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第二話『氷山の一角の生命』 2

「ただいま、帰りました」


 応接間のテーブルに、今日手に入れた食料が入った袋を置きながら叫ぶ。今回行ったのはテナントビルで住宅ではないため、乾パンや果物などが主だ。


「おお、セツナ君。無事でよかった」


 すぐに所長室からゾウジが現れ、ねぎらいの言葉をかけてくれた。頭に置かれたその手は暖かく、私は家で母親と珈琲を飲んで談笑していた父親の姿を思い出す。

 私の声を聞いて、建物中の人々が応接間に集まった。部屋いっぱいにコートの毛皮の匂いが広がる。


「今回の収穫は……ふん、まあまあか。切り詰めて全員で分ければ、五日は持つな」


 袋をのぞき込んでいた白髪の老人が、食料の計量をあっという間に済ませて帳簿に何かを書き込んでいる。

 彼の名は長月シュユ。さる企業の社長だったらしく、《箱舟》のリソースの管理はゾウジと彼が担っている。人付き合いは悪いが、実力は確かで仕事も質が高い。


「ほら、賃金だ。これからも精一杯働け、《発掘人》」

「はは……それじゃ、私は部屋に戻るよ。何かあったら呼んでくれ」


 ぶっきらぼうに渡された乾パンを二つ貰ってから、にぎわう応接間の中にとある人物の姿を探す。


「ショウトさん、師走ショウトさん! 依頼の品のことですが!」

「ああ、セツナさん!」


 私の姿を見つけて駆け寄って来たのは、眼鏡をかけた社会人の男性だった。

 私は例のビルで手に入れた、家族の写真立てを彼に手渡す。


「こちらで間違いありませんか?」

「これです、確かにこれ、これが、私の家族の写真です! 本当にありがとうございます!」


 震える手で、輝く顔で、彼は写真立てを押し抱く。しかし、その目が少しだけ曇った。

 

「……しかし、もう戻らないんですねえ」


 突然に語調を変え、しみじみと呟く。それから彼は慌てたように目元を拭い、リンゴを一つ渡してきた。


「ほ、報酬です。本当に、ありがとうございました」

「はい、確かに受け取りました」


 私は屋根裏に戻ることにした。この後は、彼自身が考えることだ。


 静まり返った屋根裏の部屋には、今日出会った少女がぼんやりと座っていた。男物のコートとジャージに身を包んで、水色のマフラーまで巻いている。ああ言っていたが、やはり寒かったのだろうか。


「お待たせしました、トワさん。乾パン食べますか?」

「はい」


 相変わらず受け答えは素っ気ないが、私が差し出した菓子を頬張る姿は、年相応の少女の印象を与えた。

 私は彼女の存在を、《箱舟》の人々には言わないことにした。理由は二つある。

 一つは食料の問題だ。他の人より多くの食料を得られる私は彼女に食べさせてやることは出来るが、もし住民にこのことを話せば彼らの食料を削って分配しなければならなくなる。それは申し訳なかった。

 と言っても、それは言い訳に過ぎないのかもしれない。本当の所は――


「ごちそうさまでした」


 こちらに冷たい眼差しを投げている、この少女のことを信用出来ていないからだ。


「それじゃあ、幾つか質問させてください、トワさん」

「分かりました」

「まず、あなたは何故あそこに倒れていたんですか?」

「分かりません」


 余りにもすぐに返ってきた答えに、私は面食らってしまった。


「分からないって……どうしてですか」

「記憶がありません。把握していることは、私の名前が霜月トワであることだけです」

「……親御さんも?」

「……はい」

「それは……また、なんとも……」


 表情を微塵も変えずに、淡々と言ってのける少女に、私は頭を抱えてしまった。


「それじゃあ、何故自分が凍っていなかったのかも……?」

「分かりません。“凍る”という現象がどのようなものか、正確には把握していませんが。そもそも、この世界はもともとこういう状態だったのではないのですか」

「本当に記憶がないみたいだな……」


 それにしては取り乱す様子がないが、この少女は超常的な精神構造をしているのだろう。私の思考はそんなことしか考えられないほどに停滞していた。


「それでは、私からも一つ質問しても構いませんか?」

「え、はい、何でしょう」


 声音を少しも変えずに、トワは私に問いかけてくる。


「あなたの名前は何なのでしょう?」

「……えー、っと」


 新手の冗談なのだろうか、と思った。私は自己紹介をした筈だ。しかも、今まで普通に話していたではないか。

 余りの出来事に硬直する私に頓着することなく、トワは言葉を重ねてくる。


「何故私はここにいるのですか? ここはどこですか?」

「……もしかして、記憶がなくなっているだけじゃなくて、すぐに忘れてしまうようにもなっているのか……」


 この少女本人も、それを取り巻く状況も、一筋縄ではいかないらしい。

 兎にも角にも、これでは話が進まないので、私は私物から手のひら程の大きさの手帳と筆記用具を取り出してトワに手渡した。


「えっと、私の名前は水無月セツナです。今この街ではありとあらゆるものが凍り付けになる現象が起きています。この建物は《箱舟》と呼ばれていて、この街で唯一凍っていない場所です。これを、もう忘れないようにメモしておいて下さい」

「つまり、これが私の記録となるのですね。大事にします」


 何故だかとても嬉しそうに、トワは驚くべき速さでペンを動かし始める。私にはこの少女の感情の琴線が理解できなかった。


「暫くは、屋根裏から出て人と話してはいけませんよ……何だか、想定していたものとは別の問題が起こる気がしますから」

「了解しました」


 こうして、氷漬けの世界での奇妙な共同生活が始まった。

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