流れる月日の違い
4月から学校が始まり、新しい学生生活がスタートを切った。
小さい頃から親の都合で転校を繰り返していた朝日家だが、俺が高校生になった事で、今は借家で妹と一緒に2人で暮らしている。
両親は今現在、海外に赴任中。
仕事だというのに、俺と静奈が日本に留まりたいと言い出したら、何の心配もせず、新婚旅行の気分で飛行機に乗って日本を発ちやがった。
まぁ、俺も静奈も一からの友達作りに疲れてたしな。特に不満はない、むしろ大満足。
もちろん、家事など大変なこともあるけど、そこは静奈と2人で協力して上手くやりくりしている。
今日なんかも部活が終わり次第、1人でスーパーに寄って今夜と明日の弁当のおかずを選んでいる最中だ。
静奈曰く、俺は良いお嫁さんになれるとの事。
……
一応、褒めてるんだよな?
豚肉の入った買い物袋を提げ、『今夜は豚カツだ!』と、上機嫌で帰宅すると。
「ん?」
家の門の前で、制服を着た他校の女子高生と思われる生徒が、右手を胸元に置いて我が家を思い詰めた表情で見つめていた。
一瞬、もしかして春香!? と思ったが、それは無いだろう。
今日来るなんて手紙には書いてなかった。
行き成りのサプライズは好きな性格だとは思うが、相手の都合の確認もなく動くタイプじゃない。それに何より、見た目が全然違う。お転婆娘の春香と比べると、余りにも清純すぎる。
家の前にいる少女は髪が長く、落ち着いた生徒会役員といった感じ。
春香は髪が短く、落着きの無い運動部のイメージ。
うん、春香ではない。
俺達が借りる前に、この家に住んでた人だろうか?
「あのー」
声を掛けずらい雰囲気ではあったが、あそこにずっと居られては俺が家に入れない、とりあえず退いてもらおう。
家に何にか思う事があるなら少し上がってもらってもいいか、等と考えながら声を掛けた。
すると、
「「え!?」」
横顔を見せていた彼女がこちらを向き、正面から目が合うと、俺と女子生徒は間の抜けた『え!?』が、同時に自然と口から出た。
女子生徒はともかく、俺の口から間の抜けた声が出るのも当然だ。
目の前の女子生徒は、俺がついさっき出した結論と違い、遠く離れた今も親友として関係を続けていてる、異性の幼馴染なのだから、
おまけに予想を超えた変わり具合。主観では可愛い部類に入っていたと思われる2人、将来は美人になるかもが、既に美人になっていた。
その幼馴染が約束も無しに突然の自宅訪問、驚かないわけがない、変な声が出ないわけがない。
全く、心の準備くらいさせろってんだ。
横顔だけじゃ分からない程、大人びて成長してるじゃねぇか!
……
しかし、
まずいな、非常にまずい。
今この場において、大変な問題が発生してしまったぞ。とてつもなく大変な問題が、
ぐっ… 月日とはほんと平等じゃないな、俺なんか見た目も大して変わってないというのに、
さぁ、目の前の幼馴染、彼女は杉琴春香と杉琴桜。
どっちだ!!!
パッと見の印象は清楚、桜か?(って、これは安直且つ春香に失礼だな)
けど、桜は1人でアポなしの自宅を訪問を出来るようなキャラじゃない、内気で引っ込み思案の桜にしては行動的すぎる。
だから、最初から桜だという選択肢は無かった。
となるとやっぱり春香?
しかし見た目が… くそっ、せめて髪の長さが当時と同じだったら良かったのに。
ショートの春香とミディアムの桜に対して、目の前の少女はロング。
そういう変化は手紙に書いておくか写真で送っておいてくれ!
うーん……
仮に間違えたとしても、桜なら笑って許してくれるだろうが、春香を桜と間違えた場合、蹴りの2、3発はもらう覚悟をしないといけない。
だって、小学生の時そうだったんだもの!
ここは当てに行くより身の安全を考えるべきだな。
俺は蹴りを回避する為、春香案で行く事にし、『春香』と口に出そうとした。
だが、それよりも早く、
「一君」
先に俺が名前を呼ばれてしまった。
(う…)
意表を突かれた形になり一瞬たじろいだが、
(あ!)
この時、忘れていた記憶が蘇った。
そうだった! 春香と桜、敬称の君のイントネーションがそれぞれ違うんだった。春香は君の”く”のアクセントが若干桜より強い。
そして、今の『一”君”』は強い方の『一”君"』。
「春香!!」
思わず大声でその名を叫んだ。
まるで、難問クイズの答えをやっとの思いで導き出したかの様に。
その結果、
「………」
今度は春香が半歩後ろに下がり、たじろいでしまった。
「「………」」
何とも言えない空気が周囲に漂う。
何だこれ… どうしようこれ…
お互いに口を閉ざし、見つめ合ったまま動かない。
(動け、動け、動いてよオオオオオ)
自分にそう言い聞かせるが、頭が上手く回らずどう動いていいかわからない。
結局、先に動いたのは、また春香の方だった。
「プッ」
と吹き出した後、春香は『ハハハ』と少し猫背になりながら両手を口に添えて笑った。
「もう、そんなに大きな声出さなくても聞こえるよ」
少し照れ臭そうに、呆れたそびれを見せて笑いかけてくる春香。
「そ、そうだよね。ハ、ハハ…」
こっちは普通に照れ臭い、というか恥ずかしい。
「変わらないね。一君」
「ま、まぁな」
またどもったよ…
言われなくても変わってない事は俺が一番分かってるっての、それに比べてお前は変わり過ぎ、何だ今の笑い方は、手で口を隠すとかそんなアクション昔は取ってなかったろ、わんぱく少女は何処に置いてきた。
やりにくいったらありゃしない。本当に春香か? 実は桜とかいう落ちはないよな?
「久しぶり、元気だった?」
「ああ、元気だよ。って、手紙にもそう書いてたろ」
「あ、そうだったね」
テヘッと小さく舌を出して片眼を瞑る春香。
おいおい、お前は誰香? 小悪魔的な仕草にドキッとしてしまったではないか。
「急にどうしたんだよ。来るなら来るって言ってくれればいいのに」
「ごめんね。急に一君を見たくなっちゃって、つい」
「つい見たくって… 変な言い方だな。俺は文化遺産か何かか?」
「文化遺産? 一君そんな大したもんじゃないでしょ」
「ひでっ、突っ込むとこそこ?」
「だってー」
「全く」
「はいはい」
このやり取りの後、俺と春香は一瞬沈黙し『ハハハ』と笑った。
なんだ。少し大人びて見えたけど、中身はあの頃のまんま俺の知ってる春香だ。
懐かしいな、この冗談交じりのやり取り、たまに言い合いにまで発展したりしてたっけ。
最後は何時も言い負かされてた記憶しか無いけど…
ふぅー
段々と落ち着きを取り戻し、よくわからない緊張感も解け、まともに喋れるようになってきた。
だというのに、春香から予想外の言葉が飛び出る。
「それじゃあ、私そろそろ帰るね」
「ああ、気を付け… え! 帰る? もう帰るの?」
「うん。電車に間に合わなくなっちゃうから」
「春香、一体何時にこっちに来たんだ?」
「えっと、お昼過ぎ。1時位かな」
「1時!? 今は夜の7時過ぎなんだけど、ほんと何で連絡してくれなかったんだよ」
「ちょっと、一君。乙女にはいろいろと事情があるの、一々詮索しない」
「え、えええええ!?」
そういうもの? 乙女の事情ってそういうもの?
俺にデリカシーが無い!?
思わずオドオドと狼狽えてしまう。
その間にも、春香は駅に向かって歩き始めようとしていた。
「待って、駅まで見送るから!」
「いいの?」
「いいよ、それくらい当然だろ」
歩き始めた春香の横に並び、歩調を合わせる。
「フフ、当然か、相変わらず優しいね。でも、それは置いて行ってもいいんじゃない?」
そう言って、春香は俺が手に持っている買い物袋を指差した。
「あっ、すぐ戻る!」
袋の中身は豚の生肉、駅まで持っていったら確実に腐りそうだ。
俺は家のドアを開け、
「静奈! これ今夜のオカズ。ちょっと出かけて来るから煮るなり焼くなり揚げるなりしといて!」
豚肉の入った袋を玄関に投げ入れると、直ぐに春香の元まで走った。
(一君… 本当に変わってないなぁ)
春香はその場を動かず、待っていてくれた。
当たり前の事なんだけど、何故かその時、急いで戻らないと春香が消えていなくなってしまうんじゃないか。
そんな風に思えた。
「行こっか」
「ああ」
2人一緒に並んで歩くと、春香が俺の顔を見て、
「背、伸びたね」
と、羨ましそうに口にした。
「春香だって伸びたじゃん。女子では高い方だろ?」
「160ちょっと、女子だと平均より少し高いくらいかな」
「俺も170ちょっと、男子じゃあ… 平均だな」
「中学までは同じ位だったのにね」
「中学って、中2の時の話だろ」
「うん。あの時までは同じ身長だった。やっぱり男の子なんだね、一君は」
「そりゃあ、男の子だからな」
「うん。男の子だね」
意味も無く同じ単語を繰り返す。
久しぶりに会った幼馴染特有の会話なのだろうか、妙に照れ臭い。
以前の春香からは、想像出来ない落ち着き具合と素直さのせいで、余計にそう感じてしまう。
それに比べて、少し背が伸びた以外は全く変わらない俺、正確には春香を見てるとそう感じるんだろうけど。
ほんと、自分だけ時が止まってたんじゃないかと思う。
女の子の方が成長は早いって聞くけどさ、見た目も中身も成長し過ぎじゃない?
世の中の女の子ってこんなもの?
家の静奈は俺と一緒で変化なしの気がするんだが…
俺と春香は、駅までの道のりを、初めて会った頃から今に至るまでの話を、行ったり来たりしながら歩いた。
俺が話を振り、春香が相槌を打つ。
春香の方からはあまり話をしてくれないから、もしかしたら見送ることが迷惑だったのかなと、不安になったんだけど。
「一君。手、繋いでもいいかな?」
そうでもないみたいだ。
左手を軽くギュっと握られ、そのまま一緒に歩く。
そこからは駅までは、何を話したのかよく覚えていない。
左手から伝わる春香の温もりが俺の思考をかき乱す。
手を繋いだ意図は何だ?
変な勘違いをしてしまうではないか!!
最寄り駅には歩いて20分程で着く。
新幹線乗り場まで送るよって言ったんだけど、それは悪いと断られてしまった。
微妙に遠い距離にある最寄り駅が、もっと遠くに在って欲しいと思ったのは今日が初めてかもしれない。
「今度は、俺がそっちに行くよ」
「うん。都合の良い日があったら連絡するね」
「お!? 俺が行くときは事前の確認が必要なんだな」
「乙女の事情ですから」
ぐっ、理不尽なのにそれを言われたら何も言い返せない。理不尽なのに。
「そう言えば、タイムカプセルを埋めた神社、まだあるよな?」
「タイムカプセル?」
「ほら、最後に長野へ遊びに行った時、神社にある木の下に一緒に埋めたろ。当時の流行りの玩具やお菓子なんかを入れた箱を、あの神社、何て名前だっけ? 確か…」
「一色神社」
「そうそう、一色神社! おんぼろ社の神社だった。まだあるよな? タイムカプセル無事だよな?」
「うん、あるよ。神社もタイムカプセルもちゃんとあるよ」
「そっかぁ、それは良かった良かった」
「一君。タイムカプセルを開けるにはまだ早いんじゃない?」
「いや、別に直ぐに開けようなんて言ってないだろ。無事かどうか確認しただけさ」
「大丈夫だよ心配しなくても、あの神社は年末年始や夏のイベントでは大活躍だから」
「なら安心だ。そう言えば、あの一色神社って、何かご利益のある神社だっけ?」
「縁結び。それも願いを叶えてくれる迷信付きの、人生で一度だけ、会えなくなった人に会わせてくれる願いを、ていうか一君。私その事話したよ。タイムカプセル埋めた時に」
「あれ、そうだっけ?」
「そうだよ。酷いなぁ、その時に聞いたのも覚えてないの? 会いたい人いる?って聞いたの」
「まじか!?」
「まじだ!!」
「お、おお… そうか…」
全く覚えてないんだが…
「そん時、俺なんて答えた?」
「教えて欲しい?」
「まぁ」
「それはね」
「うん」
「ひ・み・つ」
「はあああ!?」
春香はまたもや舌を軽く出し、小悪魔的仕草を取った。
「ぐぬぬぬ」
「思い出してごらん。自分の答えを」
春香から答えを出す為に数分の時間をもらったのだけど、結局、俺は思い出せなかった。
「はぁ… がっかり。一君にとって私との想い出なんてそんなもんなんだね」
「ごめん… だってさ、春香や桜にはこうやって会えるだろ。今一会えない人ってのが思い浮かばなくて、その、今は満足してるというか、願いは叶ってるというか…」
「じゃあ、宿題ね」
「宿題?」
「うん。今度会う時までの宿題」
「分かった。次、会う時までには思い出しとく。逆に聞くけどさ、春香はいるの? 会いたい人」
「どうかな?」
「どうかなって…」
「じゃあ、それも宿題」
「えええ!? あっ ちょ…」
春香は笑顔を見せると、俺に背中を向けて改札口の中へと入っていってしまった。
「元気でね。一君」
「ああ、春香もな」
「うん」
春香はそのままホームの奥へと歩いていく。
その間、彼女は一度もこちらを振り向くことは無かった。
それとは対照的に、俺の方はというと、春香が電車に乗って姿が見えなくなるまで視線を逸らさなかった。
「またな。春香」
一君
君は本当に変わらないね
あの時言った言葉、そのままだったよ
一君…
私の願いはね
今日
叶ったよ
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春香と再会してから2日後、
彼女から手紙が届いた。
封の中には、短い文章が3行で書かれている紙が1枚。
ごめんね。もう会えない。
今までありがとう。
さようなら