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第九話『華氏-459度』 3

 〈箱舟〉のあちこちから、悲鳴が上がり始める。訳も分からず応接間へと駆けだした私の前に、倉庫からシュユが飛び出してきた。


「おい大学生! これはどうなっている!」

「わ、分かりません! ランタンが消えたんですか?!」

「こっちは消えてない、どこだってそうだろう!」

「い、今まで何ともなかったのに、一体どうして──」

「チッ……今はそんなことはどうでも良い。無事なランタンを応接間に集めろ! 全員だ! 応接間まで凍る前に、早く!」


 老人は怒声を上げ、慌てふためく人々に指示を出す。流石は人材を指揮する立場にあった人物、今までバラバラだった足音に、その一瞬から指向性が生まれたのを感じた。

 シュユはそのまま、両手に一個ずつランタンを持って応接間まで走り出す。

 私もそれに従おうとして……一瞬の逡巡の後、足を止めた。

 トワはまだ、屋根裏部屋にいる。


「いけないっ」


 直後、逆方向に駆けだした。今、あの少女を放置しておくのは余りにも危険だ。

 突然氷が勢いを増したことに、彼女かゾウジのどちらかが関わっているのは疑うべくもない。しかしそれ以上に、もしも、もしもトワまで、そこにいるのに、二度と声も聴けない、触れ合うことも出来ない存在になってしまったら……


(生きて、いけない……!)


 三段飛ばしで階段を駆け上って、凍り付いた扉を乱暴に叩く。


「トワ、居ますか、無事ですか!」

「……私はまだ凍っていませんよ」

「良かった……い、今扉を開けます。少し待っててください!」


 そう言ってランタンを掲げて、ハンマーを屋根裏部屋に置いたままであることに気が付いた。

 声にならないうめき声をあげて、私は扉に体当たりしようと後ろに下がる。しかしそこで、中から声がかかった。


「いえ結構です、私は窓から外に出ます」

「……ああ、そうだった。それじゃあ、外で合流して──」

「いいえ」


 その声は。氷越しに響いてくる、その声は。

 つい先ほどまで、私と笑い合っていた“霜月トワ”のものではなかった。


「時計台に行ってきます」



「所長のじいちゃん! マジでヤバいんだって、起きてくれよ、なあ!」

「クソッ……あの老いぼれ、こんな時に一体何をしている! 応接間だ! 聞こえないのか!?」


 所長室の扉の目の前では、老人と少年が大声を張り上げていた。中にいるはずのゾウジは、何の返答も返さない。

 彼の方にも何かが起こっているのを察した老人は、氷の扱いに慣れた男──〈発掘人〉の姿を求めて視線を巡らせたが、そちらも見当たらなかった。その口から舌打ちが漏れる、と同時に──


「どいて下さあああい!!!」


 直線の廊下の向こう側から、何かが大きな声を上げながら勢いよく所長室の扉へと近づいてきた。老人は慌てて、少年の手を引いて近くの部屋に身を隠す。

 その直後、硬い物同士がぶつかる破裂音が響き渡った。


「よっし! 開きましたよ、大成功です!」

「うわっ、マユラ姉ちゃん強え!」

「馬鹿! もう少し後先考えて行動しろ、危うく死人が出るところで──」


 老人の言葉にも耳を貸さず、台車を手に扉へと突っ込んだ少女は鼻高々の様子だ。

 二人の口論が始まる前に、いち早くこじ開けられた扉に身を入れたシュンが声を上げる。


「じ、じいちゃん!」

「どうなっているんだ、いった、い……」


 続いて部屋に入ったシュユは、言葉を失った。

 そこには、所長……神無月ゾウジが立っていた。薄く氷漬けになって、今にも街の人々と同じようになるだろう状態で。しかし、それ以上に彼を驚かせたのは、ゾウジが手に持っていたものだった。


「こいつ、喉元にナイフを……自殺でもするつもりだったのか」

「え、ええっ、自殺!?」

「ああおい! 子供は外に出てろ、コイツも一応応接間に……ショウト! こっちだ手伝え!」


 彼は高校生と小学生を部屋の外に追い出して、代わりに成人男性を一人呼びつけた。

 今にもナイフの切っ先を自分の喉に突き立てんとする姿勢で硬直した氷像を、ふたりがかりで台車に載せる。


「あいつは、薄く凍った程度ならすぐに戻る見込みはあると言っていたが……兎に角、このナイフは外しておくか」


 今まで何度も〈箱舟〉の外に出て、手違いから体の末端が凍り付いたことも一度や二度ではない少年。その経験則を信じて、シュユは彼を応接間へと運ぶ。

 〈箱舟〉中のランタンが集められたその部屋は、中央に据えられた巨大な篝火の効果もあってか、なんとか凍り付くことは免れていた。しかし、思わず身体を振るわせてしまう程の冷気が立ち込めた応接間にあって、それらの火はどれも弱弱しい。


「全員いるか確認しろ! 持ち出した食料は篝火の近くの机に! それから──」

「ねえ、セツナ兄ちゃんがいない!」


 真っ先に不在者に気が付いたのは、シュンだった。〈箱舟〉の管理の一端を担っていると言っても良い彼が、その場にいなかった。シュユはまたも舌打ちする


「あいつもこいつもすぐに居なくなりおって……おい大学生! 出て来い! 応接間だと分かっているの──」

「シュユさん!」


 廊下に顔だけ出した老人が大声を張り上げていると、廊下の角を曲がってセツナが駆けてきた。何か重大なことが立て続けに起こったかのように、その顔は辺りを包む氷よりも深く青ざめている。


「どこで遊んでるんだ、こんな時に!」

「す、すみません、だ、だけど……行かなきゃいけないところがあるんです!」


 彼を応接間に招き入れようとしていたシュユは、その言葉に目を剥いてセツナを睨む。

 応接間に集まった人々も、しんと静まり返った。


「おい……今どういう状況か、分かっているな。ここもどれだけ持つか分からないのだぞ、この中で砕氷が一番得意なお前が! 一体どこに行くって、ええ!? 許されると思っているのか!」

「そ、その……」


 老人の剣幕に、彼は黙り込んでしまった。

 五秒か、十秒……それ以上の時間を沈黙が埋めた後、老人は一つ溜息をつく。


「さっさと行って来い」

「え、だ、だけど」

「時間がないからさっさと行って来いと言っているんだ!」


 その口調は、先ほどまでセツナを詰問していたものと全く同じだった。しかしどこか、檄を飛ばすような感傷が紛れていた。

 驚いて顔を上げる青年に、シュユは畳みかける。


「いいか、これは投資だ! 私に利得をもたらすと踏んでこう言っているんだ、理解しろ! どうせお前は氷を砕くことしか頭にない、ここで自由にすれば!」


 そう叫んで、老人はセツナの方を強く揺すぶった。


「この街を“終わらせて”来てくれるんだろう、お前は!」

「……だけどまだ、確証が」

「百パーセント得をする投資があるか、馬鹿者!」


 無理に彼の体を回転させ、玄関の方に向かって背中を叩く。

 老人の眼には、確かな決意が浮かんでいた。


「分かったらさっさと行ってこい、ここでは時間がコストだ」

「え、じゃあ頑張ってください! ファイトー!」

「兄ちゃんがこの氷を無くしてくれるって、オレは信じてる! 神様だって味方してくれるぜ!」


 応接間から、次々と声が投げかけられる。そのどれもが、青年を激励するものだった。

 セツナは部屋を一瞬だけ振り返ると、強く頷いて、駆け出した。


「……さあ正念場だ! いいか気をしっかり持て気合を入れろ、私達は……」


「いつか必ず“死んでみせる”と!」


そこには隕石も、止まない雨もなく、戦争も飢餓も病もなかった。ただ、氷があった。

そして世界は、静かに終末へと進む。終わることのない終末へと。

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