第五話『命の沙汰は時次第』 4
私は急いで、布を火にかざし始める。予想していたよりも随分早く、この依頼を終わらせることが出来そうだと思った。
そうしていると、自分の作業を終えたらしいトワが近づいてきた。手には一冊の本を持っている。
「セツナさん。見つかりましたか?」
「はい。これが確かに、モンテ……ビアンコ? の、万年筆です。もうすぐ出て来るはずで……おっと」
話している最中に、手の中からパキリと音が鳴って布を覆っていた氷が消え去っていた。
紐をほどくと、白い布の中から出て来たのは──予想した通り、一本の万年筆だった。黒く輝く細身のボディに、数本の銀色のストライプが走っている。ペン先の部分にも、何だか分からないがすごい加工が施されているように見える。
確かに高級そうな一品だったが、これに五桁の値が付くというのは、やはり私には理解できなかった。
「これは……携帯用のようですね。『モンテ・ビアンコ』のマスタリーシュテュックシリーズとは……」
「マスタ……シュテュック……?」
トワが何に感動しているかは分からなかったが、私程度が易々と持てるものではない逸品であることは確からしい。
「どこにも傷一つ付いてないですよ。大事に扱っているんでしょうねえ」
私は、長月老人の愛用ぶりを想像してしみじみと呟いた。
しかし、それにトワが返してきた答えは、その想像とは正反対のものだった。
「……そうでしょうか?」
「えっ?」
「いくら大切に扱っても、携帯用の万年筆に傷一つ付いていない、というのは不自然です。……失礼します」
少女は私の手から万年筆を受け取ると、“記録ノート”に渦巻き模様を描きつける。そのまま手本に使えそうな、完璧な渦巻きだった。
「凄く書きやすそうに見えるんですが……」
「はい。それがおかしいんです。これほどの高級品なのに」
謎かけのようなことを言って、少女は万年筆を返してきた。
「万年筆が生涯を共にする筆記具たる所以は、それ自体の書きやすさというよりも寧ろ、書いているうちに書き手の癖に馴染んで来るというところがあります」
「書き手の……癖?」
「はい。ペンの持ち方から角度、書く強さや動かし方に至るまで千差万別です。最高級の万年筆というのは、持ち主一人一人の癖に合わせてその有りようを変えることが出来る」
少女は顔を俯かせ、この万年筆には、それがありません。と呟いた。
筆記具が癖に馴染む。私には全く想像のしようのない世界まで話が及んでしまったのを感じた。
「私は……これが依頼の万年筆だとは思えません」
「そう、ですか」
私は暫くの間、手の中に収まった万年筆を見つめ、それからトワの顔を見た。相も変らず、冬の湖面を映したかのような表情で、そこから一切の感情を読み取ることは出来そうになかった。
しかし、私は彼女の知識に関しては信頼できると思っていた。そもそも私は、万年筆に関してはてんで素人だ。
それに、二人で共にこの街で暮らし、色々な体験をしてきた時間は、私と彼女の間に確かな信頼を育んでもいた。
滅多に自分の意見を出すことのないトワがそう言うのならば、それを尊重しよう。私はそう心を決めた。
「……分かりました。だけど、そうなると本命の万年筆は何処にあるんでしょうか? 最後の引き出しに、あったらいいんですが……」
「一番目の引き出しには、何も入っていなかったんですか?」
「何も……いや、箱が入ってましたね。机の上に出してるはずです。だけど、万年筆はこういう布に入れて保管するんでしょう? トワさ──」
その時。私の声は、部屋中に轟いた少女の声にかき消された。




