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第二話

「ぼぼぼぼ僕は、なぜ、こんなことを、しなきゃならないんですかぁっ」


 拝啓母さん、朝ぶりですがお元気でしょうか。

 あなたの息子は高級っぽいホテルの浴室にパンツ一丁で、(ほぼ)見知らぬ男から、冷たい水をぶっかけられています。

 ツライ、サムイ、ツライ、サムイ。



「もう一丁、いくぞー」


 そう言い終える前に、バスタブに溜められた水を桶でバシャーンとかけられる。

 超タイミングが悪い、また鼻に水が入った!


 体をくの字にして咽せる僕に、ホテルのふわふわなバスタオルがかけられる。


「よし、とりあえずはいいだろう。体を拭いて服を着ろ」


 それだけ言うと、先に浴室を出ていってしまった。


 なんて、自分勝手なんだ! 今日は例の相手に会う日だから、事前に放課後待ち合わせていたのに、突然登校時間に待ち伏せしてホテルに拉致った上に、朝っぱらから水をぶっかけてきておいてこの態度!

 怒りをびしょ濡れのパンツを絞ることで発散する。


 腰にバスタオルを巻いて、脱衣所のドライヤーでパンツを乾かしながら、意識が内側に沈み込む。


 まだ――。

 本当はまだ、心が決まってないのに。

 放課後までには、決めようと思っていた心が浮ついたままなのに。


 本当に仇討ちなんてしていいのだろうか。

 僕とキセツのSNSの履歴を見返してたら、あいつが本当に仇討ちを望んでいるのかわからなくなっていた。


 あいつは、だって、すっげぇいい奴だったから。


 あいつを追い詰めたあのDMの相手は憎い。

 無茶苦茶憎いけれど――憎しみを返していいのか?

 それともDM相手の罪を()()()()()なんじゃないか、なんて思うのは、キセツの思いを勝手に計る僕のエゴなんじゃないだろうか。


 答えを出せないままの思いが喉元までせり上がって苦しくて唇を噛んだ。


「おい、焦げ臭いぞ」

「え? あ、うわっ!」


 背中から掛かった声で、すっかり乾いたパンツから慌ててドライヤーを離した。


「たらたらしてないで、急げよ」


「は、い……」


 素っ気ない言葉に背を押され、ドライヤーを戻してほかほかのパンツを穿く。


「にゃーん」


 足下から見上げてきた黒猫と目が合った、その時。真っ黒な目の中に、キラキラと星が流れた気がして、ビックリして思わず目を擦ってもう一度よくよく見たけれど、二度目の星はなかった。


 それにしても、猫がここにいてもいいんだろうか? ホテルに入る時、猫連れでも注意されなかったんだけど……。もしかして、動物可のホテルなんだろうか?


 脱衣所ではなく部屋に服があるので、部屋に戻ったんだけど。

 温度を上げてある室内は快適なはずなのになぜか薄ら寒さを感じて、腕を擦りながら部屋を見回してしまった。


 入る時は慌ただしくてろくに見ていなかったけど、部屋はかなり高級そうな造りだ。

 ベッドが二つおいてあるベッドルームとソファの応接セットが置いてある場所の間に間仕切り代わりの壁があって、そこにはベッドに向けて大画面のテレビがあり、応接セット側には立派な風景画がかかっていた。

 こんな部屋はじめてだ、一泊いくらするんだろう。


「さっさと服着ろよ」


 部屋のグレードに慄いていると声がかかって、脱ぎ捨てられていた制服をまとめてこちらに放り投げられた。

 半分くらい取り落としたものの、受け取った服を着込む。


 問答無用で裸にしたのはそっちなのにという恨み言を喉で飲み込んで、シャツのボタンを上まで留めて、ワンタッチ式のネクタイを引っかけてブレザーを羽織る。


 ついのろのろしてしまうのは、まだキセツの思惑を図りかねているから。

 キセツは仇討ちを望んでいるのか、それともそっとしておいてほしいのか……あいつの性格を考えれば考えるほど……。


「――言いたいことがあるなら、俺の聞く耳があるうちに言え」


 突然言われた言葉に、ソファに座り僕をじっと見つめる無愛想な顔を見つめ返した。


 今日も高級そうな服を着ているが、さっきの水浴びでズボンの裾がびしょびしょに濡れていた。顔だって、目を細めて不自然に口元を引き攣らせている怖い顔なのに、そんなに怖く感じないのはどうしてなんだろうな。


 聞く耳があるという言葉を信じて、口を開いた。


「キセツは、きっと仇討ちなんて望んでないと思います。あいつはそんなヤツじゃない、いつも前向きで――」


「だが、死んだ。死ぬことを予期していた。そして、俺に連絡してきた」


 僕の言葉を遮られ、言われた言葉を反復する。


「……死を、予期……?」


 大きな体を丸めて肘を太ももについて、手を組んでくるくると人差し指を動かしている。


 そうだ、そういえば、どうして今の今まで気にならなかったのだろう、この人はキセツのなんなんだろうって。

 兄弟はいないあいつの、従兄弟かなにかだろうか。あいつのスマホを預かるくらい親しいんだから、親族なんだよな、と思う端から、否定する思いがこみ上げてくる。


「あなたは、一体誰なんですか。キセツの、なんなんですか」


 後退りながら出た僕の低い言葉に、くるくると回っていた指が止まる。


「そうか、気になるか」


 低い声に怖じ気づきそうになるのを、踏ん張る。


「なりますね。拉致られて、水ぶっかけられてますしね」


 逃げ腰のままなんとか虚勢を張って言った僕に、面倒臭そうに頭を掻いて口を開く。


「そうだな、そろそろ言ってもいいか。一番手っ取り早い説明をするなら、俺は霊能師だ」


「れいのうし、って? ええと、霊媒師とか占い師みたいなもんですか」


 胡散臭い、という感情が出た僕の声を鼻で笑う。


「ああ、そうだな――医者とひと口に言っても、内科も外科も眼科もあるだろう、それと同じで、霊能師っていうのは、こういう分野のそういう括りに属しているって感じだ」


 わかるようなわからないような説明に困ると、足下にいる黒猫から微妙な「にゃ~ん」という鳴き声が上がった。


 猫はするすると部屋を蛇行しながら歩いてソファに乗り、彼にゴリゴリと体を擦り付けていた。高そうなジャケットに、猫の毛が付いている。


「ああ? ちゃんと説明しろって? 俺は……エンさんがいいなら、いいけどよ」


 黒猫と会話するようにそう言ってから、頭をかきむしり僕へと視線を移した目が射貫くようで、後退りかけた踵が壁に付いた。


「屋号は猫屋ねこやで名はアガタ。俺の仕事は『届ける者』と呼ばれている。こっちの黒猫は、エンさん、相談役だ」


 届ける者? 運送屋さんではないよな、なにを届けるんだろう。それに、猫が相談役ってどういう……。


「お前の名前は?」


 ずっと名乗らずにいた名前を口にするのを躊躇うと、眇めた目で同じ事をもう一度問われた。

 その迫力に、屈する。


「……っ、ゲン――いえ、山田みなもと、です、さんずいに野原の原で、源です」


 馴染みのいいあだ名を言ってしまってから、言い直す。アカウント名もゲンにしていて、キセツからもずっとゲンと呼ばれていて、その音を気に入っていたからついそちらが先に出てしまった。


「わかった、ゲンと呼ぼう。俺のことはアガタと呼べ。さて、もうそろそろ来る時間だ」

「えっ!?」


 予定では午後からだったけど、時間が変更になったの!?

 だから朝一で連れてこられたのか?


 狼狽えたもののすぐに部屋のドアがノックされ、飛び上がりそうに驚いてしまう。


 タイミングが良すぎやしないか? なんて思いは、ドアから感じる違和感にすぐにかき消される。ザワリ……とドアのほうから怖気がして、慌ててアガタさんの座るソファの後ろに回り込んだ。


「わかるか、あの禍々しさが。あれが、キセツをヤった」


 彼の言葉にゾクリと背筋が寒くなる。

 もしかして、ヤったっていうのは『殺』った、だったりしないよね?


 ドアノブが回り恐る恐るドアが開かれて、部屋を覗いてきたのはこの近くにある高校の制服を着た女子だった。


 最初に目に入るアガタさんを見て、それから他校の制服を着ている僕を見た。

 普通の女子、髪の毛に色も入れてないし化粧もしてない。ある意味普通じゃないかもな、真面目すぎてレアっぽさがある。


「時間通りですね。どうぞ、中へ」


 アガタさんが呼びかけると、スクールバッグを盾にするように体の前に抱きしめたまま、おずおずと中に入ってきた。


 ドアはストッパーをかけて開いたままにして、ほんの数歩分しか入ってこない彼女は、一応警戒しているのだろうと思う。


 ドアを開ける前に感じた禍々しさをいまは感じない、どういうことなんだろう。

 アガタさんが言った、キセツをヤったっていうのは、本当にこの子なんだろうか。本当にこの子が、あの酷いDMを送ってきた人間なんだろうか。


「あ、の。川目くんのことで、なにか話があるって聞いて……」

「君はここに来た。君が、こちらに話があるはずだ」


 彼女の弱々しい声と、アガタさんの固く低い声。


 やっぱり、あの子がキセツにあんな非道いDMを送りつけていた人間なんだ。


 怒りが湧いて頭の中がぐらりと揺れて、アガタさんの座るソファの背を掴む。ふらつきかけた足に感触があり、黒猫のエンさんがすり寄ってきているのに気付いて視線を落とせば、こっちをじっと見上げたまん丸な目が正気を保てと言っている気がする。


 エンさんの知的な視線で、気が逸れたお陰で怒りがすーっと引いていった。


「なんのことですか。あなたが呼んだから、来たのに」

 彼女がすこしムッとしたように、アガタさんに言い返す。


「知りたいことがあるだろう? 君の鞄の中にある、それのこととか」

 アガタさんの言葉に、彼女の顔色が更に悪くなる。

 人の顔色がこんなに白くなるんだって、はじめて知ったよ。


「まずは座ったらどうだ」


 アガタさんが顎で彼女に向かい側のひとり掛けのソファを示すと、彼女はすんなりそこに座った。


 思いのほかすんなり座った彼女に、驚いた。あんなに警戒していたのに、座っちゃうの?

 僕は動揺しながらも、アガタさんのうしろでなるべく空気になるように息を潜めていたんだけれど、前を見たままの彼がジャケットの内ポケットから出した紙を僕の方に差し出した、


「ゲン、ドアを閉めて、これで封をしてきてくれ」

「はい」


 渡されたのは一枚の御札だった。裏表を返してみるが、のりとかついてないみたいなので、スクールバッグからテープのりの入ったペンケースを取り出してドアを閉めにいく。


 内鍵は……閉めないでいいかなオートロックだよね? ドアの中間くらいの高さに、ドアと壁にかかるように真っ直ぐ御札を貼り付けた。


 うまく貼り付けられた満足感と共に振り向こうとして、背後から感じた悪寒に思わず横の壁を背にして貼り付く。

 振り返って視線が吸い寄せられるように見た先には、スクールバッグから大きめの封筒を取り出した彼女がいた。

 彼女はそれをひっくり返して中身をテーブルに落とす。

 中から出てきたのは黒いちいさな人形ひとがたをした物体だった。


 突然壁にかかっていた額が、裏側から弾かれたようにバチンと音がして跳ね上がり、惰性でゆらゆらと揺れた。


 び、びっくりしすぎて、声も出なかった。


「ゲン、俺の後ろにいろ」


 アガタさんの命令に一も二もなく飛びついて、壁伝いに彼の後ろまでカニ歩きで戻り、ソファの背に隠れるようにしゃがみ、顔を半分出してこそこそとテーブルの上を見た。



《つづく》

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