潜入/脱出
籠女を治めている高官は、遊女を使い条約を色仕掛けで締結させたり、場合によっては気に入らないものを貶めたり、暗殺にまで手を染めていたりするという黒い噂の絶えない人物だ。
羽沼が身ごもった折には、その息子を政治に介入させようと高官は躍起になっていたらしい。
もともと政府の重役だったのが、汚職がたたって流されたのがこの籠女。籠女に追放されてもなお、黒い銅線で政治介入をし続け、あまつさえ息子を利用して関白のごとく政治復帰しようと目論んでいた。
その野望を背負わせるつもりだった息子が流産、高官はそれを知り深く落胆し、羽沼を攻めたてたという。
その息子が今になって生きていたということを知ってしまったアザミと大吾。後戻りできない。その事実を知った瞬間、ふたりは命を狙われてもおかしくない立場になってしまったのだ。
「羽沼の息子は間違いなく、籠女の外にいる。だから、アザミ以外にも助っ人が必要だったのさ。報酬は現役時代に溜め込んだものがたんとあるから。どうか協力してくれないかね」
知ってしまった以上、ふたりは引き下がることはできなかった。胸の内ではまだ動揺しているが、それをつばを飲み込むことでなんとか抑え込む。
「――わかった。引き受けるよ」
そう返事したはいいが、この依頼には大きくふたつの問題がある。この依頼を引き受けたアザミと大吾のふたり、そして依頼人である杏本人が政治問題にかかわるような重大な秘密を握ってしまったこと。そしてもうひとつは、何よりも人探しの証拠の少なさだ。
なにせ、赤子の時点で男と分かった途端、羽沼から杏のもとへ高官にばれぬよう、秘密裏にわたらせて、それを杏が籠女の外へと逃がした。
それから八年が経とうとしている現在。
生きていれば少年に成長している彼を探し出すのは至難の業だ。たったひとつの手がかりは赤子のころから、羽沼が首元に着けさせたペンダントがあるのだという。そのペンダントの外形と、赤子の時の特徴を一応の証拠としてもらってはおいたが、この件は長続きしそうだ。
そんなことを考えながら大吾は頭をかきむしり、廓の前の腰掛にアザミとともに座っていた。
「厄介なものを引き受けたな」
「ああ、まったくだ」
「おまえはこの町で女の貞操を金で買った報いとでも思えばいいだろうが、あたしには降って湧いたような災難だ」
「とりあえずその減らず口から生まれた災いとでも、思っておけばいいんじゃないかな?」
その口ぶりからするに、アザミは半ば男嫌いの気があるらしい。特に大吾の様な廓に出入りする女遊びの派手な男とはまず馬が合わない。
自分の貞操くらいは自分で守りたいという思考の彼女にとっては、この色町の存在自体気にくわないものなのだろう。
「で、あたりさわりはついているのか?」
アザミがまるで他人事かのように、杏の依頼を丸投げして尋ねてくる。籠女から出ることのできないアザミからすれば、羽沼の息子探しはもっぱら大吾の仕事といった意識なのだろう。まだ八歳の少年が色町を出入りしているのならすぐにでも見つかるはずだ。その噂がないということは、羽沼の息子はこの色町にはいないということになる。
残念ながら今の大吾にわかるのはそこまでだ。
「見たまんまの脳筋だな。役に立ちそうもない」
言いたい放題の罵声を吐き捨て、アザミはその場を後にしようとする。その肩を大吾は呼び止めた。
「アザミ、お前はどうするつもりだ?」
「一番楽に近づく方法は簡単だろ? 羽沼本人に聞いてみるのさ」
アザミの言う通り、それが出来れば一番手っ取り早いのだが、そのためには高官の住まうやぐらに忍び込む必要性がある。悪政が産声を上げる場所であるため、厳重な守りが敷かれ、簡単に入り込めるような場所ではない。――なにか策でもあるのだろうか。
「邪魔だ。図体のでかい奴にいられると隠密が出来なくなるだろ」
そう罵られながらも、大吾は高官の住まうやぐらに向かうアザミについていく。
手がかりはどうも籠女の外では見つかりそうもない。情報を掴むのなら、やはりアザミとともに忍び込んだ方が手っ取り早い。
もちろんそう考えたのは、アザミが中に忍び込む得策を考え付いているものと思っていたからなのだが。
「で、どうやって中に入るつもりだ?」
「ピザ屋のふりをする」
「……えっ?」
「いや、だからピザ屋のふりをするんだよ」
「……、えっ?」
あまりにもの間の抜けた答えに、大吾までも間の抜けた返事をしてしまう。
というより、人を散々脳筋呼ばわりしておいてふたを開けてみれば出前を持ってきたふりをして忍び込むなどと言う始末。まさに開いた口が塞がらないと言ったところ。
「ところで、相談があるのだが、ピザパットとドミコピザ、そしてピザータのどれが一番しっくりくるだろうか?」
「いや、どうでもいい!」
「あとシーフードピザとトマトアンチョビー、DXチーズマルゲリータのうちどれがしっくりくるだろうか? どれだったら中に入れてくれそうだろうか?」
「その前にこの安易すぎる作戦を疑え! ピザ屋のふりをしたからって、中になんか入れるわけないだろうが!」
「すいませーん、ピザをお持ちいたしました!」
「ってこら、早まるな! もっぺん作戦を立て直してからにしろ!」
大吾の制止をまったく無視して、アザミはピザの入った箱を片手に、高官の住まうやぐらに入る門構えの前に立つ。すると、門の内側から衛兵らしき人物が現れ、アザミの顔をぐっと睨み付ける。
「あ、すいません。ピザをお持ちしたんですけど」
「頼んだのは金のさらだが?」
(いや、そこじゃねーだろ!)
「あ、すいません間違えました。今すぐつくり直しますので」
(作り直すって何? 店から違うよね?)
思わず口をついて出てきそうになる言葉をアザミの隣で何とか押し殺す。ここで声を上げてしまえば一巻の終わりだ。いや、どうせこんな安易な作戦がうまく行くはずもないのだが。
「まあ、時間がかかるとあれなんでもうピザでいいわ。中に入れ」
だがなんと、片手にピザの箱を持っているだけで、ピザ屋とまかり通ってしまった。そのほかの格好はなにも気を使ってないというのに。
「よし、何とか中に入れたな」
「いや、おかしいだろ、これ……」
ピザ屋だからと言って中に易々と入れるようながばがばの警備体制自体、高官のやぐらとしては不自然極まりない。大吾はそれを疑ってみるも、入れたからには情報を掴むことに集中するべきだとアザミに丸めこめられてしまう。
たしかに、中で尻尾を出してしまえば籠女から追い出されるどころか、その場で首をはねられてしまうかもしれない。それだけこの場所は、黒い政治が動き回っている悪政の温床なのだ。
それを囲うためには厳重な警備態勢か手練れの用心棒が当然必要となってくるはず。
だが、門をくぐったその先の庭園にも不自然なほど人の気配が感じられない。庭園に植えられた観賞用の樹木に身を隠しながら、ふたりは灯りのぼうっと灯る部屋の前へと忍び寄り、縁側から床下に潜り込む。耳をそばだてるとわずかに中の会話が漏れ聞こえてくる。
一方は男、もう一方は女の声だ。
「お慕い申しております。羽沼太夫さま」
「愛染よ、例の書簡はわっぱに届いたか」
ここである吉報が判明する。なんと女は羽沼太夫その人であったのだ。
やぐらは3階建てとなっているため、てっきり羽沼は最上階で高官の酌でもしているかと思っていたのだが、どうやら今夜の酌の相手は違うらしい。愛染三蔵。仏教に身を投じた法師でありながら、この色町に愛染院という名の寺を持つ。もっとも信心深いようなタチではなく、遊女相手に免罪符を売りさばく生臭坊主もいいところ、生糞坊主というのが彼の通り名だ。
「ええ、件の鍛冶屋の陽めにしっかりと届けております」
会話の内容は実に核心に迫るものであり、大吾とアザミが探し求めていた情報そのままのものであった。大方手がかりにならなくても、漏れ聞こえる会話はすべて耳に入れておこうなどと言う心構えのところに入って来たのが、羽沼の息子の身元に迫る確信的な情報だ。
「鍛冶屋の陽だと? あの悪ガキがか?」
「知っているのか?」
「ああ、こっちの界隈じゃ有名なガキだ」
さらに好都合なことに、大吾は羽沼の息子と思われる鍛冶屋の陽というわっぱをよく知っていたのだ。
陽というわっぱは、町ではいささか有名な子供で、一昔前は身寄りのいないのをいいことに、店を荒らしてくすねた金や食べ物で食いつないでいたらしく、町の皆の頭を悩ませていた。それが物好きな鍛冶屋に拾われてからというもの、人が変わったかのように真面目に奉公するようになり、悪名から転じて町で一番の働き者で有名な子供となったのだ。
今となっては、本当の悪ガキだったことなど見る影もないが、その頃を知っている大吾は、愛称として陽のことを悪ガキと呼んでいる。
「なら、話が早いな。むしゃり、話によると書簡を届けたかなんか言ってたし、くちゃくちゃ……それも重要な参考になる、ああむ――こでは、思ったより、ははふけっちゃふが、くっちゃくちゃ――うん、つきそうだな」
「おい、なんでピザ食べてんだよっ」
「お腹空いた」
なんとも危機感のない返事をアザミが返したところで警鐘がカンカンと打ち鳴らされる。どうやらついに気づかれてしまったらしい。まずいことになったと床下を抜け出すと、忍装束に身を包んだ追手がわらわらと湧いて出る。
「ちっ、ああむ、いいところで気づかれたようだな、くちゃくちゃ」
「いつまでピザ食ってんだよ!」
「大丈夫だ、ピザはこんなときに役に立つんだよ」
そう言って、ピザをフリスビーの要領で、斬りかかって来た追手の顔面に投げつける。熱々のピザのチーズ顔面にへばりつき、追手は高温と窒息でもだえ苦しむ。
「こんな具合に」
「いや、ピザが武器になるなんて聞いたことないわ!」
「どっかの亀の甲羅背負った忍者もやってただろうが」
「ミュータント〇ートルズかよ!」
おそらく、誰も元ネタを分からないような会話をしながら、いったいどこで誰が焼いているのか、そしていつそれを受け取ったのか。アザミは無尽蔵に湧き出るピザを次々と迫りくる追手の顔面に、お見舞いしていく。――だが、そんな都合のいい快進撃だけで終わるはずもなく、ふたりは巧妙な追い込み漁によって壁際に追い詰められてしまった。
「くそぅ」
大吾はぼそりと呟いたところで、やんぬるかなと心の中で漏らしたあと、ある可能性に賭けてみることにした。乱暴にアザミの肩をひっつかみたくましい腕でがっちりとアザミの上半身を挟み込み、片腕で持ち上げる。その力が持つうちに全身の力を足首にこめて高く飛び上がり、追手の顔面を踏み台にして、まるで軽業師のように空中で後方へ宙返り、そのまましっくいの塀を飛び越えたのだ。
ある可能性、それは籠女の外への身投げだった。
「ちょ――」
アザミが声を上げるか上げないかのところで、ふたりは籠女の外堀の水の中に大きな水音を立てて落ちて行った。
「まだ、浮き上がるな」
透明度のひどく悪い濁り水の中で、大吾がアザミを抑え込む。
しばらくは追手が水面を探すに違いない。このまま息を止めて、橋の影に潜り込むしかない。アザミは籠女から出たことがないため、おそらくは外の地理に詳しくないだろう。それをとっさに判断したうえで、アザミの手をがしと掴みぐいぐいと引っ張りながら泳いでいく。大吾の手の中でアザミの手がもがもがと動き、抵抗しているようだが、そんなことはお構いなしだ。息を止めながら泳ぐこと2分強。ぎりぎり息こらえが限界かとなったところで、やっと橋の影にかかり、水面に顔を出す。それとともに大吾の手が振りほどかれた。
「はぁ、はぁ……き、きやすくさわるなっ!」
「むぷっ!」
荒い息をしながら自分の手を振りほどいてきたアザミが、顔を真っ赤にしているのを見て思わず大吾は噴き出してしまう。それを見てアザミが歯をひん剥いて声を荒げるが、それもまたツボに入ってしまい、おかしくておかしくて仕方がなくなってしまう。
「な、何を笑っている!」
「おまえって、男慣れしてないんだな」
「うるさい! お前には関係ないだろうが! このすけこまし!」
乱暴な口ぶりで反抗してみるも、大吾の言ったことは図星だった。
アザミは色町で育っていながら、粗暴な言動や態度から座敷に上がったことがなく、接待どころか男とまともな会話すらしたことがない。おまけに自分が知っている男と言えば、鼻の下を伸ばして遊女にすり寄り大金を絞られていくようなろくでなしばかりだ。男慣れなどするはずもないのだ。それを一考して、大吾は再び大笑いする。
「……」
ここまで何回も自分の境遇を大笑いされれば、もはや反論するのも馬鹿らしくなってしまい、ただへそを曲げてむすっと頬を膨らますことしかできない。
そんなアザミをなかばなじる様な視線で見つめながら、大吾はそっと含み笑いを浮かべる。そして、その屈強な腕で、橋げたの下の岸にアザミを引き上げ、彼女に肩を貸しながら、溝さらい用の階段を登って、籠女を外から眺める形になる。その景色は大吾にとっては見慣れたものだったが、アザミにとっては生まれて初めてのものだった。
「外の世界ってこんなことになってたのか……」
堀に向かって脚を投げ出すように腰かけ、自分が生きてきたあまりにも矮小な世界を恥じるように感嘆の声を漏らす。すると大吾がそのすぐ隣に同じようにして座って来た。
「一度ぐらいやってみたかったんだよ。こういうの駆け落ちっていうらしいぜ」
「うるさい。人が感慨に浸っているときに話しかけるな」
「はぁ、相変わらず可愛くねーな…。とりあえず今日の宿に行くぞ」
ちょうどこの近くの長屋に廓で芸者遊びをする仲間がいるので、そこに泊めてもらおうと大吾が言ってきた。
だが、これをアザミは拒む。どこの誰とも知らない、ましてや男の家にとまることなど、まっぴらごめんなのだ。そんなくらいなら外で過ごすと言って聞かない。
筋肉隆々とした大吾でさえ肌寒いと感じる寒い夜だ。それに独りきりでアザミを放っておいて何かあったのでは杏に合わせる顔がない。アザミには申し訳ないがこうするより手立てはなかった。アザミのうなじの部分に矢が刺さり、彼女はその場にひざを折って倒れ込む。
「……猪用の眠らせ薬だったのだが、大丈夫か?」
「大丈夫だ、気性は猪より荒い」
アザミの背後にある藪の中から吹き矢を持った男が駆けつける。
彼が、大吾の芸者遊び仲間の伊八。籠や草鞋、傘を編んで売ってるかと思いきや山に登って猪や狸を狩ったり、かと思えば博打で一山当てて派手に遊んだりとまさに気ままな生活をしている男。独り者である故、家は雨露をしのげる屋根の下に囲炉裏があれば事足りると言った具合、3人が雑魚寝をするにはかなり狭いが贅沢は言ってられない。
「しかし大吾、あんたも隅に置けないねぇ」
「何がだ?」
「こんないい女を籠女から連れて駆け落ちかい?」
「言っとくけどこいつ、ただのあばずれだからな」
半ば壁に燃え移るのではないかという狭さの家の中で囲炉裏に火を起こして暖を取る。こういうときには狭い家というのはかえって好都合かもしれない。じんわりと身体が温まってきたところでアザミがうっすらと目を覚ます。どうやら薬が切れてきたらしい。
すぐさまアザミのこめかみに青筋が立ち、大吾の胸ぐらに掴みかかろうとしたその瞬間、自分の身体に布団がかけられていることに気づく。目の前では囲炉裏に火がたかれており、鉄瓶の中で湯につけられている徳利からほのかに酒の香りがする。ふと大吾がそれを取っておちょこにできたての熱燗を注ぎアザミの前に差し出す。
「これでも野宿の方が良かったかよ」
「……、いや……」
アザミはそっと、おちょこに注がれた温かい日本酒を口に含む。
安酒ではあるが、芳醇な香りとまろやかな口当たりが心地いい。そして何よりも身を縛るような寒さの中で身体を暖めてくれる一杯は身に染みる。アザミの口元がそっとほころんだ。
「――悪くはないな」
「酒を飲んでも可愛げがないとはな」
呆れがちに大吾が呟いたところで、三人がどっと笑うのだった。




