カチカチ山
童話国入口の門を通ると、僕のカラダはどこかへ消えてしまった。
今は意識だけが、俯瞰するように宙に浮かび、僕がカチカチ山の世界に居る事がナゼだか分かった。
確かカチカチ山は、悪戯タヌキがお婆さんの仇を討つウサギに、酷い目に遭わせられる話だ。
昔、のんびりした山の麓の田舎に、お爺さんとお婆さんが二人で住んでいる家がありました。
この夫婦には子供がいなかったので、二人はいつも寂しい思いをして、毎日を暮らしていました。
今日も二人は朝早くから自分たちの畑で、せっせと鍬を振って土を堀起こし、耕しておりました。
歳をとるとアチコチの関節が痛み出します。
特にお爺さんは腰痛持ちでした。
「あいたたた、腰が……」
お爺さんは腰が痛くて、畑に蹲ってしまいました。
「まあ、お爺さんが大変だわ」
お婆さんは肩を貸して、お爺さんをお家まで運び、布団で寝かせてやりました。
その後もお婆さんは、ひとりで畑を耕し続けていました。
その様子を草むらの奥で、最初からずっと見ていたのは覗き屋のウサギでした。
「お爺さんもお婆さんも、大変だなぁ」
そう言ってどこかへ行ってしまいました。
実はウサギ以外にも、別の場所で二人を見ていた物がおりました。
それが悪戯タヌキです。
タヌキは二人が寂しそうにするのを見て、農具を隠したり、飼っている鶏を小屋から逃がしたりする悪戯をよくしていました。
タヌキは自分が二人の子供に成ったつもりで、よく親に世話をかける子供をマネして、二人の寂しさを紛らわせようと考えて悪戯をしていたのです。
だから二人が気づかぬ裡に隠した農具も後で戻しますし、逃がした鶏も自分でちゃんと捕まえて元の小屋へと戻します。
けれどお爺さんとお婆さんには、そんなタヌキの優しさが理解できませんでした。
ただの悪戯タヌキだと思っています。
次の日、二人が朝起きて畑を見ると、畑が何者かに滅茶苦茶に荒らされていました。
これは腰を痛めたお爺さんの代わりに、タヌキが畑を耕したからです。
タヌキには、土を耕す目的も意味も分かっていませんでした。
だから鍬を持ち二人のマネをして、辺り構わずひたすら土を堀起こしたのです。
覗き屋のウサギはそれを遠くから黙って見ていただけです。
撒いた種が無駄に成り、せっかく育っていた野菜も千切れて全部土に埋まっています。
これには、お爺さんとお婆さんも流石に堪忍袋の緒が切れました。
お爺さんとお婆さんは棒を持って、悪戯タヌキを追い回しました。
タヌキは親切でしたつもりなのに、二人がナゼ怖い顔をして自分を追いかけて来るのか、それが全然理解できません。
タヌキが畑に逃げ込むと、そこには罠が仕掛けてありました。
片足を罠に挟まれ、激痛がタヌキを襲い、そのまま倒れてしまいました。
「婆さん、今夜は狸汁じゃ」
これを聞いてタヌキは震え上がりました。
〈ナゼ自分は殺されるのだ?〉
狸寝入りを続け、お婆さんが包丁を取りに行った隙をついて逃げ出しました。
その時、慌てたお婆さんが自分で転んで怪我をしました。
「ぎゃー」
お婆さんの悲鳴を聞き、駆けつけたお爺さんはタヌキが怪我をさせたと勘違いしましたが、お婆さんは寝込んでしまって、それが分かりません。
家で寝込むお婆さんや、畑で耕し直しているお爺さんを見ていた覗き屋のウサギが誓いました。
「私が二人の仇を取ってやろう」
タヌキは二人の家を逃げ出した後、ずっと裏山に隠れていました。
次の日、ウサギがタヌキのいる裏山にやって来ました。
「タヌキ君、私と二人で柴刈りに行かないかい?」
「柴を刈って、どうするんだい?」
「お爺さんとお婆さんの家に、持って行くんだよ」
「でもボクは捕まったら、狸汁にされてしまうんだよ」
「大丈夫、近くまで運んで呉れたら、後は私が家まで運ぶから」
「それならボクもやるよ」
ウサギとタヌキは裏山を歩き回って沢山の柴を刈って集めました。
「よし、これだけあれば大丈夫だよ。
タヌキ君、背負って」
ウサギは少しの柴しか背負っていませんが、タヌキが背負う分には沢山の柴が積まれています。
それでもタヌキは文句も言わずに背負いました。
すると自分の背中から『カチカチ』と云う音が聞こえて来ます。
「ウサギさん、なんか変な音が聞こえない?」
「別に変な音は聞こえないよ」
ウサギはタヌキが背負う柴に、火打石で火を着けようとしていました。
「おかしいな、ボクには『カチカチ』と聞こえるんだけど」
直ぐにカチカチ音は聞こえなく成りましたが、今度は背中が何だか熱くなって来ました。
「ウサギさん、ボクの背中が凄く熱いんだ。
背負う柴を外すのを手伝って」
ウサギはタヌキが柴を背負う時に、落とさないようにと肩紐同士も結びつけていたのです。
「外せないよー」
タヌキは必死で外そうと努力しますが、結びが固くて解けません。
その裡熱くて堪らず走り出してしまい、地面を転がるように成りました。
柴の火が裏山の草木にも燃え移り、黒い煙が辺りを被い、自分の身に危険を感じたウサギはひとりで先に逃げ出して行きました。
タヌキが必死で地面を転がったので、背中の燃えた柴が全部取れて、タヌキはやっと命の危険から逃れる事ができましたが、今度は裏山の草木が燃え広がっています。
タヌキは葉のついた枝で火を叩き、土砂をかけて必死で消火作業に務めました。
その甲斐あって裏山は山火事に成る事もなく、無事に火も消えましたが、タヌキはそのまま力つきて倒れてしまいました。
背中には火傷で出来た火膨れが沢山ありました。
タヌキが裏山の穴で寝込んでいると、ウサギがやって来ました。
「タヌキ君、とんだ災難に遭ったね。
私が火傷に良く効く塗り薬を、持って来たから塗ってあげよう」
「ありがとうウサギさん」
ウサギは唐辛子入りの薬を、タヌキの背中に塗り込みます。
「ぎゃー、痛い。痛い」
タヌキは涙を流して痛がっていますが、それを見てウサギは笑っています。
「良く効く薬は、凄く痛い物なんだよ。
タヌキ君もこれで良くなるよ」
やがて痛がるタヌキのカラダがブルブルと震え出し、痙攣を起こしてタヌキは白眼を剥いて口から泡を吹き出します。
ウサギは怖くなり、タヌキの世話もせずに、穴から逃げ出して帰ってしまいました。
ようやくタヌキの火傷は治りましたが、背中には大きな火傷の痕が残りました。
無理にカラダを動かすと、時々背中が張って痛んだりします。
そこへウサギが釣り竿を持って、またやって来ました。
「タヌキ君、また元気になって良かったね。
今日は怪我が治ったお祝いに、川へ魚釣りへ行こうよ」
「うん、いいよ」
タヌキはずっと穴の中で寝ていたので、退屈で仕方がなかったのです。
川に着くと木製の舟がありました。
「これだと一緒に乗ると沈んでしまうよね。
タヌキ君は泥で自分の舟を作れば良いよ」
ウサギは自分だけ木舟に乗って、サッサと川の中で釣りを始めます。
タヌキは川べりで泥をかき集めて、一生懸命に舟を作り始めました。
やがて泥舟が完成すると、水が直ぐに染み込まないように、舟の外側を太陽の光を当ててしばらく乾燥させます。
タヌキは疲れていたので、知らない間に眠ってしまいました。
しばらくしてウサギが戻って来て、タヌキの泥舟の底に小さな穴を開けました。
そしてタヌキを無理矢理に起こします。
「タヌキ君、寝てたら駄目だよ。早く釣りを始めないと、これはタヌキ君のお祝いなんだから」
「うん、分かった」
タヌキは眠い目を擦りながら泥舟を川に浮かべます。
「タヌキ君、もっとこっちに来ないと魚が釣れないよ」
ウサギはタヌキを、川の深い場所へと誘導しました。
しばらくすると泥舟の底に、水が溜まり始めました。
「あれっ、なんでだろう?
しっかりと乾燥させたはずのに」
泥舟の外側はしっかり乾燥させて固まっていましたが、内側はまだ完全には固まっていませんでした。
そのせいで水に浸かった泥舟は崩れて、川の中に沈み込み始めました。
タヌキは泳ぎがあまり上手くありません。
アップアップしながらウサギの方を見て、必死で助けを求めています。
ウサギはその様子を見て、助けようともせずに笑っています。
「バカなタヌキ君だな、まだ気づかないのかい?
柴に火を着けたのも、タヌキ君の火傷に唐辛子を擦り込んだのも、泥舟の底に穴を開けたのも全部私なんだよ。
これはお爺さんとお婆さんに悪戯して困らせた君への罰なんだよ。
畑をあんな風に耕したら駄目なんだよ。
知らなかったのかい?
罰する私が、君を助ける訳ないだろう」
タヌキは必死にもがいて、なんとか自分の力で川のふちまでたどり着きました。
口から大量に飲んだ水を吐き出し、ハアハアと息を荒げて泣いています。
「これじゃ、あんまりじゃないか。
ボクは全部親切のつもりでやっていたのに、それが間違っていると知っていたのなら、ウサギさんはナゼそれをボクに教えて呉れないんだ。
しかも報道気どりで正義面してボクを罰する?
ウサギさんはただ覗いていただけで、ボクたちには全然関係がない、全くの他人じゃないか!
そんな資格が、どうしてウサギさんにあるんだよ。
それにボクがお爺さんとお婆さんにした事は、ボクが殺されても仕方がないような事なのか?
包丁で狸汁にされかけ、火を着け燃やされ、唐辛子で死にかけ、また溺れて死にそうに成って……。
本当に悪いのは、覗き屋で正義面するウサギさんの方だろう!
ボクを殺そうとするなんて、あんまりだ」
+ - × ÷ = ¥
タヌキが泥舟に乗って、怖い顔で僕を睨んでいた。
さっきまで宙に浮かんでいたはずなのに、気づくと僕は知らぬ間に木舟に乗っている。
両手を頭の方へと伸ばすと、そこには長いウサギの耳が生えていた。
ナゼなのか、僕はウサギに変身して木製の舟に乗っていた。
ウサギに酷い目に遭わされ泣いていたタヌキが、僕に反撃を開始した。
〈ひぇー、これが勇者の排除のやり方か、これは完全に冤罪だな、全く童話国の魔王は容赦しないな〉
タヌキは刈った柴を背負っており、両手を後ろに回して柴を取り出すと、その薪が勢いよく燃え上がる。
僕が乗る舟に、燃える柴が次々に飛んで来ては落ちる。
僕は急いで燃える柴を両手で拾うと、川の水につけて直ぐに消火した。
それから飛んで来る燃えた柴を、二刀流で川の中へと叩き落とし、足下で燃える柴を外へと蹴り出し、舟が燃え出した箇所を足で踏み消して行った。
タヌキは舟を燃やすのを諦めると、今度は泥舟の泥を掴んで投げ出した。
〈そんな事をしたら、また直ぐに泥舟が沈むぞ〉
だが泥舟が沈む事はなく、大量の泥玉が僕を目がけて飛んで来ていた。
泥玉を柴で叩き落としても、衝撃で飛び散った泥が僕の顔に当たり、それがビチビチと痛い。
両手で盾のように防いでも、やはり泥は撥ねて僕の顔が痛い。
顔にコビリついた泥で目が見えないその隙をついて、また燃える柴が飛んで来て、僕が乗る舟を燃やし、その炎が徐々に大きくなって僕のカラダを襲い出す。
バランスを崩したウサギが、ついに燃える舟から川の中へと落ちたが、全然浮かび上がって来ない。
『死んだの?』と心配になったタヌキが川の中を覗き込んでいると、泥舟の底に大きな穴が開いて、そこから大量の水が溢れ出て来て、一緒にウサギの姿が現れた。
「やはり、泥舟は沈まないのか」
ウサギはそう云うと抵抗するタヌキの足を掴んで、無理矢理に川の中へと引き摺り込んだ。
「うわー、今度こそ殺される」
タヌキは水の中で溺れ苦しんだが、それも直ぐに終わり、川べりの上にウサギと一緒に息を荒くしながら寝転んでいる。
「タヌキさん、信じられないと思うけど、僕は君を酷い目に遭わせたウサギとは中身が違うんだ」
「違うって、どう云う事?」
「この世界とは違う、別の世界から来たんだ。
そこには『カチカチ山』って云う、悪戯タヌキがウサギに酷い目に遭わせられる話があるんだ」
「えー、ボクと同じような目に遭うタヌキの話なの?
そのタヌキは殺されるような、悪いタヌキなの?」
「いや、ただの悪戯タヌキだよ。
殺されるような事はしていないよ」
そうなのだ。
僕も初めてこの『カチカチ山』って話を知った時には、なんて酷い話なんだ、と思ったのだ。
おそらく童話国の魔王も、全然笑えなかったに違いない。(元話では殺人狸らしい)
僕は嫌がるタヌキを連れて、お爺さんとお婆さんの家へと向かった。
タヌキを外に隠れさせて、タヌキがお爺さんとお婆さんに行った悪戯の意味や、畑を駄目にした理由なども話して聞かせた。
タヌキの気持ちを知っても駄目なら、諦めるしかないが、二人はタヌキを許して受け入れて呉れた。
僕はタヌキを呼び、自分の気持ちを相手にちゃんと伝えるように言った。
それからお爺さんとお婆さんとタヌキは仲良く一緒にいる事が多くなった。
そしてウサギの僕は、ナゼだか姿が消えてしまった。
童話のタヌキが悪い奴で、被害に遭ったお爺さんが仕返しをするならまだ話は分かるが、ウサギが出て来て仕返しをするのは、僕には到底納得出来ない。