ギャル
会社帰りだ。
マンションのエントランスで、今一番顔を合わせたくない人と鉢合わせてしまった。
ギャルだ。
やたらと肌の白い、金髪ギャル。
このギャルは、俺が住んでいる806号室の、ちょうどの下の階に住んでいる。
で、夏子が来てからというもの、なにかとご迷惑をおかけしております。
そんなギャルが、ジト目を向けてくる。
敵意が伝わってくる。
「ど、どうも……」
「……」
無視された。
あー、やばい。
絶対キレてるよ。
ここはあれだ、あまり刺激してはならない。
俺の勘が、そう告げている。
退避っーと、そそくさ逃げるようにエレベーターへ向かったのだが、
「……」
「……」
エレベーターという密室で二人きりになっちまった。
気まずいっ!
「……あ、あのぉ~」
「7階」
「あ、はい」
「てかさぁ」
「は、はい……なんでしょうか?」
「お兄さん、彼女とイチャつくのはいいんだけど、」
(か、彼女? 夏子のことか?)
「あんましドタバタされると、困るんだよね」
「あー、その節は本当に、申し訳ありませんでした」
「いやね、ウチもあんまり愚痴言いたくはないの」
「ええ……」
「お兄さん、年いくつ?」
「えっと、25……です」
「ウチ、21」
「……お若いですね。大人びて見え、」
「そういうお世辞が聞きたいわけじゃなくて、分かるよね? お互い、大人なんだし」
もちろん分かってる。
これはあれだ、お説教だ。
俺は今、年下のギャルからお説教を受けているのだ。
ガキが生意気言ってんじゃあない!
少しは歳上を敬いやがれ!
……なんて、口が裂けても言えるわけがない。
だって、俺がかつて部長に対して抱いていた感情を、このギャルは今俺に対して抱いているのだろうからな。
少しは年長者らしく振る舞えよ!
ってさ。
いや本当に、頭が下がる──
「あー、あと」
「はぁ」
「喘ぎ声」
「へ?」
「結構響いてるから」
「あ、あえぎ声?」
「気持ち分かるけどさ、少しは抑えた方がいいよ、」
と、チンッ──エレベーターが7階に到着した。
「って、彼女に伝えといて。よろしく」
チンッ──ギャルは去っていた。
俺は、頭が真っ白だった。
(か、彼女?)
○
そして、
「あひゃひゃひゃひゃひゃ、ウケるー」
夏子は相変わらず、ビールを片手にお笑い番組。
爆笑していた。
「おい夏子、ご主人さまのおかえりだぞ」
「あ、おかえりー……ぷぷ、あひゃひゃっ!」
「おい、声」
「ひゃひゃ、ひひひ、へっ? 声?」
「そうだ。またキレられるだろうが」
「キレられる? 誰にっ──あひゃひゃ、」
俺の話になど関心はないのだろう夏子、お笑い番組へ目線を戻して爆笑を再開。
なんか、無性にイラッとした。
「ふんっ!」
「あっ、ちょ! 雄介! なんで消すの!? 今めちゃくちゃ面白いところだったのにっ!」
「いいからとりあえず、話があるんだ夏子」
「話?」
「おう、大事な話だ」
「なに、急に改まって。リストラにでもあった?」
「縁起でもないこと言うな!」
「じゃあ懲戒免職?」
「なにお前、そんなに俺を無職にしたいわけ?」
「いやそうじゃなくて、実質私に及ぶ被害ってそのくらいだから、それ以外ならなんでもいいかなって。ま、私はビールさえ飲めたらそれだけでいいんですケド」
「俺よりビールが大事か!? そんなに大事か──」
って、いかんいかん……すっかり夏子のペースに乗せられるところだったぜ。
だから、そうじゃなくてだ。
「喘ぎ声だよ」
「ん? あえぎ声?」
俺は頷いた。
「うるさいらしいんですよ」
「話が見えないんですけどー」
「行為中の夏子さんの喘ぎ声がうるさいって、そう言うことらしいんですよ」
「んーと、こうい?」
「エッチだよ」
「エッチって……は、はぁあああ!? 突然変なこと言わないで! セクハラ!」
「でも事実だ」
「し、仕方ないじゃない! 出ちゃうんだから。それに、雄介だってその方が興奮するって言ってた!」
「そ、それは、動画内での話だから……」
「ブン殴るぞコラー!」
と、夏子が地団駄を踏んだ。
次の瞬間。
ゴトンッ──
下の階から、物音が鳴った。
これはあれだ、警告なのだろう。
『これ以上騒ぐとそろそろキレるからね?』という、ギャルなりの最後通達である。
最近、よくある。
俺たちは咳払い。
とりあえず、頭を冷そう。
「いやな、さっき下の階のギャルとエレベーターで一緒になってな。で、キレられた」
「まさか、おっぱいでも触ったんじゃないでしょーね」
「まさか。俺はギャルとの相容れぬ人種だぞ? そんな恐ろしいことできるかよ」
「でも、なんかあった?」
「ああ。だから、喘ぎ声がうるさいって言われたんだよ」
「私じゃない。だってあり得ないし」
「なんでだよ」
「だから、私、JU!」
「女子幽霊なんだろ」
「そう、だからよ」
と、夏子は声を潜めて。
「私、幽霊。だから普通の人には私の声、聞こえないでしょ?」
「……」
「でしょ?」
「……うーんと、だな」
なんか、寒気してきた。
じゃあ、なにか?
「あのギャルには、幽霊の声が聞こえたって……そういうことかよ」
「そうなるね」
「なんだそれ……マジ怖っ! 幽霊である夏子の声が聞こえているって、あのギャル一体何者だよ!?」
「いや知らないけど、そんなこと言ったら雄介もそうでしょーが」
「俺はいいんだよ、俺は」
「いいけどさ」
「夏子。お前ちょっと化けて確認してこいよ」
「嫌よ。会ったことはないけど、恐そうだし」
「待て。一般常識的には幽霊の方が恐い存在だと思うぞ」
「じゃあ、雄介は私とそのギャル、どっちが恐いってのさー」
「ギャル」
「ほら、即答じゃん」
「仕方ないだろ。ギャルは肉食、俺は草食なんだから。食物連鎖的に敗北してんだよ」
「意味分かんないし」
「っはぁ~、夏子、お前どうせあれだろ、ギャルと一緒のクラスなったことねーだろ」
「あるけど、別に良い子たちだったよ?」
「あーはいはい出たぁー! 学生時代はギャルみたいなパリピとも仲良くやってましたアピール! うっぜー!」
「やれやれ、どんだけ悲しい青春送ってたのよ……」
「けっ、お前には分かるかよ! いいか!? ギャルはな、無敵なんだ。俺は陰キャと陽キャのちょうど中間くらいにいたから、そこんとこよぉぉく熟知してんだよ」
「陰キャと陽キャの中間は雑食じゃん」
「そこはどうでもいいんだよっ! いずれにしても、パワーバランスとして俺は負けてんの! ギャルは、恐ろしい生き物なんだ……」
「あーはいはい、そうですねー」
興味のなさそうな夏子。
あー、もうっ!
なんで分かんないかなぁ、この気持ち!?
「とりあえず夏子、明日は土曜日だ」
「だからなに?」
「休みだ」
「?」
「やるぞ」
「だから、なにをよ!?」
「だから、謝罪だよ」
「謝罪?」
俺は頷いた。
「ジャパニーズ、『DOGEZA』だ」




