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第七話『愛の言葉に火をつけて』 3

 街に朝がやって来た。

 風の音も、雲雀の鳴く声も、外を走る子供のはしゃぐ声もない。この街に朝を告げるのは、窓から光を投げる赤く色づいた太陽と──


「ん……あと、五分……」


 それから、寝覚めの悪い少女の寝言だけ。

 大きな寝返りをうってから瞼を開いた少女に、私は笑いかける。


「初めまして、トワ」

「はい、初めまして」


 これが、私達の日常だった。



「それで……解決策は見つかりましたか、セツナ?」


 私が食事を準備し、二人でそれを片付ける。一時間に満たない間に、トワは全ての記録を読み込んでいた。どんなまとめ方、覚え方をすれば、そんなことが可能なのか……彼女のことを羨ましく思う。

 それはともかく、今は彼女の疑問に答えなければならない。実は昨日の真夜中に、一つ考え付いたことがあったのだった。


「『依頼人がどう思うかが大事』……昨日トワがそう言っていたので、思いついたんですよ」

「私、ですか」


 生きた人間同士のやり取りですら、伝えたいことが正確に伝わることは稀だ。まして私という部外者が仲介する以上、氷から届くメッセージの過不足なき伝言などというものは空虚な理想に過ぎないのだ。

 それなら私にできることはむしろ、依頼人が何を思っているのか、依頼人自身に明らかにしてもらうことだ。


「それなりの大きさの氷を取って、ここから出ましょう。ランタンをお願いします」

「分かりました」


 話すとややこしくなるので何を渡そうとしているかの説明は後回しにしたが、私がそう言うとトワはすぐに床に置かれたランタンを手に取ってくれた。

 掲げられた火のすぐそばの氷に向かって、勢いよく槌を振るう。“あの瞬間”が漏れ出たように、誰とも分からない声が私の耳を撫でた、ような気がした。



「戻りまし──」「セツナさあん!」


 私が待合室に入った途端風船でも割れたのかと思ったら、目の前に依頼人の少女が立っていた。アニメのような跳躍を見せて、全身で喜びを表現している。

 その傍の椅子では、シュユが新聞から顔を上げてこちらに恨めしそうな眼差しを贈って来る。


「……朝からずっとそこに突っ立って、やれいつ来るのか彼氏はどうだったお菓子が食べたいと、何時間も話に付き合わされた」

「あはは……お疲れ様です」

「ツケにするからな」


 吐き捨てるようにそれだけ言うと、彼は億劫そうに腰を上げて私から食料を受け取り、一人倉庫に入っていった。

 残された私は、今まで彼が引き受けていたマユラの声を一手に引き受けることになってしまう。


「セツナさんセツナさん! ヒトリンの家はどうでした!? 何かありましたか!? ラブレ──」

「わ、分かりました! 応接間で話しましょう、ね」


 回遊魚を彷彿とさせる運動量の少女を何とか押しとどめ、いつも依頼の後に使っている応接間のソファに腰掛けさせる。


「ええっと、まず……残念ながら、ラブレターはありませんでした。それから、その他マユラさんとの関係を証明するような物も」

「あ……」


 なるべく罪悪感を感じないように、きっぱりと言い切る。予想していた通り、マユラは一瞬目を見開くと、見間違えたように顔を俯け、自嘲するような声を出した。


「いえ……わ、分かってましたよ。ごめんなさい、無茶言って。ほ、報酬は、きちんと──」

「──ところで、マユラさんは」


 私はその話を強引に遮り、彼女に対して質問をぶつける。


「常識では考えられないことを、信じられますか?」

「ふぇ? それは……例えば、セツナさんが実は女性だ、とか?」

「はい? いえ、そういう類ではなく」


 概ね私の想像通りに話が進んでいたところに特大のノイズが差し込まれ、私は素っ頓狂極まりない声を出してしまった。

 彼女の発想がどこから出てきたのかは非常に気になるが、咳払いをして軌道修正を試みる。


「この街の氷に関することです」

「それは……そもそもこの氷自体が、とんでもなくおかしいものですから。常識じゃ何も分からないとは思います」

「ええ。この氷は、私達の世界にはあり得ない……“静止”という概念、そのもののようです」


 私は袋の中から、今朝調達した物を取りだして机に置く。

 部屋のあちこちでゆらめくランタンの光を受けて乱反射させる、透明の直方体。それは──


「氷、ですか?」

「ええ。この街を覆っているものです」


 少女は物珍し気に、氷の塊を色々な角度からまじまじと眺めてみてから、しばらくの後私に怪訝な眼差しを向けてくる。それを見計らって、私は言葉を続けた。


「先ほども言った通り、この氷は私たちの常識の埒外にあります。あらゆるものを制止させる……そして、この仕事をしていて気が付いたことが一つあって」

「仕事で、気が付いたこと?」

「ええ」


 私は机の上から氷をつまみ上げ、指先でコツコツと叩いて見せる。


「この氷を砕く時、誰かの声がする、ってことです」


 この街が氷に覆われた時からずっと、私の周りには誰かの声が漂っていた。ある時は楽しそうに、ある時は悲しそうに、またある時は退屈そうに……それはまさしく、この街がかつて過ごしていた日常の声。

 私はそれを、精神の疲れが聴かせる幻聴だと思うようにしていた。“向こう側”に気を引かれすぎては、いつか自分も彼らの仲間になりかねないからだ。だが──


「この氷は恐らく、“あの時”の人々の声までも保存しているのだと思います」


 この場においては、それを否定した。


「ええっ……嘘でしょ、そんな──」

「本当です」


 ここは兎に角、彼女に納得させなければならない。目を丸くしたマユラに向かって、氷塊を突き付けて見せる。


「元をたどれば、声だって物理的な波です。この氷なら、そのまま保存したって不思議じゃない」


 詭弁もいいところだ。だが、氷を砕いていると誰かの声が聞こえるのは事実だし、コレが私達の常識の手に負えるものではないというのも良く理解している。半分自分に言い聞かせるようにしながら、私はマユラに力説してみせた。


「それじゃあ、この氷は……」

「ええ、ご想像の通り」


私は再び氷を机の上に戻して、代わりにランタンを手に取って言う。


「貴方の想い人の“声”です」


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