第六話『タイム・イズ・マーシー』 7
万年筆を貰ったものの、正直私には身に余る品のように思われて、使える気がしなかった。
しかし返してしまわなかったのは、この価値が理解でき、かつこういったものを欲しがっている人物の存在を知っていたからだ。
「や、やはり書きやすさが段違いです……歴史のあるブランドは違います」
「それなら良かった」
同居人の少女は、まるで画家が着想を得た時のように声色を興奮させながらノートにペンを走らせていた。
今までも目を疑うほどの速さだったが、今は早回しのビデオを見ているかのようだ。
「……初めて、セツナと一緒にいて良かったと思いました」
「今まで一回も思ったことなかったんですか!?」
「冗談です」
相も変わらず顔色一つ変えないので、彼女の言葉がどこまで本気なのか分からない。
私は屋根裏に置かれた革張りのソファーに腰かけると、一つ大きなため息をついた。今回の依頼は込み入っていたが、何とか無事に解決することが出来たからだ。
「そういえば、窓のこと伝えていませんよね?」
「……経費ということに出来ませんかね」
私の胸中に、すっきりとしないような感覚が満たされた。
少女の発言の為ではなく──勿論それも含まれてはいるのだが──私が気になっていたのは、依頼とは直接の関係はないはずの人物のことだ。
『……なあ、セツナ君』
二人で応接室を後にした時、話しかけてきたのはゾウジだった。シュユの話を聞いている途中から、突然様子がおかしくなっていたのだ。
『ゾウジさん……?』
『喪った人を、取り戻すことが出来たのなら……君なら、どうする?』
『え、えっと……それは、どういう』
『本当に……かけがえのない、存在を。諦める必要がないと知ってしまったら……』
彼はこちらに顔を向けていなかった。まるで自分に言い聞かせるように、低い声で呟き続ける。
『少なくとも私は、悪魔にでも魂を売るだろう』
彼が言っていることは断片的で、深い理解は叶わなかった。しかし、あの口ぶり、まるで死者を蘇らせるような発言……
「この街、そのものじゃないか」
「……何か言いましたか?」
「ああいえ、ゾウジさんのことが、少し気になって……生物学の研究者ともなると、やっぱり見方も変わってくるのかな」
私は物思いにふけりながら、埃の積もった戸棚の一点をぼんやりと眺めていた。
すると、しばらく椅子に腰かけてこちらを向いていた少女が、意を決したかのように立ち上がってこちらに向かって来る。
「……トワさん? どうかしましたか?」
「私たちが出会ってから、色々とありました」
「……そ、そうですね?」
突然口走り始めたことの意味が分からず、私は曖昧に肯定を返すしかなかった。
「そろそろ……気が付いて欲しいです。セツナ」
「気が付く、って……私がですか?」
どこか不安げな目でこちらを見つめる少女の言葉を、一つ一つ丹念に思い返す。
「えっと……あ、ああ!」
屋敷から感じていた違和感が、氷解したのがこの瞬間だった。目の前の少女の頬が、仄かに朱に染まっているように見えた。
私は少しためらいながら、彼女が待っているであろう言葉を続ける。
「そ、そうですね……トワ」
少女は満面の笑みを浮かべることはしない。その言葉を聞いて、ただ小さく頷いた。
「これからも宜しく、トワ」
「はい、セツナ」
凍った街は、今日も変わらない景色だ。ただ蒼天に浮かぶ太陽が、もうすぐ天頂に差し掛かろうとしていた──
“喪失の悲しみも、いつか時の流れの中で終わりを迎えるでしょう”
“後はただ、良き思い出として私と寄り添っていただければ、私は満足です”




