第四話『祇園精舎の鐘を鳴らせ』 1
受け継がれる思いは、時間を超える。
一夜が明け、教会に朝がやってきた。ステンドグラスを透過した陽光が部屋中を照らし始め、私は希望を抱いて目を覚ます。
「トワさん、おはようございます」
「ふぁ……おはようございます」
あり得ない角度に跳ねた髪を右手で押さえながら、少女が返事をする。彼女は普段の隙のない性格に反して、極端に寝癖が酷いのだ。
私はメモ帳の一ページを開いて、並んだ『正』の字に一画を加えた。
今日で64日目だ。
「ロビンソン・クルーソーの真似ですか?」
「……ええ、そんな感じです」
ロビンソン・クルーソー。無人島に漂流する物語の主人公だ。トワは、彼が安息日を知るために、漂流してからの日数を柱の刻み目で計った話のことを言っているのだろう。
この少女の知識は、一体どこから来ているのだろう。
「今日は、一階の方を見て回りましょう。気になるものがあったら、教えてください」
「分かりました」
火をつけたままでいたランタンを手に取り、私達は教会の探索を始めた。
氷に覆われた神の像が、暖かな笑みを浮かべて二人の人間を見下ろしていた。
礼拝堂の奥に進んでみると、そこには四つの部屋に繋がる廊下があった。私たちは手近な部屋を選んで入っていく。幸いなことに、扉は付いていなかった。
初めの部屋には、木造のテーブルに机が四つ。その隣にはキッチンで立ち仕事をしている女性がいた。
「ここは……リビングルームですか」
「ここに本があるとは、余り考えにくいですね」
あくまでも本にこだわり、リビングから出ようとするトワを押しとどめ、私はその部屋の探索を始める。
棚に置かれた調味料、油染みの付いたカーペット、瑞々しい観葉植物。生活感にあふれた場所ではあったが、私が目当てとしていた物を見つけることは出来なかった。仕方なく、私は調査をほどほどに切り上げていくつかの食料だけを拝借した。
次に入った部屋は、落ち着いた調度品が置かれた、恐らくこの教会の主の私室なのであろう場所だった。
真っ先に私たちの目を引いたのは、文机の上に置かれていた一冊の青い本だった。
「これは……」
「もしかして、これも聖書なのでしょうか」
不思議そうに呟いたトワが、文机に歩みよる。
私もそれに従って、二人でその本の表紙を覗き込んだ。
『NEW TESTAMENT 新約聖書』
「また、同じ本?」
トワが不思議そうな声を出す。
そこに置かれていた本は、色を除けば、鐘撞堂で見つけた赤い聖書にそっくりに見えた。
「どちらを渡せばいいのか、分かりません。依頼は達成できるのですか?」
「……とにかく、見てみましょう。中身は違うかもしれません」
私達はいつもの作業を始めた。
親から子へ受け継がれるはずだった聖書。そこに込められた思いを、取り戻すために。
窓から差し込む日の光が、昼を示し始めたころに作業は終わった。
私は、まだ夕暮れまでは時間があることを確認して安堵のため息をつく。
「終わりましたね……この中には、何が」
「……まあ、大体分かった気もしますけどね」
「本当ですか?」
少女の青みがかった瞳が、僅かに見開かれる。私は少しだけ笑い、それから文机の上の本を手に取った。
赤い本とは違い、それは私でも持ち上げられる程度の重さであった。
私達は、その一ページ目を捲る……




