ハーメルンの笛吹き男
僕の意識は、ハーメルンの笛吹き男の世界を漂っていた。
この童話は、ネズミ退治した笛吹き男が、怒って子供を攫って行く話だ。
昔、ハーメルンと云う町が有りました。
町の中央には大きな噴水の出る広場が有り、赤レンガと色瓦で造られたこの町の住宅は、この広場を中心に周りを囲むように建てられていました。
町の北の端には教会の鐘楼が有り、仕事が休みの日曜日には鐘が町中に鳴り響き、人々がこの教会へと集まって来ます。
「あっ、ネズミがいる」
教会へ向かう途中で、小さな子供がネズミを見つけて指差します。
最近この町では、ネズミの姿がよく見られるように成りました。
その訳は、町長がネコを飼うのを禁止にしたからです。
「ネコは魔女の手先だ。
魔女は教会の敵だ」
教会の熱心な信者である町長が、そう云ってこの町からネコを全て追い出してしまったのです。
ネズミを獲るネコが居なくなれば、町にネズミが増えるのは当然の話です。
然もネズミはドンドン子供を産んで、あっと云う間にその数を増やして行きます。
そのせいで、どの家にも多くのネズミが住みつき、好き勝手に走り回るように成りました。
トコトコとネズミが発する騒音は、夜寝ている者を目覚めさせて睡眠不足にし、さらに集中して仕事に打ち込んでいる者をイライラとさせ、大切な仕事の邪魔をするのです。
ネズミの被害は、それだけでは有りません。
ネズミは大きな前歯で、どこでも齧りつきます。
家の中はネズミが齧った痕で、アチコチが凹んでいますし、最悪の場合には小さな赤ん坊が齧られる場合も有ります。
一番問題に成るのは、ネズミがする糞かも知れません。
家のあらゆる場所でネズミが落とす糞が、雨が降って湿った空気の中では、もの凄く臭うのです。
町の住民の生活は、この小さなネズミのせいで滅茶苦茶に成りました。
その怒りは当然、ネコを町から追い出した町長へと向けられます。
「町長、早く町のネズミを何とかしてください」
毎日、矢のような催促が町長の所へとやって来ますが、この町の町長にはどうする事も出来ません。
ネズミ取り器を住民に無料で貸し出すのが精一杯で、それでは増え続けるネズミを退治する事など出来ません。
そんなある日、ハーメルンの町に派手な服を着た男が現れました。
その男は町長の家を訪ねると、早速町長の元へとやって来て言いました。
「旅の途中で聞いた噂で、ハーメルンの町がネズミで困っていると知りました。
私がそのネズミを全部退治してあげましよう。
金貨100枚でいかがですか?」
「本当にネズミを全部退治して呉れるのなら、お願いするよ」
町長はこの男の言葉を、全く信じていませんでした。
〈この町のネズミを全部退治するなんて、なんて嘘つき野郎だ〉
町長は自分がネズミ退治の対策をしていると、町の住人に見せたかっただけなのです。
だから何か有ればあの男のせいにして、自分は責任逃れが出来ると考えていました。
その夜、ハーメルンの町の広場で不思議な笛の音が流れ出しました。
リズム感が溢れるそのメロディは、自然と楽しくなってカラダが踊り出したく成る魔法の音色を奏でていました。
しばらくすると町の家々から、ネズミが踊りながら出て来ました。
ネズミは楽しそうにステップを踏みながら、噴水がある広場目指して歩き出しました。
やがて町の中央に有る広場には、町に住みついていた全てのネズミが集まって渦を巻きながら踊り狂っています。
派手な服を着た男は噴水の上に立って笛を吹き続けています。
その刻むビートが、さらにテンポアップし、踊るネズミたちもさらに激しく動き回って、ネズミは狂気に包まれてしまいました。
突然、笛の音が止まります。
ネズミたちは踊り疲れたのか、グッタリして蹲っているように見えました。
そこへ今度は緩やかな優しい音色のメロディが流れ出して、踊り疲れたネズミたちを暖かく包んでゆきました。
ネズミたちの目が恍惚で満たされています。
その優しい音色もやがて終りを告げ、派手な男が吹く笛は不思議なリズムを繰り返す行進曲へと変わりました。
広場を埋め尽くしていたネズミの海が二つに割れ、その道を派手な男が行進曲を吹き続けながら、町外れを流れる大きな川の方を目指して移動して行き、その後をウットリとした表情のネズミたちが従うように行進して行きました。
男は川にたどり着くと、吹いている笛をクルクルと回し始めました。
すると後ろを行進して来たネズミたちが、次々と川の中へと跳び込んで行きます。
川の中で溺れ死んでしまうのにも係わらず、躊躇う事なくネズミたちの死の行進が止まる事は有りませんでした。
やがて全てのネズミが川の中へと姿を消して行き、ハーメルンの町は、やっと住民が安心出来る生活を取り戻したのです。
男が町に戻ると、夜が遅いのにも関わらず大勢の住民から大いに歓迎されましたが、独りだけそれを喜ばない者がいました。
そう、それがこの町の町長です。
「これでは儂が悪者みたいではないか」
翌日、男が町長の所に来て、報酬の金貨を要求しましたが、町長は難癖をつけて払おうとはしません。
「お前のせいで、儂がこの町にネズミを呼び込んだみたいに成っているではないか。
そんな奴には金貨など1枚もやるものか!」
町長は男を無理矢理外へと、追い出してしまいました。
その日の夜遅く、全ての子供が寝静まる頃、また町の広場で不思議な笛の音色が、響き渡り始めました。
流れて来るメロディもリズムも、ナゼか不規則でハッキリとはせず、不明瞭な印象を聞く人に与え、大人たちは急に眠気に襲われ、そのまま寝入ってしまいました。
しかし、寝ている子供たちには別の影響を及ぼしました。
夢から目覚める事もなく、ベッドから寝ったままの子供たちが起き出して、家々から外へと出て来ました。
そしてネズミの時と同じように、町の広場を目指して歩いて行きます。
やがて町の噴水の広場には、集まった32人の子供たちの姿が見え、派手な男が吹く不思議な笛のメロディの後に従って、子供たちも町から姿を消して行ったのでした。
早朝、子供が消えた家の親たちが、町長に詰め寄った。
「町長、あんたがネコを禁止にしたせいでこの町にネズミが増え、俺たちは大きな被害を被ったのに、あんたは何もしないどころか、ネズミを退治して呉れた笛吹き男に支払う金貨を出し惜しみ、それで怒らせて俺たちの子供を攫われてしまったじゃないか。
これじゃ、あんまりだろ。
姿を消した子供たち32人を明日中に見つけ出さねば、あんたをこの町の噴水の所に磔にして住民全員で殺すからな、死にたくなかったら早く子供を見つけて来い!」
+ - × ÷ = ¥
子供を攫われた住民たちが怒り狂う中、僕はハーメルンの町長に変身していた。
〈子供たち32人を明日中に見つけ出さねば、僕は住民に殺されるらしい。
無茶苦茶やな魔王〉
取り敢えず僕は広場へ向かう。
僕が行くと噴水の場所に、貼り紙がして有った。
『32人の子供たちは、町のどこかに隠れている。
早く見つけ出さないと、この世界から消えてしまうよ。
笛男より』
僕は町の教会を目指して駆け出した。
教会に着くと、直ぐに鐘楼の階段を駆け上がった。
息も荒く鐘楼の上から、ハーメルンの町並みを眺め回して見たが、子供が隠れているようすがどこにも見られない。
〈ただの『隠れんぼ』では、ないと云う事か〉
どこかで子供の笑い声が、聞こえた気がした。
僕は身を潜め、その場に隠れた。
息を殺す様に鐘楼の上から広場を見ていると、何か黒い塊が噴水の陰から飛び出して来た。
〈居た! 子供だ〉
子供たちは影に成って、陰に隠れているようだ。
〈なら影踏みだろう〉
僕は鐘楼を駆け下りて、噴水の広場まで走った。
「子供を見つけた!」
僕は子供が隠れていそうな場所を指差して、そう言うと、子供の影が物陰から逃げ出して来る。
僕がその影を踏むと、黒い塊は子供の姿へと変わった。
「まず一人目、見っけ」
それからも『隠れんぼ影踏み』が続いた。
子供たちの逃げるスピードが速い、と云うかこの町長のカラダが重くて足が遅く、なかなか子供たちの影が踏めない。
それでも僕は、影を逃げ場のない片隅に追い詰めながら、一人また一人と影を踏んで、子供たちを元の姿へと戻していった。
太陽が真上に昇る昼間には、隠れる為の陰や子供たちの影も短くなり、殆ど踏めなく成ってしまった。
僕が見つけ出した子供は、まだ12人だけだ。
陽が西に傾くほど影の長さも伸びて、足の遅い町長の短い足でも、何とか影を踏む事が出来き、見つけ出した子供の数も21人と成った。
残りの11人は、全員が素早くて足も遙かに速い。
それでも西の空が暮れ始め、影が驚く程長く伸び始めると、徐々に捕まえる事が出来始める。
だが陽が完全に沈めば、辺りは暗闇に包まれて、僕の命懸けのゲームも終わってしまう。
もう直ぐ陽が落ちる。
何とか31人まで子供の姿に戻せたが、後ひとりが見つけられなかった。
「何とかしないと、その子がこの世界から消えてしまう」
僕は焦って探したが、隠れる為の陰が長く伸びた広場には、陽が射す場所の方が少なく成り、その陽も弱く陰とそう変わらなく成ってしまった。
とうとう陽が落ちて、広場は暗闇に包まれてしまった。
僕の命も、あと僅かのようだ。
確か噴水に磔って言っていたよな。
僕は元の世界には戻れないようだ。
暗闇の中、力なく僕が広場の噴水に座っていると、急に辺りが明るく成り始めた。
夜空を見上げると、黒い雲の合間から満月が顔を出し始めていた。
足下を見ると自分の影が出来ている。
「最後の一人を見っけ」
そう言って僕は自分の影を踏んだ。
「とうとう見つかっちゃった」
子供は楽しそうに無邪気に笑っていた。
僕は子供の頭を撫でていた。
〈消えなくて良かったな〉
最後の子供は、ずっと僕の影の中に隠れていた。
僕にその確信が有った訳ではない。
むしろ『そうで有って呉れ』と云う祈る気持ちで、自分の影を踏んだのだ。
これで僕にもまだ生き返るチャンスが、残されているのかも知れない。