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閑話『ネバーエンドの選び方』

ヨヘスケルの選択肢。

 依頼を終えた次の日。

 私は一人だけで、〈箱舟〉からほど近い場所にある大きな市立病院にやって来ていた。トワには屋根裏で留守番をしてもらっている。

 ドアの氷を引きはがし、今まで何度も通った道を通る。主な目的は、〈箱舟〉の資源では追い付かない医薬品や応急処置キットだ。今のところ病気を発症した住民はいないが、一通り揃えておいて損はない。氷の檻の外にいる私たちは、ひどく脆い存在なのだから。


「……」


 ナースセンターにて、取りすぎに注意しつつ、包帯や消毒液などの基本的な物を鞄に詰める。独特のアルコールの匂いが消えた暗い病院には、ただ無機質な白い壁と床だけが広がっていた。


「……」


 作業を終えた私の溜息が、響いて消える。

 ここまで来て、必要なものを取る、その一連の行程を私は今まで四回やって来た。病院に来るのはこれで五回目だ。後は〈箱舟〉に帰れば、全ては終わる。

 だが──


「……」


 私は黙ったまま、出口とは反対方向へ足を向ける。ロビーを通り抜けて、いよいよ外の光も届かなくなった階段へと。

 ランタンで慎重に足元を照らしながら、一歩一歩階段を上る。二階、三階、四階で足を止め、ドアが無数に並ぶ廊下を通って行く。

 そして、『四○五』と書かれたドアの前にたどり着いてしまった。


「……」


 今まで病院に来る度に、私はここに来ようと思っていた。行かなければならなかった。

 そしてその度に私は、最後の最後で逃げ出し続けていたのだ。このドアの前で、薄い氷に阻まれて。それを四度、繰り返していた。

 しかし、今日は……私はリュックを下ろして、ランタンとハンマーの準備をする。

 そのまま、脆い氷を砕き始めた。


「……」


 作業をしながら私が思っていたのは、今朝トワが放った言葉だった。


『今日は、セツナにお願いが──』


 その内容には、大層驚かされたものだ。しかし、それは彼女の覚悟を表している、と思った。

 どんな過去も、直視せずには受け入れられない、という……


「……」


 氷が溶ける。キイと甲高い音を立てて、ドアが横開きに開いて病室の中を露わにした。

 私は部屋の中央に置かれたベッドに近づき、その主に声をかける。


「……久しぶり、ユウ」


 陶器のように白い肌をした女性。薄氷の向こうで閉じられた瞼には薄く紅が塗ってある。外行きの化粧のようにも、死に化粧のようにも見えた。心電図の記録用紙は波打った状態で静止しており、“あの時”まで彼女が変わらず生きていたことを証明していた。三年以上前から、ずっと変わらず、こうして点滴に繋がれて生きていたことを。

 [文月ユウ]。私の高校時代の同級生。私たちは、例の友人から繋がりを持ってバンドに参加し、そして……恋し、付き合うようになった。それが高校二年生の頃だ。私たちは一点の曇りもない希望の未来を思い描いていたし、二人で(あと、例の友人も含めて三人で)この街の大学に進学するつもりだった。

 その翌年、ユウが交通事故に遭った。


「あいつとはたまに連絡を取ってるよ。ずっと変わらないよな、本当。未だに自分が世界の中心みたいに──」


 報せを聞いて病院に駆け付けた私達に、医師は『彼女は何とか一命をとりとめた』と告げた。それが幸運だったのか、それともそうでなかったのか……今となっては分からないが。あの時は二人で一心に喜び合った。

 しかし、彼女はずっと目を覚まさなかった。

 何度お見舞いに来ても、答えるのは変わらぬ拍子を刻む心電図だけ。彼女は生きていながら、死んでいる。すぐそばにいるのに、私達の間を薄氷が隔てているような……そんな日々がどれだけ続いたか。

 いつしか私の世界は色を失い、友人とも疎遠になった。


「後は……そう、知り合いが増えたんだ。ちょっと変わった子だけどさ、今度紹介する。甘い物好きだから、話合うんじゃないかな」


 私達は街の外の、別々の大学に進んだ。私の元々の志望は確か……文学部とかだったと思う。何でもよかった。ただ、人間と関わりたくはなかった。本に埋もれていれば、永遠の命を錯覚しながら、誰にも知られぬうちに消えられるのではないかと思っていたのだったか。

 そんな私に訪れた人生の転機は、進路振り分け直前に重い足を引きずって病室にやって来た日のことだった。


『この子の治療を担当している。ドク、と呼んでくれ』


 彼女の病室をまるで自分の私室と勘違いしているかのように、一切の遠慮を知らない様子で話しかけてきた女性がいた。自己中心的、という意味では例の友人を思わせたが、彼女はもっと違う……人類の全ては、そもそも自分とは違う次元にある、とでも思っているかのよう。

 そんな彼女が興味を持つものは、人間が生み出す情報だけだったのだろう。


『彼女を“死なせ”たくはないだろう?』


 だから、私の心を揺らしてきたのだ。

 情報を出力できなくなった装置であるユウの人生を引き継ぎ、その分だけ重厚な情報を持つ生命になれ、と。言葉は善意で舗装されていたが、内面にあるのは残酷なまでの知的好奇心。

 兎も角、それで私が生きる活力を取り戻したのは確かだ。彼女の分だけ……と言ったらありきたりな言い回しだが、過去を見据え、情報を引き出し、解釈し、出力できるように。

 『ドク』に会ったのはあの一度きりだが、今も彼女が後ろにいて、私の一挙手一投足を観察している気さえする。底知れない存在だった。

 そういえば、友人がユウを治療するため医学部に入ったのも、もしかしたら彼女にそそのかされたのかもしれない。


「あいつは“馬鹿みたいに頭が良い”から。きっと立派な医者になるさ──」


 一通り彼女との“会話”を終えた私は、普通そうするように彼女に別れの挨拶をして、病室を後にした。


「また来るよ」


 窓から見える太陽は、もうすぐ天頂に達しようとしていた。

 私はトワとの約束を果たすため、〈箱舟〉へと急ぐ。


『私は自分の記憶を取り戻してから、皆さんと話したいです』


 私達は、未来を見据えなければならない。だからこそ、過去を忘れてはならないのだ。

 幸福な終わりに向かう道を、自らの意思で選び取るために。


愛しい貴方、私の心臓の鼓動よ。

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