第三話『クロノスは氷の神であったか』 1
この冷たい世界が、神の作ったものだとすれば。
それが出来るのは、氷の神ではなく、時の神であろう。
「なあ……セツナ兄ちゃん」
ある日、私は《発掘人》として一件の依頼を受けた。
依頼人は、小学校高学年ほどの年齢の少年。名前は《皐月シュン》。暗く閉ざされた雰囲気が満ちた《箱舟》において、ムードメーカーとも呼べる存在だ。
「街の教会に行って……父さんが大事にしていた”本”を探してほしいんだ。えっと……赤だったかな、青だったかな……」
「本……ですか。シュンくんのお父さんは、確か牧師さんでしたよね?」
「うん……皐月バンダイ。”あの時”は、教会に居たんだ。春祝祭の、鐘つき係で」
私の胸の高さほどもない背丈の少年が、肩を震わせて涙を堪えている。
これ程の幼さの彼にすら、等しく運命は訪れたのだ。
「父さんはいつも、オレにあの本を読めって言ってた。カミサマが言ったことを纏めた本だって。オレは、そんなもの信じてなかったけど」
「神様の本……聖書ですか」
「信じてないけど……読んでおきたいんだ。だから、お願いします。食べ物は、用意するので」
少年は、深々と頭を下げてきた。
「つまり、依頼の内容は、教会にある本を取ってくること、ですね? 分かりました……引き受けましょう」
シュンの顔が、明るく輝く。
こんな顔を見たのは、いつ以来だったか。私は少し感傷的になりながら、準備を始めるために屋根裏に上った。
「仕事ですか、セツナさん」
薄暗いその部屋では、水色の少女が古びたプラスチック製の椅子に腰かけて私を待っていた。
彼女の名は、《霜月トワ》。この凍った世界で、私が出会った謎多き少女だ。
「ええ……今回も、ついて来るんですか?」
「ご迷惑になるでしょうか」
「いえ、大丈夫ですが」
私がこの屋根裏部屋で彼女と同居生活を始めて以来、彼女は何故か毎回、私の仕事について来る。
この少女を屋根裏部屋で一人にしておくのも不安なので、特に拒んではいないが。何分こちらも危険の伴う作業なので、心配に思われるのだ。
「今回の目標は、教会にある聖書です。赤か、青い本……と言っていました。割と近場なので、油と食料は少しでいいと思いますよ」
「聖書……”かみさまのほん”、ですね」
「かみさまの……? まあ、そうではありますが」
まるで小学生のような呼び方だ、と訝しんだところで、目の前に居る少女はそれくらいの年齢であったことを思い出した。
「私、本は好きです。情報を保存する媒体としては、この上ない利便性があると思います」
声の調子は年相応の無邪気さを含んでいるのだが、その内容は、理解しにくい。
「でも、セツナさんはその本を氷から取り出してしまうのですよね」
「ええ。いつもやっていることです」
私が手袋を嵌めながら答えると、トワは少しだけ寂しそうな顔をする。
この少女は、私が氷を砕く仕事に就いていることを快く思っていないのだ。
「折角、”永遠”が訪れたのに」
一度、そう言われたことがある。
“永遠”の渇望は人間の望み。確かにそうかもしれない。
彼女の目からは、《箱舟》にいる人間はどう映っているのだろうか。”永遠”の裁きから逃れた人々は、不幸なのだろうか。彼女が来てからというものの、そう物思いに耽ることが多くなった。
しかし、今確かに、私は一人の少年が”永遠”を拒む様を目にした。今までも、何件もの依頼をこなしてきて、少なくとも彼らの行動は間違ってはいなかったと信じている。
だから、私は彼女にはこう言うようにしている。
「私は、忘れてはいけないことを思い出す手伝いをしているだけです。それ以上でも、それ以下でもありませんよ」
私がそう語りかけると、トワはその整った顔を俯かせた。