第八話『愛の言葉に火をつけて』 2
「要は、依頼人がそれをどう思うか、の問題なのでしょう?」
そう言って彼女が指差したのは、机の上で凍り付いている推定ラブレターの紙だった。
「私たちでそれらしい文面を書いて、渡すというのはどうでしょうか」
「それって偽造じゃないですか!」
「大事なのは依頼人の心情なのでは?」
そう言われてしまうと、弱いところがある。今までの依頼にしても、氷の中に封じられた思いを足さずに引かずにありのまま伝えてきたつもりはない。ある程度、依頼人を喜ばせようという恣意が入っていた……彼女の発言は、その延長にあるとも言えた。
しかし偽造となると、話は変わって来る……気がする。考古学専攻としても、流石にこれを認めるわけにはいかなかった。
「というか、筆跡で分かっちゃいますよ」
「ここにはヒトトセさんが書いた文字が多くあるので、それを模写すれば」
トワは思いもよらないところで、人間としては規格外の性能を見せつけてくる。
しかし、それが可能であったとしても、氷が溶けた後に彼らの関係がこじれる可能性を考えると。やはりそこまでヒトトセの感情に踏み込むことは出来ない、と思った。……トワは、氷が溶けた後の世界を想像したことはあるのだろうか。
「まあ……その……そこがやっていい範囲のボーダーだとさせてください」
「分かりました。それでは、どうするのですか?」
少女はとことん合理的だ。取れる行動を把握し、取るべき行動を取捨し、即座に行動しようとする。人間の感情すら計画に組み込んでしまう姿勢は、以前の私からすれば人間味に欠けた冷酷なものに見えたかもしれない。しかしトワと暫く付き合った今では、それも彼女なりに私の信条に共感して、手伝おうとしてくれているためなのだと思える。
「……どちらにせよ、今日帰るのは無理ですから」
対して即座に行動しない私は、子供部屋の床にランタンを置いて座り込んだ。トワも傍に歩み寄って来て、同じように体を休ませた。
「また明日、考えましょうか」
「……トワ、起きてますか?」
夜。狭い子供部屋に敷いた毛布の上で火の番をしていた私は、ふと傍らの少女の名を呼んだ。
「はい。何か思いつきましたか?」
「いえ、そうではなくて……」
まだ記憶を保っていたトワが、その青みがかった瞳をこちらに向けてくる。
私達の間で燃えるランタンの炎を映して、波紋が広がる水面のように揺らめいていた。
「トワは、この街が元に……いえ、氷が溶けたとしたら、何かしたいことはありますか?」
それは、昼からずっと気になっていたことだった。
恐らく、街が氷漬けになる以前の個人的な記憶は一切ないであろう彼女が、何を望むのか。或いは、──
「それは、考えたこともありませんでした」
考えたこともないか。
「生憎、“前”の出来事は、記録を取っていません。以前何をしていたのか分からない以上、環境が変化した場合は、……」
彼女は、そこで言葉を詰まらせた。私が火からその顔に視線を移すと、トワは私の顔から火に視線を移す。
しばらく考えてから、再び口を開いた。
「セツナは……この街を“元に”戻せるとしたら、そうしますか?」
「……はい」
「それによって、近しい人や、家族や、自分が、いつか死ぬことになるとしても?」
「……そうですねえ」
ランタンの蓋を開けて油を注ぎ足しながら、ぼんやりと頭に浮かんだ言葉をを口に出す。
「やっぱり、周りの人と同じ時間を生きて、同じように年を取っていきたいですから」
しばらく、部屋の中を静寂が包んだ。それから私は鼻をすすり、トワは毛布を深く被る。
「トワ?」
「……今はまだ、どうするべきかわかりません」
彼女にしては珍しく、どこか拗ねたような声を出していた。体の向きを反対にしてそっぽを向くと、もぞもぞと姿勢を変えて見せる。
私が何と言っていいか分からずにいると、先にトワの声が聞こえてきた。
「なので、後で考えます」
おやすみなさい、と少女は言った。
私も、少女にそう言った。
部屋の窓から、廻り続ける満天の星空を見上げながら。




