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第七話『喪失の春』 3

「つまり、今回の依頼では何が残っているか分からないんです。最悪、何も残っていないかも」

「……それはセツナの職務から逸脱しているのでは?」


 もっともな意見だ。私の仕事はあくまで、氷の中に閉ざされた形ある物品を持ち帰ること……目的はかけがえのない思い出をもう一度蘇らせることであって、発掘自体は手段でしかないのだが。しかし、それ以外に取りうる手段も無いだろう。


「でも兎に角……行ってみるしかありません。向こうでわかる事情もあるかもしれませんし」

「……セツナはどうしてそこまで、他人の記憶の為に動けるのですか?」

「どうして、って……」


 似たようなことを、彼女と会ったばかりの頃に聞かれたような気がする。しかし、その言葉に籠っている感情は全く異なるものだった。私はそれを、もう一度考え始める。

 私達が想像している以上に、思い出とは朽ちやすい物なのだ。この異常事態にあって唯一、通常通り──或いは通常より早く──劣化していく。幸福、安心、感動、月のように明るいそれらは、喪失という雲が掛かればたちまち見えなくなって、ついには恐怖の象徴にすらなってしまう。


「三年位前……私にも、そういう時期がありました。大事な人を失って、いっそ幸せな記憶なんて消してしまいたい、と思っていた時が」


 少女は何を言いたげでもない目で、じっとこちらを見つめている。私の言葉をそのまま写し取る鏡のように。だから私も、出来る限り自分の心を、記憶をそのまま口に出す。

 私は世界の全てを呪っていた。 瞳に映る全ての色が憎らしかった。ペンも、写真も、ギターも、全てが私を哄笑しているように思えた。遠慮と配慮を踏みつけにして生きてきた例の友人ですら、あの時の私に話しかけるのには躊躇しているようだった。


「でも、……そんな時にある人が、こんなことを言ってきたんです」


 その女性の顔は、今ははっきりとは思い出せない。しっかりと向き合って会話をしたはずなのに、記憶に靄がかかったようだ。覚えているのは、どこか超越的で衒学的な声色で紡がれた言葉だけ。


『生命の目的は進化することで、進化することとは情報を遺すことだ。遺伝子情報から変化した環境への適応、習俗文化に至るまで、全てが進化の糧となる。そんな生命にとって、脈拍も脳波も何ら重要なものではない、いやある意味では重要とも言えるかもしれない』

『生命は、死ぬために生きているんだからね』


「それは……」

「とんでもない話でしょう? 暴論も暴論、この人は頭がおかしいのか、って思いましたもん」


 しかし、あの人は私の反応など意に介さず語り続けた。


『つまり厄介なことに、生命の価値の判断は全て他者の手に委ねられているんだよ。生命の本質は他者との関わり、交わされる情報そのものだと言ってもいい。自分なんてのも“自分は相手のことを自分だと思っている他者”に過ぎないと……少し込み入った言い方になったけれど』


 いっそ狂気の領域に足を踏み入れた、徹底した“情報”至上主義。普通の人間なら足早に立ち去っていただろう。

 だが、あの時は私もまた、おかしくなっていた。だからあの人の言葉に耳を傾けてしまった。


『でさ、言いたいことは、キミは彼女をどう評価するのか、それが問題だって話なんだよ』


 実は大きな独り言ではないのか、と疑い始めた私に対して、突然に言葉が飛んできた。対処しきれずしどろもどろになる私を見て、やはり答えなど待たずにあの人は話し続ける。


『評価を放棄することは許されないことくらい、分かってる筈だ。彼女の生命は──』

『キミ次第で死に得るんだよ?』


 それが、私を立ち直らせた言葉。

 いつか来る終わりを肯定するための希望であり、失った生命を背中に背負う運命を決定づけた呪いだった。


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