第九話『華氏-459度』 2
「ゾウジさん!」
所長室に入るなり、私は部屋の主を大声で呼びつけた。
回転椅子に座る老人が、パフェを食べる手を止めてこちらを向く。
「やあ、水無月君。一体どうしたのかな、私に何か──」
「屋根裏部屋に」
感情的になっていた私は、相手の返答を遮って言葉を続けた。
「訊きたいことがあります」
「あ、ああ……」
呆気にとられた様子のゾウジの手を引いて、半ば連行するように廊下を進む。
「あれ、セツナ兄ちゃんと、所長のじいちゃん」
「セツナさん! 丁度いいところに、実はお菓子が──」
「後にしてください」
通りすがる人々の声を振り払って、私たちは進んだ。
そのまま足を止めずに、ゾウジと共に屋根裏部屋に続く古ぼけた階段を上る。扉の前で、老人は状況が呑み込めないという風に笑みを浮かべていた。
「もしかして何か出てきたかな、おかしなものとか……随分古いから──」
「ゾウジさん」
もはや問答は無用だと、私は彼の目の前で屋根裏部屋の扉を開く。
ゾウジの顔が、私から屋根裏部屋の中へと移り……その笑顔が、固まった。
無表情のまま、不安げな、今にも泣きそうな目をした少女……“霜月トワ”の姿を見て。
「彼女のこと、何か知っていますよね」
「あ、あ……」
「話してください、ゾウジさん」
「ト……」
言葉にならぬ言葉を漏らしながら、老人は少女の元へと駆け、膝をついてその顔を間近から見つめる。その全身は、歓喜と恐怖がないまぜになったかのように震えていた。
私も部屋の中に入り、彼の声に耳を傾ける。
「ト、キ……トキ、なんだな?」
その名前は、ペンダントにも書かれていたものだった。素直に受け取るのなら、[神無月トキ]となる。
しかし当然、私はその言葉を聞きとがめた。
「……彼女の名前は[霜月トワ]の筈です」
「私は……そう、霜月、霜月トワ……」
「トワ……?」
私達の言葉を受けて、ゾウジは虚ろだった視点を合わせて少女を真っ直ぐに見つめた。強張った彼女の右肩に、私はそっと手を添える。
老人の顔が、今度ははっきりと恐怖に歪んだ。
「どうして……笑ってくれないんだね。なあ、昔はあんなに……いつも……三人で……」
「ゾウジさん!」
「し……知らない」
私の言葉に反応して弾かれるように立ち上がった彼は、扉に向かって後ずさりを始める。
私が一歩彼に歩み寄ると同時に、彼は震える足を二歩動かす。
「し、知らない! 私は……私はっ!」
「ゾウジさんッ!」
一声叫んで、ゾウジは階段を駆け下りていった。
私も慌てて、その後を追って廊下を走る。今まで通った道を戻って、所長室へ。
一足早く部屋に入った老人の叫びが木霊する。
「耐えられなかったんだ!」
「……」
彼が精神錯乱状態にあることは間違いがない。
私は一先ず彼を落ち着かせようと、ゆっくりと名前を呼びながら所長室のドアノブに手をかけ……すぐさまその手を離した。
「……嘘だ」
呆然として、右手とドアノブを見比べる。
ドアノブを包んでいたのは、薄く水色に光る幕のような、冷たい結晶。
いや、ドアノブだけではない。周りを見渡せば、壁も、床も、天井も、今まで無事だった〈箱舟〉の全てが……
「凍って……いる?」




