幸福の王子
僕の意識は、幸福の王子の世界を漂っていた。
この童話は、像に成った王子が自分の宝石を、不幸な人へツバメに届けて貰う話だ。
昔、青い海を見渡す、低い山の上に石を積み重ねて造られた小さなお城が建っていました。
山の斜面にも、レンガや石で造られた小さな家々が隣り合うように並んでいます。
この国の王様は、国民から愛される良い王様で、ひとり息子の王子も皆から愛され、大切に育てられていました。
その王子が突然流行り病に倒れ、看病の間もなく、亡くなってしまいます。
嘆き悲しんだ王様は、青い海を見渡せる場所に広場を作り、そこに亡き王子の石像を建設する事に決めました。
1月後に完成した王子の石像は金箔に包まれ、目にはサファイヤの宝石が、持つ剣にはルビーが埋め込まれていました。
この王子の石像には、亡くなった王子の魂が宿っていました。
青い海を眺めながら、ここで暮らす国民の楽しい話を聞いたり、楽しげに走り回る子供の姿を見る事が、ここにずっと立ち続ける王子の楽しみでした。
そんなある日、王子の前にツバメと名乗る少年が現れました。
少年はエジプトへ渡る途中に、ここへ立ち寄った商人の息子だそうです。
「ねぇ、王子様。
王子様はこの国に住む人たちの、幸せを願っているのかい?」
「もちろんさ、毎日ここに立って皆の暮らしを見守りながら、全ての国民が幸福な暮らしを過ごせるように祈っているのさ」
「そうなんだ。
でも、もし不幸な家庭が有ったら、王子様はどうするんだい?」
「私はこの通りここを動く事が出来ないからね、残念ながらただ見守って、その人の幸せを祈る事しか出来ないんだよ」
「じゃあ、僕が王子様の代わりに、幸せを届けて上げるよ」
「本当かい?
それなら私でも出来る事が、有るかも知れないな」
王子様は石像に成ったこんな自分でも、出来る事が有ると知って大喜びでした。
「実はここに来る途中の家で、熱で苦しんでいる子供を僕は見つけたんだよ。
その家は貧しくてね、お医者さんに子供の病気を診せる事も、熱を冷ます薬も買うお金がないんだ。
でも王子様の剣に付いているそのルビーを、渡す事が出来れば、きっと子供の熱も直ぐに治せると思うんだ。
王子様どうだい。早速僕が、その子のお家にルビーを届けて上げるけど」
「じゃあ悪いけどツバメ君、私の剣からルビーを外して持っていって呉れるかい?」
「よし、後は僕に任せて呉れたら大丈夫だよ」
少年は剣からルビーを取り外すと、城の有る方へと走って行きました。
石像の王子は首を回す事が出来ないので、その後少年がどのように行動したのか、分かりませんでした。
次の日、またツバメ少年が王子の所へやって来ました。
「王子様、昨日のルビーを家に届けたら直ぐに医者に診て貰い、高い薬も飲んで、子供の熱が嘘みたいに良く成ったんだ。
多分今頃は、どこかに遊びに行っているかも知れないな」
「そうなんだ、良かった。
これでひとりでも苦しむ人が減れば、私は嬉しいよ」
「実は王子様、僕はまた不幸な家を見つけてしまったんだよ。
今度は芸術家の家なんだ。
王子様は知っているのかな?
芸術ってとってもお金がかかる割に、少しも儲からないんだよ。
創る為のお金がないから、自分の作品を完成させる事が出来なくて、とても嘆き悲しんでいるんだ」
「そうなんだ、分かった。
私の左目のサファイヤを外して持って行って上げてよ」
「分かったよ王子様」
少年は王子のカラダをよじ登り、左目のサファイヤを外すと、左の方向へと走って行きました。
王子は左目を失ったせいで、少年の姿が直ぐに見えなく成りました。
また次の日もツバメ少年が王子の所へやって来ました。
「王子様、サファイヤを持って行ったら、芸術家は凄く喜んでいたよ。
作品が完成したら、必ず王子様にも見せに来るって言ってたよ」
「芸術家が、不幸に成らなくて良かった。
これからも良い作品を創り出して欲しいよ」
実は王子様には少年に頼み事が有りました。
昨夜、残った右目で不幸なマッチ売りの少女を、自分で見つけてしまったのです。
その少女は、父親から殴られていました。
マッチが売れないとお金が入らないので、自分が飲むお酒が買えないからです。
「その不幸なマッチ売りの少女に、私の残りの右目のサファイヤを、外して家まで届けて欲しいんだ」
「分かったよ王子様、早速届けて来るよ」
少年は、また王子のカラダをよじ登り、右目のサファイヤを外し終わると、少女の家がどこに有るのかも聞かずに、走り出して行きました。
王子は両目を失ったせいで、少年の姿が全く見えません。
少年は既に少女の家が有る場所を、知っていたのでしょうか?
「そりゃ知ってたさ。
僕は王子様の目の代わりだからね」
それから少年は王子様の目と成って、代わりに国中で起きた出来事や、国民の暮らしぶりを面白可笑しく話して伝えていました。
少年がまた貧しい人を発見しました。
でも王子様には、もう宝石は付いていません。
「カラダの金箔が、まだ残っているじゃないですか。
王子様、これを剥がせば、また貧しい人を助ける事が出来るよ」
それからは、王子様のカラダを包んでいた金箔が、少しずつ剥がされて、下に隠れていた石肌が露わに成って行きました。
数日後には全ての金箔が消え去り、王子様はただの薄汚れた石像と成ってしまいました。
やがてこの国の季節が冬を迎え、暗い空から降る雪が王子様の石のカラダにも降り積り、何だかとても寒そうに見えました。
そこへツバメ少年が現れました。
「もう冬が来たから、僕はもうこの国から出て行かなくちゃ成らないんだ。
だから最後に、一番不幸な人を王子様に紹介してあげるよ。
その人は大切に育てられた優しい人でね。
他人を疑う事を、きっと知らないんだよ。
だから簡単に、僕に騙し盗られてしまった。
僕は少年のようにカラダが小さいけれど、これでも立派な大人なんだ。
今まで王子様から頂いた宝石や金箔は、どの不幸な家にも届いていないよ。
つまり王子様は誰ひとり幸せには出来ていないんだよ。
これでよく分かっただろう。
この国で一番不幸な人は、王子様自身なんだよ。
自分から自分自身を不幸にしているんだから、凄く愚かだよね。
動けないんだから、他人の事なんか放っておけば良いのに、はははっ、笑えるよね」
「王子が国民の幸せを願うのは、当たり前の事じゃないか。
目の前に不幸な人が居たら、助けの手を差し伸べるのが、人の思いやりじゃないか。
その思いやる心を嘲笑うなんて、これじゃあんまりじゃないか」
+ - × ÷ = ¥
幸福の王子の悲痛な叫びが終わる頃、僕は少年に化けたツバメへと変身していた。
〈今回はどうする?〉
王子が見つけた不幸なマッチ売りの少女以外は、全部コイツの嘘だろうから、少女だけ見つけ出して宝石を渡せば良いのか?
でも例えあの家に宝石を届けても、全部お酒に変わるだけで、少女が幸せに成る事はないと思うけどな。
バキバキバキッ
なんと石像の王子が動き出した。
台座と繋がっていた両足が、足首の箇所で折れ、バランスを崩して四つん這いへと変わった。
王子は四つん這いの状態で歩き始める。
時々王子のカラダから、崩れた石が剥がれ落ちて来る。
〈まさか、マンガ的展開か?〉
そう思う間もなく、王子の穴目が僕の方を向き、アゴがゆっくりと下に移動した。
飛び出した灼熱の閃光ビームが青い海を左から右へと薙ぎ払い、海に濛々《もうもう》と湯気煙りが立ち昇る。
王子の首が固定されているお陰で、僕を狙った殺人ビームが頭の上を通過して行った。
王子は両手を腕立て伏せをするように折り曲げ、お尻を持ち上げて僕が居る方向へと狙いをつけていたが、僕が人々の中へと紛れて隠れると、殺人ビームを発射するのは諦めたようだ。
王子に国民を犠牲にする気はないようだ。
その代わり僕を追って、四つん這いで歩き始めた。
家を壊さないように歩く王子の石像のカラダから、ポロポロと剥がれ落ちた石が落ちて来る。
歩く手足も地面に擦れて、削り取られて短く成って来ている。
逃げる僕に追いつく手前で、王子の石像のカラダが完全に崩れ落ちてバラけてしまった。
動かなく成った王子の石像の欠片を、不思議そうに国民が取り囲んでいたが、時間の経過と共に人々は王子の事を忘れるように、自分の家へと帰って行った。
僕はしばらくの間、王子だった石像の欠片を眺めていた。
なんか、このまま終わってしまうのが嫌だったのだ。
これじゃ騙された王子が、あまりにも哀れに感じた。
僕は王子の顔の穴目の部分を拾って、山の頂上目指して登って行った。
山の頂上には大きな大木が聳え立っていたので、僕は苦労して木登りをし、木に出来た洞の中に王子の穴目の部分を置いて、そこに取り出したサファイヤの宝石をはめ込んだ。
ここなら、国全体を見下ろす事も出来るだろうし、王子も国民の幸せを願って祈る事も出来るに違いない。
山の頂上の大木の下には、ずっと海まで続く石造りの家々と、その先には青い奇麗な海が横たわるように広がっていた。
最後に取ってつけたようなハッピーエンドが有るが、この童話が僕は好きでない。
これは自己犠牲を払っただけの、ただの悲劇の物語だからだ。
これでは誰も幸せには成れないと思うし、これで『幸福の王子』なら、あまりにも皮肉が効き過ぎている。
神様は簡単に『善い行い』をしろと云うけれど、親切はすれば良いってもんじゃないと思う。
人間は直ぐに慣れて習慣づくと、それが当たり前だと思い込む。
親切も続けば、それが当たり前だと甘え、要求して来る愚かな人間さえ居るのだ。
誰にでも親切にすれば、ツバメのような人間が寄って来るし、王子のような自己犠牲をしてまで親切にする事は間違いだと思う。
親切をするのは、出来る範囲で、程々で良いと僕は思う。