朝一ビール
翌朝、案の定だった。
「頭いてぇ……」
二日酔い。
頭を摩りながら、重たい瞼を持ち上げる。
そして、ふと、違和感に気付かされた。
いつもなら、俺の隣で寝ている女幽霊さんがいない。
(もしかして、居づらくなって出て行ったか?)
考えられない話ではなかった。
なにせ、彼女はずっとバレていないつもりでいたのだ。
バレていないつもりで、
俺の買ってきたビールを飲み、
俺の作り置きしておいた飯を食らい、
風呂へ入り、ぐっすり就寝。
そんなにも健康的な生活を、ずっとバレていないつもりでやっていたのだ。
というわけで、もしかしたら恥ずかしくなって出て行ったのかもしれない。
(可哀想なことをしたかもしれないが……俺が悪いわけじゃないしな)
と、リビングへ向かって。
「あ」
「あ」
プシュッ──炭酸の気が抜ける音がした。
○
午前中は、ずっと頭が痛かった。
キーボードを打つ指が重たい。
カタカタカタカタカタカタ……カタンッ!
「おい五代。顔色悪いぞ?」
佐藤が話しかけてきた。
缶コーヒーを片手に、えらく余裕そうな態度だった。
二日酔いの俺がこんなに苦しんでいるのに、呑気なものだ。
「すまん佐藤。話しかけないでくれ。今はお前の顔を見ているだけで吐きそうだ」
「なんだよそれ」
「言葉通りの意味。冗談だ」
「お前の冗談はジャックナイフかよ」
「否定はしない」
「いやしろよ」
佐藤はデスクに座った。
ちなみに、佐藤のデスクは俺の真横。腐れ縁だ。
「で。五代、最近どうよ。女幽霊の方は?」
「無防備過ぎるくらい絶好調だよ」
「ん、どういう意味だ」
「だから、毎日毎日、Tシャツ一枚で部屋中をウロウロしてんだよ。それがまたエロくてな」
「!?」
「しかもだ」
「お、おう」
「なんか見えてんのバレた」
「おっぱいをか!?」
「おっぱい? なんでそんな話になるんだよ」
「え? あ、hahahahaっ! すまんっ、なんか勘違いして──」
「おっぱいくらい、一緒に生活してんだから普通に見るだろ」
「っ!?」
「俺が言いたいのは、そういうことじゃなくて~」
「まさかお前、おっぱい幽霊とエッチなことしてんじゃねーだろうなぁ!?」
佐藤の驚き放った声が、社内に反響した。
しーん。
皆が、白けた瞳をコチラへ向けてくる。
佐藤は「あ、さーせん」と軽く会釈。
アホだなぁ。
「……で、五代。気持ちよかったのか?」
「バカ、そんなことするわきゃねーだろ。相手は幽霊だぞ?」
「だ、だよな~」
「だから、見えてんのがバレたんだよ」
「つまり、どういうこと?」
「普通に話しかけちまった。昨日の夜の話だ」
「お、おう。ついにそうきたか」
「少し酔ってたからな」
「で、その後は?」
「別に。明日話そうってことで、即寝した」
「まさか、朝起きたらいなかったとか?」
「と、普通そう思うだろ?」
佐藤は「まぁな」と、腕組みしながら言った。
「まともな神経をしてるなら、バレたら出て行くぞ、ふつう」
「だよな。それが正常な思考だよな」
「で、結局どうなったの?」
「ビール」
「は?」
「いやだから、ビールだよ」
と、俺はデスクに置かれたコーヒーの空き缶を指で突きながら言った。
「あいつ、朝っぱらからビール飲んでやがったんだよ」
佐藤はあぜんとしていた。まるで朝の俺みたいだ。
「あのさぁ五代、一応友達として忠告しておくが、」
「おう」
「そいつ、頭おかしいよ」
「分かってるさ」
「分かってるなら追い出せよ! なんだ、おっぱいか。そんなに乳が好きなのか!?」
「それはお前の場合だろうが」
○
その後、あまりに顔色の悪い俺に気を遣った部長が、「今日はゆっくり休め」と言ってきた。
優しいな、部長……
いやでも、昨晩の飲み会で「娘が臭いと言ってきて~」だの愚痴を聞かされながら日本酒を飲まされまくったから、少し反省しているのかもしれないな。
いずれにせよ、俺は足早に会社を後にした。
スーパーに立ち寄って、サラダチキンとかポカリスエットとか、体に良さそうものをしこたま買い込んだ。
あと、ビール缶をたくさん買って帰った。
で、自宅の扉を開けて──ガチャ。
「おかえりなさいませ」
「お、おう」
扉を開けて、素直に驚いた。
女幽霊さんが、玄関で土下座をして待っていた。
いや……どちらかというと、あれだ。
時代劇かなんかの「おかえりなさいませ、旦那さま」的なかしこまったやつだ。
でも待ってくれ。
いきなりそんなことされても、反応に困る。
「あのさー、顔、あげてくれる?」
「申し訳ございませんでした」
「いや、だからさー」
「誠に、申し訳わけございませんでした……」
女幽霊さんが、反省の意を示してくる。
「朝っぱらからビールを飲んでしまい、悪かったなって」
「それな」
「はい……」
「……」
「……」
「えっと、他には?」
「え? 他に、とは?」
「いやだから、まだ他になにか言うことないのかなって、」
「ありませんケド?」
と、無垢な顔する女幽霊さん。
いやいや、これまでのこと全てに対する謝罪とかはないわけ!?
呆れた。すごく呆れた。
でも、そうだよな。
そのくらい図太い神経じゃないと、他人の家に一カ月間も無断滞在できないよな……。
「あのさ、」
「はい」
「とりあえず、中へ入っていいか?」
「ええ、どうぞ我が家っ……というのは冗談で、さっ、あがってください」
(今こいつ、『我が家』とか言ったぞ……)
「どうかしましたか?」
「あーいや。まあその、なんだ」
と、なんか言おうとして。
……はあ、もういいや。
なんか、考えるのがバカらしくなってきた。
俺は、買い物袋を前に出した。
「ほれ、これリビングに運んでくれ」
「これは?」
「ビールとつまみ」
「!」
女幽霊さんの目が輝いた──ように見えたのは、なにも俺の気のせいではないだろう。
本当、ビール好きだよなぁ。
「とりあえず、ビールでも飲みながら、ゆっくり話そうか」