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獅子身中の虫

 秋も深まり、冬の気配がする晩秋の冷え込む朝方だというのに流石は鋼をとかすほどの炎が煌々と焚かれた炉のある鍛冶屋だ。中はまるで真夏のように熱く、ムシムシとしている。中に入ればその熱気を浴びてしまうため肌寒い外に適した格好だとじっとりと汗をかいてしまう。かと言って外に完全に出てしまえば、寒い上に中の人物と話しにくい。折衷案で鍛冶屋工房の入り口を少し入りかけたぐらいのところで、羽沼の息子と思しき例の人物の名を呼びかけてみる。


「陽、陽はいるか?」


「あ、何しに来たんだ? ガチムチ」


 大吾の声がするや否や、中からひとりの少年がひょっこりと現れる。

 鍛冶屋で鉄をいじっているせいか、すすの様な汚れが手と鼻の頭についているが、それ以外はどこからどう見てもその辺にいる子供。

 むしろ、そのすす汚れが泥んこになって遊びに興じているようで見ていて微笑ましく、また本人もにこやかな笑顔を浮かべていた。


「なんだ、お菓子でも持ってきてくれたのかよ」

「いきなり物乞いか? 俺が貧乏なのは知ってるだろ?」

「あれだろ? また女買ったんだろ?」


 陽がませた一言を吐くと、あきれ果てて詰るような視線がアザミから飛んでくる。「こんな小さい子供にまで何を吹き込んだんだ」とでも言いたげな顔つきだ。

 大吾が陽と親しくしているのを知っている以上、陽が大吾から要らぬ影響を受けていると考えているのだろう。


「なんだよ、その眼は? 言っとくけど別に教えたわけじゃないからな。ませてて大人の言うことを一言も聞かないガキで有名だったんだからな」

「いや、おっさんがよく女遊びの土産話うちの親父としてるから」


 とっさに取り繕った大吾の発言も陽の一言でぶち壊される。

 やはり、大吾がいらぬ影響を与えていたのは本当だったらしい。いよいよ弁解の余地がなくなった大吾にアザミの視線が容赦なく襲い掛かる。


「で? 今度はそのねーちゃんがか? 持ち帰りまでしたのか?」


 陽が上目づかいでアザミをまじまじと見上げる。大吾に対する物言いと、人の懐にずかずかと入ってくるあたり、もとの悪ガキぶりが見て取れる。陽はしばらく、ふくろうのように首をひねって回転させながら、後ろ手でくるくるとアザミのまわりをまわって、彼女の身なりをじっくりと観察した。そして一言。


「……、色気のない格好してるな、花魁じゃねーよな?」


 そのあまりにも失礼な物言いに、アザミの鉄拳が振り下ろされた。


「はむぐっ!」

「そう怒るな、色気がないのも花魁じゃないのも本当だろうが」

「すまん、なんかムカついたんでな」


「うちのガキがなにかやらかしたか?」


 玄関先が騒がしいのに気づき、中から大吾に勝るとも劣らない筋肉質な男がやってくる。鍛冶屋と火消し、仕事柄筋肉質な体系になるのは当たり前だが、このふたりが顔を突き合わせるのは、どうも絵面がむさ苦しい。

 特に男嫌いのアザミは不快感を覚えたのか、眉間にしわを寄せて険しい顔をしている。


「あんたのところのガキがよ。この女が色気のない恰好してるって、毒づいたんだよ」

「がっはっは、そうかそうか」


 大きな声とともに肩を上下に揺らして笑う。この男が陽の面倒を見ている鍛冶屋の兵五郎。陽もそう言っていたが、大吾が酒を片手に持って郭の土産話をしに来るのもこの鍛冶屋だ。


「うん、確かに色気はない。花魁じゃあねえな」

「この親にしてこの子ありというわけか……」


 額に掌を押し当ててアザミは大きなため息をひとつつく。

 親子そろってまで自分の身なりに毒を吐かれるとは。それもまだ朝の早くから。


 今日は厄日だともうひとつため息を付け加えるが、何もわざわざ悪態をつかれにこんなむさ苦しいところにいるわけではない。この厄日に終止符を打つためにもアザミは陽にかけられた案件のことを兵五郎に打ち明ける。


「まあいい、それよりもその陽に話がある」

「なんだよ」

「お前は自分の母親を知っているか?」


 母親。その言葉が耳に入るや否や、陽は首から提げて懐に隠していたペンダントを取り出した。アザミと大吾は、それが杏からもらった絵のものとはっきりと一致していることから、昨夜の盗み聞きしていた会話のとおり、陽が羽沼の隠し子であることに確信を持つ。そしてさらに、事実を確証付ける証拠が陽から提示された。


「おとといの夜……、こんな手紙をもらったんだ」


 玄関先を物乞いをして回っていた坊主からもらったというその手紙。これが昨夜やぐらで盗み聞きしていた書簡なのだろうか。

 紙面には、ところどころ濡れた跡とまるで震えた手で書かれたような崩れた続け字で、「母は籠女にて待ちにけり」とだけ書かれてある。その手紙を読んだ瞬間、新しく陽の涙が紙面に添えられた。


「知って……るのか……? 俺の母ちゃんを知ってるのか?」


 悪がきと呼ばれていながらも、生き別れた母親に対する手がかりを知って感極まって泣きじゃくるその姿は、母を求める子供の泣き顔に相違なかった。これで杏の元に行けば、事は一件落着。

 ふたりはそう思って胸を張りながら陽の手を引き、籠女の堀にかかる眼鏡橋を意気揚々と渡っていた。


 大吾の履く下駄と橋の木が打ち鳴らされて子気味のいい音を立てる。調子のいい大吾の脳内ではすでに杏からもらえる褒美を勘定する算盤の音がバチバチと鳴っているようだった。――だが、杏が他の隠居たちや後世とともに住まう平屋の前まで来ると、どうやら勝手が違ってくることに気づく。中はこの依頼を頼まれたときとは打って変わって、人っ子一人も見当たらない。


「杏……?」


 杏や隠居たちはおろか、戯れている童たちすら見る影もなくなっており、建物はすっからかんのがらんどうだ。

 呆気にとられて口をあんぐりと開けるふたりの影で、ようやく探し続けてきた母親に逢えると思っていたのが裏切られて、動揺している陽。


 彼の影が見知らぬ大きな影に腕を引かれた。


「な、何をする! 離せ!」

「羽沼の隠し子か?」


 陽の腕をつかんだのは、虚無僧の身なりをしたなぎなたを携えた僧兵であった。

 しかも数はひとりではなく、わらわらといる。目の前で繰り広げられる状況の変わりようについていけず、狼狽していると、ふたりの背後で平屋が轟音を立てて爆炎に包まれたのだった。



*****



「定頼殿、燗をお持ちしました」


 陽の母親、羽沼太夫は籠女を治める高官、牧平定頼まきのだいら さだよりの正室であり、この籠女で最も美しく輝いているとされる傾城と謳われる美女だ。

 その美貌だけでなく三味線や舞の腕、物腰の柔らかさ、言葉遣いの上品さ、そして酌をするときの手つきの滑らかさでさえも、すべてが他の遊女とは比べ物にならないほど格が違う。

 たとえ、おちょこに注がれているものが白湯であろうが、羽沼に注がれたものはこの世に二つとない美酒になるという謂れまであるほどだ。彼女を目の前にして、落ちない男などいない。


 定頼はこの羽沼を利用し、数々のもみ消しや悪法の締結を成し遂げ、国家を揺るがす大きさの資産と権力を隠し持つほどまでになったとか。そして、今日もその餌食となる男がひとり。もはや政は定頼の掌の上の玉のよう、彼を獅子と例えれば、どんな重役でも虫けらのような脆弱な存在になってしまう。飛んで火にいる夏の虫。すべての事の行く末は定頼の知るところだ。


「まことに面白き男よ。愛染三蔵。禁欲の僧侶でありながら、色欲の街に寺を建立し、すれた遊女どもに崇められているとか」

「幼少のころより、宗派を渡り歩き、あらゆる経を治め……、広く呪法にも精通しておりまする故、私にはここに這う女の、救いを求む声が、けたたましいほどまでに聞こえます」


「幸運にも私には罪を洗う術がある。いかなるものにも救いは必要でございます。――たとえ肉欲に埋もれた淫魔であろうとも」


 流暢とした語り口で建前を述べる愛染。それが建前であるということは、その僧侶らしからぬ含み笑いに現れている。愛染が売りさばく’罪を洗う’効能があるという免罪符。その売り上げで遊女から巻き上げた莫大な金は、愛染を通して定頼のもとになだれ込む。

 そんな闇札で魂が救われるのか。その問いかけは答えるにも値しない愚問だ。

 あからさまな詐欺商売を頭を丸めていながら平然とやってのける。生臭どころか生糞坊主とは言い得て妙だ。生糞坊主は、そっと脇に置いていた紫色の煙の立ついかにも怪しげな壷を定頼の前に差し出す。

 その壷の中にはこれまた怪しい紫色のこぽこぽと泡の立つ液体が入っており、何十本かの一尺ほどの長い針が先端を液中に漬けられている。その針のうちの一本を愛染が取り出すと、鋭利な先端から紫色のしずくが滴り落ちるのだった。


「うむ、まさしく妙薬というにふさわしいな」

「いかにも、これが仙丹でございます」


 妙薬の名は仙丹せんだん。生薬の一種である栴檀とは同音異字であるが、その製法を知るは愛染のみだ。

 なんでも滋養増強のために使うものとは勝手が違う一種の麻薬に近いもので、興奮剤として働き、健常な精神を害するのだという。


「如何様にして使うつもりでございますか」

「籠を守るためさ」


 定頼はすくっと立ち上がり、麒麟の舞う欄間の下で朱雀が翼を広げるといった豪華絢爛な飾り扉を開け、その奥の障子をも開ける。すると、やぐらの眼下にある籠女の色町が一望できるのだ。


「この大きな籠の中に不埒な烏どもが這いつくばっておる。籠の目をくちばしで食い破り、あまつさえ謀反を起こそうとしているものまでいるとか。――杏という女を知っているか? 羽沼よ」


「後世の育成を取りまとめている方に存じますが……」


「遊女といえども学は必要と、寺子屋の真似事をしておろう。三味線や舞などの遊女に必要な芸を仕込む折、いらぬものまで吹き込んでいるとか。羽沼よ、おまえも杏に芸を仕込まれた身だ。身内の死くらい伝えておいてやろう」


 邪悪な笑みを定頼が浮かべ、ほほの肉を吊り上げて醜い笑い皺をつくる。

 すると、それに合わせた様にして愛染までもが含み笑いを浮かべる。


「な、何を……!」

「杏は遊女として使えぬ女子や、遊女が産んでしまった男の引き取り先の工面をやっていたそうじゃないか。お前のはらんだ子供も杏によって、この籠女の外に出たと、そうであろう? 愛染よ」

「誠にそのとおりでございます」


 羽沼は定頼の言葉に、胸に手を当てて眼球を振るわせた。自分が今まで必死に包み隠してきた息子の存在を定頼に知られてしまった。それは何を意味するか。自分が腹を痛めて産んだ子供が、私利私欲にまみれた悪性を産む道具として弄ばれようとしているということだ。羽沼の夫である、牧平定頼まきのだいら さだより、目の前でしわがれた声で不気味に笑うその人によって。


「流産など安い嘘をつきおって、下ろした遺体が見つからぬと不思議に思ってみれば、杏が工作をしていたとはな……」

「ま、お待ちになってください。どうか早まらないでください」


 羽沼はその美麗な顔をゆがめて、浅葱色のあでやかな着物を畳にこすりつけるようにして定頼の膝にはいずり、掴み揺さぶり、懇願する。


 杏の命と息子の自由を、ただただ必死に。必死に。


 だが、妻である羽沼のことでさえ、悪政のための手駒としか考えていないような薄情な定頼に羽沼の願いを聞き入れる耳はなかった。


「つくづくずるい女だ、結局は自分が助かるのを知っていて、美談となる為に己が情け深いふりをしている。癪だが乗ってやろう。お前には散り果てて枯れ腐るまで、我が傀儡として生きてもらう。だが、杏には灰となって消えてもらおう」


 籠女に轟音が鳴り響き、杏が童たちに芸を仕込んでいた平屋が業火に包まれた。自らが世話になった恩人が焼き討ちにあっていると知りながら、羽沼はそれを悲しんで泣きじゃくることしかできない。


 なんと不甲斐ないのだろう。


 呆れと絶望でゆがんだ顔は、元の美貌も相まって、なんとも言いがたい悲壮感を感じさせる。その顔を定頼はなじるような視線で一瞥したあと、羽沼の顔を分厚い手でつかんで床の間の漆塗りの太い柱に押さえつける。


「……、いい顔だ。美しい顔は悲しみや苦痛にゆがむほど憂いを帯びた、なんとも言えぬ味わいを醸し出す。ひどく淫靡で艶かしい。私が愛してあげよう、もがき喘ぐお前を」


 他者を苦しめることに快楽を見出すその姿は、人間というよりは地獄にて罪人をいたぶる鬼に似ている。籠女の中で、すべてを掌の上において生きてきたがために、他人の精神や行動を搾取し独占することに強い執着を持つようになった定頼の愛情は、原形をとどめないまでに歪んでいた。いや、もともと原型など最初からあったのかどうかさえひどく疑わしい。


「思う存分喘ぐがいい。どれだけ喘いでも、杏は私の子供を逃がした罪で死ぬ。そして、二度とお前が私に抗えぬように、この仙丹で私はお前を犯す。香として焚き、籠女のすべて、いや天の下の人間すべてが私にひれ伏すのだ」


 もはや人間として原形さえとどめていない修羅の形相を浮かべ、鼻先が触れ合うほどの距離で羽沼に向かって自らの欲情を吐き捨てる。


 ――だが、そのとき、羽沼がこの場にいる誰もが思いもよらぬ行動に出たのだ。


「む…うぐ…」


 なんと、定頼の醜い唇に口づけをしたのだ。それも唇と唇が互いに触れ合うというような可愛らしいものではない。深く粘り強く、舌を舌で嘗め回すかのごとく濃厚な接吻。


 同時に、定頼の口内に明らかに羽沼の唾液ではないものが口移しで注ぎ込まれる。つい先ほどまでいたぶられ、泣き喚いていた羽沼の瞳が、自分に勝るとも思えないほどの邪悪な笑みを浮かべているのを見て、定頼は震え上がる。――同時に舌先に感じる異様な苦味。体感が次第に馬鹿になって、定頼はその場で氷のように固まってしまった。毒を盛られたのだ。


(う…動けん……)


 もはや口を動かして声を出すことすら叶わなくなってしまった定頼を、今度は羽沼がなじるような視線で見下ろしていた。


「……もう、あなたは終わりよ。さようなら」


 動けなくなったところを定頼は、背後から一思いに刀で串刺しにされた。

 下手人は愛染三蔵。獅子は、まさに心中の虫に喰われたのだった。


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