桜、蕾む
世界が変わり下界。下界といっても現実世界のことだ。
前世で桜耶姫だった私は、現世では桜庭咲夜として転生した。
記憶は曖昧だが、弟の翠と親友の蒼のことは唯一覚えていた。
時が経ち、社会人となった私は図書館の司書として働いている。
その時に風と再会した。正直、風のことは会うまで忘れていた。
しかし、向こうは私のことを覚えていたらしい。
なので、声をかけられたのも向こうからだ。
今は、風間瞬と言うらしい。
「今日もよろしくお願いしますね、咲夜さん」
「こちらこそよろしくお願いします、かざまさん」
「……やっぱり、桜耶姫の敬語は馴れませんね」
「それ、弟にも言われました」
確かに、前世の時の私は身分も高かった為敬語というものを
風相手に使うことは少なかった。
だが、今は普通の人で風間さんは私の上司であり、ましてや年上だ。
タメ口を使って良い相手ではないのだ。
たまに、人がいない時にタメ口でと風間さんに言われるが、その時も他で出ないように
する為に極力敬語を使うようにしている。
そんな、風間さんのおかげで仕事をちゃんとこなせるようになった。
そんなある日のことだった。
「姉貴ー」
「ん?翠?」
弟の翠が図書館にやってきた。どうしたのだろう。
よく見ると後ろにもう1人いる。
……誰だろう。
「あれ、海じゃないですか。どうしたんです?」
「よっ。いや、翠が会わせたい人がいるって言うからよ」
「海さん、こっちです。会わせたかったのは、俺の姉貴です」
「……は?お前の姉貴って……、まさか」
「はい、そのまさかです」
今、翠が親しげに海って呼んだこの人。
前世で私と会ったことがある?
「あんた、桜耶嬢か⁉︎」
その呼び方にはなんとなく覚えがある。
前世でその呼び方をするのは、1人しかいなかった。
確か……。
「……海副将?」
「桜耶嬢、大人しくなったなぁ!」
「ふふ、そうですね」
確かに、前世と比べたら私は丸くなったと思う。
口調も固くない。
「咲夜って言います、よろしく」
「広瀬海だ、よろしくな!咲夜嬢!」
「海、あなたって人は……」
「ふふっ、いいですよ。その方が馴れてます」
楽しい。またこうやって賑やかに過ごせると思うと嬉しい。
だけど、なぜか私はこの状況にどこか違和感を感じていた。
なんだろう、何かを忘れているような……。
「あれ、姉貴。なんでそんな離れてんの?」
「え?」
翠に言われて横を見ると、確かに私の右隣が人1人分空いていた。
なぜだろう、今無意識に空けたのだろうか。
「……あれ?」
「海、あなた汗臭いんじゃ……」
「ちゃんとシャワー浴びたっつの‼︎」
「すいません、気付かずに」
「あー、いいよいいよ。気にすんなって」
なんで、私今右隣を空けていたんだろう。
後から誰かが来る訳でもないのに。
海さんには少し嫌な思いをさせてしまった。
そう思って下を向いた時、視界に桃色の何かが入り込んだ。
よく見るとそれは、桜の花びらだった。
「……桜」
「あぁ、中庭に一本立派な桜の木がありますよ」
風間さんにそう言われ、私達は中庭に移動した。
すると、中庭の中央にとても立派な桜の木があった。
とても綺麗だ。だが、その感情とは別の何かが込み上げてきた。
「咲夜嬢⁉︎」
「え?」
「なに、泣いてんだ⁉︎」
泣いてる?私が?
泣く理由なんて私にはないのに……。
なぜか、目から涙が止まらなかった。
「……すいません、泣く理由なんてないのに」
「いえ、大丈夫ですよ」
「せっかく、全員と会えたっていうのに」
その時だった。風間さんと広瀬さんが驚いたような顔をした。
今、私変なこと言っただろうか。
「咲夜さん、前世で僕達は小隊を組んでいましたよね」
「はい」
「大将の名前、覚えていますか?」
「え?……えっと、……すいません」
風間さんは再び広瀬さんと顔を見合わせた。
私はまた変なことを言ってしまったのだろうか。
「あの……」
「いえ、咲夜さんは何も気にしないでください」
「……はい」
風間さんはそう言っていたが、やはり少し気になる。
私は何かを忘れているのだろうか。
それも、とても重要な何かを。
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咲夜さん達が帰った後、僕達は行きつけのバーで少し話をしていた。
「いやぁ、まさかだった」
「えぇ、咲夜さんの記憶にも残ってないとは思ってもいませんでした」
「あいつも覚えてねぇしなぁ。まさか、こっちもとは」
そう、僕と海は前世の記憶が全て残っている。
夜桜で花見をしたことや、咲夜さん。
あ、前世では桜耶姫ですね。
桜耶姫の前で僕達が下界へと送られたことも。
全て鮮明に覚えている。
「……それにしても、運命とは残酷ですね」
「……まったくな」
「あの2人の仲を引き裂くなんて」
桜耶姫と僕達の大将は想い合っていた。
身分の違いからそれは報われるものではなかったが、それでも2人はよく一緒にいた。
僕達が消えるあの日までは。
前世では結ばれぬものだった為、この世ではなんとか結ばれて欲しいと
思っていた矢先でこれだ。
残酷すぎる。
「……ですが、桜を見て泣くということは多少覚えているんでしょうね」
「だろうな。本当に僅かなんだろうが」
想い人が消えたのが桜の木の下だったということを、記憶のどこかにしまっているのだろう。
「……なんとかなりませんかねぇ」
「俺達にゃ無理だろ」
その時だ。
「悪ぃ、遅くなった」
件の人物がやってきた。
「おせぇぞ」
「お疲れ様です、空」
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社会人になって約3年。私は、今も図書館の司書として働いている。
私の1日は館内の受付フロアの掃除から始まる。
窓から太陽の光が差し込んでいて暖かい。
掃除をしながら私は思った。
「暖かくなってきたなぁ」
だんだん春が近くなってきているからか、気温も暖かくなってきた。
それに、中庭も少しずつ緑が増え始めたと思う。
だけど、春はあまり好きじゃない。理由は……。
「……桜。だんだん蕾が膨らんできたな」
中庭にある1本の桜の樹を見てそう呟いた。
そう、理由はこの桜の樹だ。
少し眺めていると、だんだん目の奥が熱くなってきた。
すると、つーっと頬を一筋の雫が流れた。
またか、私はそう思った。
なぜか、桜を見ると知らぬ間に涙を流しているのだ。
なぜかは、私にもわからない。
葉桜だろうが、なんだろうが関係ない。
桜と言うだけでダメなのだ。
花が咲けばもう大号泣だ。
「咲夜さん」
「……」
「聞こえていないのでしょうか……」
風間は咲夜の視線の先を追って納得した。
「咲夜さん」
「あ、すいません」
「まだ、馴れませんか?」
私は、おもわず苦笑した。
それからもう一度桜を見る。
つられて風間さんも見た。
「桜自体は嫌いじゃないんですけどね」
そう、桜が嫌いな訳じゃない。
むしろ、好きな花だ。
桜を見て理由もわからぬまま泣く自分が嫌いなのだ。
どこに泣く理由がある。
そう思っていた時だった。
「咲夜ー」
「蒼」
「あと、瞬」
「私はついでですか」
「うん」
「まぁまぁ」
2人のやりとりに私は思わず笑ってしまった。
蒼と風間さんは昔と変わらず付き合っている。
それを知った時は驚いたのと同時に嬉しく思った。
前世では結ばれることがなかったから。
蒼も私と一緒に一生独り身で過ごしたのだ。
「そんなことより咲夜。今日、翠くんのバレー見に行くんでしょ」
「うん」
「そうでしたか」
「蒼、もう少し待っててもらえる?」
「そのつもりできたわよ」
ありがたい。こういう時に頼りになるのは昔馴染みの友人だ。
昔といっても私達の場合は、年季が入りまくりなのだが。
風間さんも笑っている。
「じゃあ、あたしは本でも読んで待ってるわ」
「ありがとう」
「ほら、仕事しなさい」
蒼から離れ私と風間さんは仕事に戻った。
それから私は仕事をそつなくこなし、もう少しで上がりの時間というところまで来た。
「咲夜さん」
「はい」
「もう少しで上がりの時間ですし、残りは僕がやっておきますよ」
「いいんですか?」
「えぇ、そろそろ蒼も飽きる頃ですし」
「ありがとうございます」
私は、風間さんに頭を下げスタッフルームへと急いだ。
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「咲夜、あがり?」
「えぇ」
咲夜さんがスタッフルームへと向かい、その場に残された僕と蒼。
先に口を開いたのは蒼だった。
「……まだ思い出さないか、桜を見ても」
「そうですね。咲夜さんにとっては少し辛い記憶ですし」
大事な人が桜の樹の下で消えた。
それを記憶が蓋をしたのだろう。
だから、消えたのは僕と海と答えた。
実際に消えたのは3人だというのに。
「あたしもその“月”って人の記憶はないんだよなぁ」
「そうですか……」
僕はもう一度桜の樹を見上げた。
あの2人が交わした懐かしい約束を思い出しながら。
「……あの約束は、いつ果たされるのでしょうかね」
「え?なに?」
「いいえ、なんでも。ほら、咲夜さん来ましたよ」
僕が指をさして蒼に教えると、こちらへ急いで走ってくる咲夜さんがいた。
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「ごめん、待たせた」
「ううん、大丈夫」
「では、風間さん。お先します」
「はい、お疲れ様でした」
「またねー」
私は頭を下げ、蒼は手を振っていた。
風間さんも手を振っていた。
その後、真剣な顔になり……。
「……見ていられませんね、まったく」
と、呟いていた。その風間さんの声は、私達には聞こえなかった。
翠の所へ向かう途中、ふと蒼が思い出したように口を開いた。
「咲夜は、前世の記憶ってあまり覚えてないんだよね?」
「うん、そうだよ。断片的にしか覚えてないんだ」
そう、私自身が覚えていたのは自分自身のこと、蒼と翠のことだけ。
あとは、再会してから風間さんと広瀬さんのことだけだ。
だが、その2人との記憶の中で不可解なものがある。
2人が桜の樹の下で消える時、2人を割るように
真ん中が光り輝いているのだ。2人と同じ背丈くらいの光。
あれはいったいなんなのか。
そして、私はなぜ号泣するほど悲しかったのか。
「………わからない」
「わからないって、アンタどこ行く気?」
「え?」
反応すると目的地を危なく通り過ぎる所だった。
……危ない。中に入り、コートの方を除くと翠がいた。
「翠くーん」
蒼の声に気付いたのか、翠がこっちを見て驚いていた。
「あれ?あおいちゃん?姉貴も」
「おつかれ」
「どうしたの、急に」
「呼ばれたんだよ」
「お、来たか。咲夜嬢に蒼」
広瀬さんが手を挙げながらこちらへ向かってきた。
「海さん、どうも。翠がお世話になってます」
「海、おいッスー」
「おい、蒼。やっぱ、お前年ごまかしてんだろ」
「なにこの、20代前半の乙女に向かって!」
「いや、どう見ても乙女じゃねぇだろ!」
なんていう2人のやりとりを見ながら、私と翠はクスクスと笑っていた。
以前、私もこんなたわいのない話をしていた気がする。
「翠ー、自主練付き合ってくんね?」
「あぁ、いいよ」
「あ、咲夜さん。ちはッス」
「双星くん、久しぶり」
「双星でいいですって。元部下なんスから」
「いやいや、そういう訳にも」
双星くんは翠の親友だ。それは、前世からのつながりである。
翠と共に広瀬さんに昔は剣術、今はバレーと稽古をつけてもらっている。
2人のコンビネーションは抜群だ。姉の私ですら驚くくらい。
だが、双星くん曰くーー
「咲夜さんは、俺らと違って天才型だから勝てないですって‼︎
昔も負けっぱなしだったんスから‼︎」
ーーらしい。確かに、手合わせするたび大人気なく
負かしていた気がする。だが、2人とも十分強かった。
「あ、姉貴!来たついでにトス上げてよ!」
「あ、俺からもお願いします!」
「え、私が参加していいの?」
すぉういって、私は広瀬さんを見た。
すると、広瀬さんは私にグッ!と親指を立てて見せた。
あ、いいんだ。
「いけー、元バレー部ー」
蒼に応援されながら、私は少しだけ翠達の練習に付き合った。
それにしても、2人ともいつのまにか上手くなったなぁ。
トスを上げながら私は、そうしみじみと感じた。
広瀬さん達と別れた帰り道。
「双星くん、あいかわらずいい子だね」
「うん、いい奴だよ」
そんなたわいもない会話を翠としながら帰っていた。
その途中にある桜並木がライトアップされているのに気がついた。
「うわぁ、今年もここはすごいねー」
「だなー」
夜桜見物に来ているのか、通りはまだ賑やかだ。
その通りのちょうど中間にある広場に一際大きな桜の樹が立っている。
私は、その桜を見るたびに懐かしく思う。
なぜかは、私にもわからないけれど。
その時だ。
「姉貴」
「ん?うわっ」
翠に呼ばれて、返事をしたと同時に抱きしめられた。
急にどうしたというのだろう。
普段、こんなことをするような子ではないのに。
「……翠?」
「姉貴」
「ん?どうした?」
「……そんな、泣きそうな顔するなよ」
ハッとした。今、私は泣きそうな顔をしているのか。
またか、そう思った。原因は、わかっている。
この桜だ。まさか、翠に言われるとは思わなかった。
「……ごめん」
素直に謝ったが、私から翠は離れようとしなかった。
どうしたのだろうと思っていると、予想していなかった言葉が返ってきた。
「……姉貴のその顔見てると俺も辛い」
意外だった。翠がそんな風に思っていたなんて思わなかった。
そして、翠は私から少し離れた。
「俺は、今も昔も姉貴の笑った顔が好きだよ」
「……うん、ありがとう」
私がそういうと、翠は少し笑った。
困ったように笑った。
「……かっこ悪い姉貴でごめん」
「姉貴は今も昔もかっこいいよ」
翠はそういうと、また私を抱きしめた。その行動に驚いたが、
それより私の身体が翠にすっぽりと抱え込まれたことの方が驚きだった。
あんなに小さかったのに、いつの間にこんなに大きくなっていたのか。
前は私が翠を守っていたのに、今ではもう逆だ。
私は再びしみじみと思った。弟である翠はこんなにも
大きく立派になっているというのに、姉である私は一体どうだろうか。
成長していないではないか。元桜耶姫だというのに呆れてしまう。
このままではいけない、少しでも前に進まなければ。