表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/51

第六話『タイム・イズ・マーシー』 6

「氷だなんだと意味の分からないことに巻き込まれ、私の(あずか)り知らぬ所で勝手に氷漬けになって、もう二度と話すこともできないだと?」


 消え入りそうな、しかし一言一言には無視しがたい力が込められた声で。今まで弱さを見せることのなかった老人の心が露わにされていく。

 彼女の手紙の言葉を以って、「あなたが悲しまないことが彼女の望みだ」などと宣うことは私には出来ない。彼が涙している理由は、その言葉にこそあるからだ。


「お前は、いつもそうだ……せめて、せめて最後の言葉くらい言わせろッ!」

「最後の……言葉」


 その言葉に、何故か部屋の片隅で佇むゾウジが小さく肩を震わせた。

 老人は手袋を着けた手で万年筆を押し抱き、流れる涙はそのままに呟く。


「もう二度と会えないのなら、こんなものを、思い出させるな……」


 シュユが恐れていたのは、万年筆ではないのだ。彼が触れられなかったのは、そこに籠められた、愛する妻との思い出。

 別の世界に隔てられた思い人を忘れることで、彼は今まで心の平静を保ってきたのだろう。

 しばらくの間泣き続けて、シュユはおもむろにこちらに顔を向けた。


「……余計なことをしてくれるな」


 その言葉に、私は思わず体を固めて生唾を飲み込む。だが老人は怒声を飛ばすことはせず、代わりにその言葉から一拍置いて、一つ大きなため息をついた。

 一度伏せられて、再び上げられた顔からは、今まで瞳に宿っていた諦念が失われているように見えた。


「今更言われなくても、分かっているさ。お前より何十年長く生きていると思っている」

「……それなら、良かった」


 私は安堵のため息をついた。今回の依頼も、無事に終わらせられそうだ、と。


「私の妻の問題だ、後は私で解決する。だが……世話になった。礼を言う」


 彼は笑った。この老人の屈託のない笑顔は、初めて見たかもしれないと思った。

 万年筆を箱にしまい直すと、「食料の分配に入るから、もう行って良い」と言う。


「ああ、そうだ。今回の依頼の代金だが……」

「ああ……頼んだのは私だから、私が代わりに……」

「いや、お前に貸しは作らん。そうだな……この万年筆をやる。十分使えるはずだ」


 彼が無造作に押し付けてきたのは、布に包まれた万年筆だった。例の149ほどではないにせよ、これもブランド品の筈だ。私は肝を冷やして問いかける。


「え、ええ、良いんですか!? 高級品でしょう、これ」

「構わん。……持っていても、どうせ二度と使わんだろうからな」


 どこか哀愁を帯びた、しかし覚悟を感じさせる声で、老人は呟いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ