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第十一話『終わらない終わりの終わり』

私達は彼らに思いを馳せることしかできない。

願わくばその旅路に、幸多からんことを。

 長い間、眠っていたような気がした。

 凍て付くほど冷たく、寒く、孤独な空間で、しかし至上の安心を感じていた。

 ……何かの音が聞こえる。

 硬いもの同士を叩き合わせるような、音が。眠りを阻害する。

 誰かの声が聴こえる。

 私の名前を呼んでいる、彼女は誰だったか? 私の名前は何だったか? 記憶をどこかに置き忘れてしまったかのようだ。

 差し出していた右手に、熱が触れた。

 段々と、意識がはっきりしてくる。声が聴こえてくる。私の名前を呼ぶ声に……私は目を覚まして、答えなければならない。


「セツナ……」

「……はい」


 声を出した。

 目の前には氷の少女が、静かにこちらを見ている。瞳から流れ出した温かい涙が、私の手の甲を伝う。

 自由になった右手を、彼女の頭に置いた。


「……おはようございます、トワ」

「おはよう……ございます」


 ありがとうございました、と伝える。私を氷から助け出してくれた少女に。

 彼女は謝罪を以て返答した。


「私が……やったんです。どうやってか、分からないけど……私が……!」

「トワ……」

「一緒に死ねないって、いつか、居なくなってしまうって、それが怖くて、怖くて──」


 少女は泣き続ける。この世界に独りぼっちだった、永遠の少女……或いは今も、これからも、彼女は独りなのかもしれない。それこそ、永遠に。

 しかしだからといって、私を助けてくれた少女に、悲しい思いはさせたくなかった。私は右手を下に降ろして、彼女と同じ視線になるまで屈む。

 私はトワと同じ世界の住民になるわけには、いかない。だが──


「……私は“永遠”に、一緒にいますよ。トワ」

「本当……ですか?」

「貴方が、覚えていてくれるのなら」


 氷の仮面を付けているようだった少女の表情が、壊れた。

 彼女は再び泣き始める。もはや誰にも憚ることなく、大声で。十歳の少女のように、泣いた。

 大粒の雫が滴る地面から、奇妙な変化が起こり始める。


「氷が……消えて行く」


 永遠の象徴が、不変の戒めが、凍った牢獄が……まるで初めからそこになかったかのように、ゆっくりと、しかし確実に、その姿を溶けさせ始めていた。

 私の呟きを聞いた少女はひとつ大きくしゃくりあげると、無理矢理に涙を止めて叫ぶ。


「お母さん!」


 そして、部屋の隅に駆けだした……積まれた本の影に、女性が一人倒れていた。その頭部からは、真っ赤な血が流れ出している。明らかに致命傷だ。

 少女はその身体を抱き上げ、手慣れた様子で脈を測って……押しつぶしたような溜息を、一つ吐き出す。そこに込められた感情は苦悶のようでもあり、解放のようでもあった。

 よく見ると、その顔はお縁談との写真に写っていた女性によく似ていた。恐らく、トワの母親……そしてたった今、息を引き取ったのだろう。何も言わない少女に、私は声をかける。


「トワ、その人は……」

「いえ、セツナ……大丈夫です」


 そう言うと彼女は立ち上がり、その躯の前で体を強張らせて暫く目を瞑る。どの文化圏にも存在しない動作だが、そこに祈りが込められているのを感じ取れた。

 目を瞑ったまま、彼女はこう呟いた。

 分かりました、お母さん──



 私達は長い階段を昇り、地階を出た。時計塔の東に面した窓から、眩い光が差し込んでいて、私の眼に焼き付いた。

 外に出る……アスファルトも、ビルも、花も、虫も、次々と氷の戒めから解き放たれてゆく。私は空を見上げ、少女も空を見上げる。どこからか雲雀の声が聴こえてきて、そこでやっと実感が芽生えた私は頬を緩ませた。

 今まさに登ろうとする太陽の方角から、春の訪れを告げる教会の鐘が鳴り響いる──


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