひとつも残さなかった。
彼は手をパンッと景気よく鳴らすと、説明を待つ僕を見た。
「この部屋に憑いてた、よくないものだ。これで、こっちも終了」
よくないもの? もしかして、この部屋って曰くのある部屋ってやつだった、とか?
部屋に備え付けられている電話でどこかに電話しているアガタさんの言葉の端々からも、「終わりました」とか「もう問題ないでしょう」とか「代金は十日以内に、前金でいただいたのと同じ口座に」とか言っているから、そういうことなんだろうなとわかる。
そういや霊能師って言ってたもんな、いつの間にお祓いなんてやってたんだろう。
「さてと、じゃぁ出るか。エンさん、帰りますよ」
「にゃーん」
部屋の隅に置いてあったリュックの口を開けると、エンさんがスルリとその中に入った。一部が透明のプラスチックの窓になっていて、エンさんがそこから顔を覗かせる。
「よっと」
揺らさないように丁寧にそれを背負ったアガタさんは、僕を促して部屋を出ようとしてドアに貼られた御札に気がついた。
御札は部分的に黒ずんでいて、触りたくない感じがする。
アガタさんはそれを無造作に掴み取り、さっきと同じように燃やし、すこし残った燃えカスを払うように手を叩く。
「もう昼か、どっかで飯でも食っていくか?」
ホテルの廊下を歩きながら腕時計を見れば、確かに十一時を過ぎていた。
「あー、いえ、学校いきます。午後の授業、間に合うんで」
「マジか、真面目だな。ああそうだ、キセツは人目に触れさせるなよ、学校いってるときは、袋に入れて鞄の中な。持ったら動いちまうだろうから、極力触らないように」
学校に行くときも持ち歩けってことか。お守りって言ってたもんな。
「わかりました」
頷いた僕に、名刺を渡してきた。
どこそこ商事の取締役専務の誰それと書かれている、え、そんな偉い人だったの? いや、でも名前が違うっぽいぞ。
「名刺は他人のだ。裏に俺のスマホの番号を書いてある。問題が発生したら電話しろ、格安料金で請け負ってやる」
他人の名刺をメモ帳代わりにしたアガタさんはそう言って口元を引き攣らせると、長い足でスタスタと歩いていってしまった。
リュックに入った黒猫のエンさんがバイバイするように、前足で二度、リュックの窓を掻いた。
《つづく》