一本桜の墓
天高く太陽が昇る真昼。全焼一歩手前にまで広がった籠女の大火の数日後。籠女が焼野原と化したのをもとの色町に戻そうと、屈強な大工どもがせっせと精を注いでいた。その大工の大半は籠女の遊郭の常連で、貯金をはたいて芸者遊びをしていたらしく、自分の遊び場の修繕に躍起になっているということらしい。
「呆れた連中だよ。頼まれていた仕事より、自分の遊び場の方が先らしい」
「そう言うお前も、ちょっとは嬉しいんじゃないのか?」
修繕作業は大工たちに任せて、大吾は昼間からとっくりを傾けている。
というのもふたりの身体には痛々しい包帯が、肌を見せるところすらないほどに隙間なく巻かれており、とても修繕作業を手伝うことはできそうにない。
よって、手をこまねいて見ているだけでは淋しいと、大吾が酒を持ってきたのだ。
「なんだかんだ言って、お前が今までその華奢な腕で守ってきたもんがここにあるわけだ。貯金をはたいてやった俺に感謝するんだな」
「――お、お前……」
「勘違いするな。貯金のはけ口がなくなったんじゃつまらないからな」
「今の言葉は余計だったな」
大吾の粋な金遣いに少し顔が赤くなっていたのが、後の一言でとっさに不機嫌になるアザミ。
その表情の変化を酒の肴にしながら、大吾はとっくりを、もうひとつ用意したおちょこに傾けて酒を注ぐ。
「おらよ。お前も飲め」
「昼間から飲むような、ろくでなしと一緒にするな」
「じゃあ、このままここで何も飲まずにずっと、ぼうっとしているか?」
そう。この場所には好き好んでいるわけではない。頼まれて来たのだ。修繕の際の監督が欲しいと。
しかし、杖もなければろくに歩けやしないふたりに、糞まじめに入念な監督をする気はさらさらなかったのだ。アザミも自分がそう考えていたことに気づいて腹を抱えて笑い出す。
「ぶはっ……ははは。そうだな。今日くらいは、昼間からでも飲むか」
おちょこのふちを口元にあてて一気に口の中に流し込む。鼻を抜けるような芳醇な酒の香り。酔いが回ったアザミは、険しい顔つきがほどけ口元が緩んで愛嬌のある女の笑みを浮かべる。今までの彼女からは想像もつかない、端整な顔立ちも相まった美しく妖艶な笑みだ。
「大吾……」
「なんだ……?」
「――籠女が元に戻ったら、また来てくれるか……?」
「ああ、もちろんだ。ここにはお気に入りの姉ちゃんがいっぱいいるからな。あとで負傷者の名簿確認しておかないと……」
突如として大吾の顔に酒が飛んでくる。へそを曲げたアザミが、大吾の顔面にぶちまけたのだ。
突然のことで大吾も声を荒げる。
「な、なんだよっ!」
「うるさい! この馬鹿! とんま! 分からず屋!」
不機嫌の原因が分からぬまま、アザミはぷいとそっぽを向いてどこかに歩いて行ってしまう。そんな彼女の後姿に大吾が首をかしげていると背後からため息がひとつ聞こえた。
「――まったく、あのこがあんな顔見せたのはあんたが初めてなんだよ」
「何が言いたいんだ?」
「それを言ったら、面白くなくなっちまうじゃないかい」
そう言いながら、大吾のおちょこに酒をつぐのは杏だ。籠女の件で彼女は牢に入れられていたが、それをアザミや遊女の連中、面倒を見られていた子供たちが必死に工面してくれたらしい。その甲斐あってか、杏は彼女を慕う皆から寄せ集められた釈放金によって解放されたのだ。
「こんな落ちぶれた老いぼれの釈放に、皆が貢いでくれるとはね。炎の中に身投げしようとしてた自分が馬鹿みたいに思えてきたよ」
「この色町を捨てて綺麗に生きたかったのが叶わなかったからって、自暴自棄になんかなるな。籠の中だろうが外だろうが、人間ってのはあんたが思っているほど綺麗に生きれるもんじゃねえんだよ。わかったら、みんなが救ってくれた命を大切にするんだな」
杏はアザミと大吾を利用し、この籠女に火を放つ羽沼の計画に加担したひとりだ。にもかかわらず、アザミも大吾も杏を救おうとしてくれた。今、杏がここにいるのは彼女を慕う全ての人物のおかげ。
それを忘れるまいと杏は、握り拳を胸の前でぐっと握りしめる。
「ああ……、感謝してるさね。ありがとう……」
「そういや、陽はあれからどうだい?」
「あのこは強い子だよ。兵五郎も言ってたさ。自分はかみさんが死んだだけで数日ふさぎ込んだってのに陽ときたら、あんなことがあっても、相変わらず汗水たらして奉公してると。感心してお駄賃やったら、どこかへいそいそと出かけたらしいよ」
「ふっ、悪ガキの陽らしいな」
*****
息を切らして、ひとりの少年が花束を抱えてどこかへと走っていく。もらったお駄賃は全てそれに使われたらしい。走って走って行きついた先は籠女が見下ろせる小高い丘の上、冬枯れの一本桜の下に建てられた小さなお墓だ。
「母ちゃん! は……、花持ってきたぞ!」
墓標には羽沼と字が掘られている。
少年はひざを折る様にして屈みこみ、花を手向けた。そして、やけに慣れた手つきでマッチで火を起こしてろうそくに火をともす。恐らくは、奉公先で火を扱うことが多いのだろう。少年は墓の前で手を合わせて黙祷する。
するとパサリと音がした。少年が目を開くと、手向けられていた花束がひとつ増えていた。驚いて後ろを振り返ると、そこには背の高い女がひとり。
「あ……、アザミねーちゃん」
「やっぱり、ここに来ていたか、陽」
女も少年がそうするように墓の前に屈みこんで地べたに正座をし、そっと手を合わせる。ひとしきり黙祷したのち、今度は女は墓の中に眠るその人に向かって話しかけはじめた。
「羽沼、本当はお前を母親にしてやりたかった。最後の一瞬だけでなく、ずっと陽の母親として。それがこんな形になってしまったのは……私の……力不足だっ。本当に、本当に――すまない」
「――本当に、すまない」
肩を震わせ、自らの不甲斐なさを詫びる女。その肩にそっと少年の手が置かれる。
「大丈夫だよ。アザミねーちゃん。ほら、母ちゃんも笑っているだろ」
少年が指さす先で、蝋燭の火がゆらりと揺れた。
まるで優しく微笑みながら、相槌を打つかのように。