2章ー1:甘苦い思い出と約束
──3年前
「奏先輩っ!」
卒業式を終えて──講堂からグラウンドに出たところで、控えめで柔らかな声に呼び止められた。
後ろを振り向かなくても、その声の主が誰かはすぐに分かる。
「東雲……」
東雲ササラはオーケストラ部の現部長であり、俺が部長を務めていたときには副部長だった。
長く伸ばした黒髪の上半分を編み込み、羽の形を模した髪留めでまとめている。
ハーフっぽい整った顔立ちにおっとりとした表情に声、のんびりとした雰囲気は、いかにも癒し系のお嬢様だが、案外見た目とは違って芯は強く、頑固なところもあったりして、「やるときはトコトンやる!」というギャップの持ち主だ。
東雲は後ろ手に何か隠し持ったまま俺のほうへと走ってきた。何かって言っても、花束なのはバレバレだし、別に隠す必要もないんじゃないかとは思う。
が、とびっきりのいたずらを思いついた子供のように頬を紅潮させていたずらっぽい目を輝かせている東雲を見ると、敢えて知らないフリをしておいてやろうという気になる。
小柄なこともあって、東雲が走り寄ってくる姿がハムスターとかウサギのようにも見えて和む。
ただ、この姿もこれでもう見納めかと思うと、ついため息をついてしまう。
俺のところまで駆け寄ってきた東雲は、弾んだ息を整えながら、後ろ手に隠しもっていた花束と寄せ書きの色紙とを俺のほうに差し出してきた。
「あの……これみんなから……部長へ! ご卒業……おめでとうございます!」
「お、おー……ありがとう」
ぎこちない動きで、東雲から花束と色紙とを受け取る。
なんだかこういうのは照れくさくて苦手だ。身の置き所がなくなる。「みんなから」ってだけで、「東雲から」ってワケじゃないのに手の平が汗ばむ。
「……あ、あの」
「ん?」
「……いえ、その」
何か言いたそうに口を開くもつぐんでしまう東雲。眉根を寄せて困ったような表情になると唇を噛んで渋面を浮かべる。
その目がなんだか濡れていることに気が付いて、慌てた俺は「とりあえず」口を開く。この「とりあえず」は大抵失言を招くってのは分かっているのに懲りずにまたもやらかしてしまう。
「し、東雲、今までいろいろありがとな! その……またいつか何か機会があれば……手伝ってほしい」
頭が真っ白になって、口からもつれ出てきた言葉──
ああぁあ……これだからもう!
いろいろってなんだ!? またいつかってなんだ!? 機会ってどんな機会だよ!?
突っ込みどころ満載な自分の言葉に内心突っ込みいれまくって死にたくなる。
よりにもよってこんな肝心なときに……イミフなこと口走るとかマジでキモすぎだろ。ドン引かれてもおかしくないと今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られる。
もっと他にも言いたいことはたくさんあったはずだし、つか、一番肝心なことがそもそも言えてないし……。
自分のチキンさ加減につくづく嫌気がさす。
もうこの機会を逃したら──きっともう「いつか」なんてものはありえない。
それは分かっていた。
ただでさえオケ部を引退してから、たまに廊下や学食ですれ違うだけになっていて、やっぱり接点が減れば減るほど当然顔を合わせる機会はなくなるもんなんだろうな……って実感していたし。
だからこそ、これを逃したら次はない。
分かってる。
でも、いざってなると口が強張って肝心な言葉が出てこない。ずっと悩みに悩んで……いつか機会があれば伝えようと思っていたのに。それどころか代わりにイミフな言葉が出てくる始末──もうわりとマジで死んだほうがいい。そもそも、機会なんてものは自分で作ってなんぼのもんだっていうのに、棚ぼたを期待しているだけとかダサすぎる。
視線をあちこちにさまよわせまくっていると、東雲はいつものように少しだけ首を傾げてから恥ずかしそうに笑いかけてくれた。
太陽の光が、頭のところで輪になって輝いていて眩しい。
東雲は大きく一つ頷いてから声を弾ませた。
「もちろんです。先輩のためならどんなことでもいつだって喜んで!」
なん……だと!?
ど、どんなこと……でも!? いつだって……だと!?
自分の耳を疑う。
まさかのマジレスに救われる。
仮にこれがうちの妹だったりしたら、「マジキモいから死んで」と情け容赦ないツッコミと共に一蹴されたに違いない。とても同じ生き物とは思えない。
つくづく……というか、相変わらずというか……東雲と話していると肩の力が抜けてほっこりとした気分になる。
「だから、遠慮なんてしないでくださいね?」
「お、おー……」
まさかここまで前向きにも程がある即答がかえってくるとは思わず、むしろ俺のほうが戸惑ってしまう。
相手を全肯定する言葉を、こんなにも躊躇いもなく屈託なく口にできるとか……いろんな意味ですごすぎだろう……。
同時に、そんな簡単に口にするような言葉じゃないだろと心配になる一方で、やっぱり素直にうれしいと思う。
少なくともそれくらいの信頼関係は築けてたんだって、ちょっとくらいはうぬぼれてもいいんだろうか?
「──楽しみにしていますから」
そう言い残すと、東雲は一礼してから踵を返し、他の部員たちの待っているほうへと駆けていった。
部員たちにわっと囲まれ、なんだか慌てた感じで首を横に振っている。「そ、そ、そんなんじゃないから……」とか焦った声が風にのって聞こえてくる。
いじられキャラなのは部長になっても相変わらずか。
東雲らしい光景につい顔がニヤけてしまう。
と、不意に東雲が一度だけこっちを振り返って、ものすごく困り果てたような目で救いを求めるように俺の方を見つめてきた。
目が合って苦笑し合う。
その瞬間、さっき口にすることができなかった言葉が通じたような気がした。
いや、完全に気のせいだろうが、そういうことにしておいた。
たぶんおそらくきっと一生に一度クラスの貴重な思い出なら、多少盛るくらい許されるはずだ。