2年越しの事実
2年前に見た、懐かしい景色が視界に入る。
春香と桜、彼女達と歩いたことのある道を、今、俺は歩いている。
そして、
思い出の記憶と、目の前にある街並みを照らし合わせながら、
俺は、春香と桜の家の前に立った。
国道から少し逸れた小さな川沿いに、3軒並んで1番北側に建っている家が、2人の住んでいる家。
2階建て、のごくごく普通の一軒家だ。
表札は杉琴のまま。
引っ越しては、いないんだな…
今のこの状況は、俺に会いに来た春香を思い出させる。
あの時、春香はどんな気持ちで、何を考えてあそこに立っていたんだろう。
……
…
横から声が掛かることは無いか…
周囲に人が居ないか見まわした後、俺は意を決してインターホンを押した。
「はーい」
家の中から、年配の女性の声が聞こえてくる。
春香達のお母さんだろうと身構えていると、
「どちら様でしょうか?」
玄関からドアを開けて出てきたのは、俺の知らない女性だった。
「すみません。春香さんと桜さんの友達で朝日一馬と言います。 今日は春香さんに用が有って来ました」
「ああ、あなたが一馬さんね。私は桜ちゃんたちの叔母の杉琴美佐江よ、でも何故家に? それに、桜ちゃんじゃなくて春香ちゃんに用があるって、どういう意味かしら?」
やっぱり親戚の人だったか、
俺の事を知っているのも、3年も手紙を出していれば別におかしくは、ないよな。
だけど、どういう意味って、どういう事だ? 特に変な事は言ってないよな?
「そ、そのままの意味です。春香さんに用が有って来ました」
「…… そう…」
春香の叔母さんは、返事を俺に返すと、
「ちょっと待っててね」
と、家の奥へと入っていった。
そして数分後、再び玄関へと戻って来ると、
「春香ちゃんのお母さんと繋がってるわ、どうぞ」
と、携帯電話を俺に手渡した。
「あ、はい」
俺は渡された携帯電話を耳に当て、『もしもし、朝日一馬です』と、電話の向こう側の、春香のお母さんのである、杉琴由美子さんに声を掛けた。
(一馬君… ごめんなさいね。わざわざ家にまで来てもらったのに、私がそこにいなくて)
「いえ、僕が勝手に来ただけですから、むしろそちらの都合も考えず申し訳ありません」
「ううん。。そんな事は全然気にしないで、それより一馬君。桜からは春香の事、なんて聞いてる?」
「桜さんからですか? 桜さんからは特に何も聞いていませんが、春香さんからは桜さんの事は聞いています。手術も上手くいって順調だとか」
……
由美子さんは俺が話した後、しばらく沈黙していた。
どうしたんだろうと、俺俺話し掛けようとした時、ようやく返事が返って来た。
(今からあなたに春香の事を話すわ、でも、その前に1つ約束して欲しい事があるの)
「約束ですか?」
(ええ)
由美子さんの声のトーンが凄く低い。
自分の娘の事を話すだけなのに、随分と慎重になっている。
春香に何かあったのか? それとも、俺には話しにくいことなのか。
それに約束って…
不思議に思い、気になったが、直ぐにでも春香の事が知りたくて、俺は由美子さんの言うことに肯定して返した。
「分かりました。約束します」
由美子さんは、また少し沈黙した後、ゆっくりと話し始めた。
「桜の事なんだけど、悪気は無かったと思うの、嘘をついたことはいけないわ。だけど、余り責めないであげて、約束できる?」
「え? あ、はい…」
責めるも何も、俺はこの3年間、春香と手紙でしかやり取りはしていない、嘘を付かれる状況なんて無いはずなんだが。
「じゃあ、言うわね。あの子は、春香はもう、生きていないの。2年前に交通事故で亡くなったの」
「…… ちょっ、ちょっと待ってください! 一体何を言ってるんですか。春香が亡くなったって… おばさん、一体何を」
「落ち着いて一馬君。順を追って話すから」
「だって、急にそんな冗談言われても!」
「… 一馬君…」
由美子さんは、悲しそうにも、申し訳なさそうにも聞こえる声で、俺の名を呼んだ。
その声が、少しだけ、俺を冷静にさせてくれた。
「あ… すみません…」
「いいのよ、落ち着いてとは言ったけど、難しいわよね。私もそうだったから、冗談であって欲しい、嘘であって欲しい。何度もそう思ったもの、でもね、一馬君。今話したことは本当の事よ、春香はもう、いないの」
由美子さんがその言葉を口にして以降、俺は『はい… はい…』と、相槌を打つ事しか出来なかった。
何かを口にしたくても、上手く言葉にならなかった。
由美子さんは、俺が分かり易いように、ゆっくりと丁寧に春香の事を話してくれた。
だけど、
俺の頭の整理と理解が追い付かない。
3年間、いや、春香が死んでから2年間、手紙を送っていた相手は、春香じゃなくて桜だった。
千葉にいる俺に会いに来たのも、春香じゃなくて桜だった…
春香の死だって、受け入れる事が出来ないのに…
頭がおかしくなりそうだ。
気が狂って、変になりそうだ。
聞きたい事は沢山あるのに、何から聞いていいのか分からない。
ただ、由美子さんの話の終わりを、待つ事だけしかできない。
どの位の時間、由美子さんの話を聞いているのだろうか?
短い時間なのか、長い時間なのか、それさえも分からない。
3年間の情報を、1日に満たない時間で無理やり頭に押し込まれたような感じがする。
頭の整理が追い付けず、由美子さんの話は殆ど記憶に残らなない。
はっきりと意識して覚える事が出来たのは、春香が交通事故で死んでしまった事と、桜を含める由美子さん達、家族は、数か月前に引っ越していて、もうこの家には居ない事だけだった。
由美子さんは最後に、
(あの子達も一馬君には感謝してると思う。仲良くしてくれてありがとう)
と、俺に告げて電話を切った。
それは、お別れの挨拶としか取れない言葉だった。
俺には何も言わせてくれなかった。
いや、そうじゃない。俺からの話を、聞く余裕が無かったんだ。
由美子さんの声は途中から震え、弱々しくなっていった。春香が死んだ時の事を思い出して泣いていたんだと思う。
そんな由美子さんに、俺は何かを聞く気にはなれなかった。
言いたいことを言う気にはなれなかった。
通話の切れた携帯電話を持ちながら、ここでやるべき事はもう無いんだと実感した俺は、美佐江さんに、
「失礼しました」
と、頭を下げ、春香達が住んでいた家を後にした。