人探し
回りを堀で囲ったがために、作物の育たないほどにまで土が痩せ細った島。堀の外側と内側に網目状の柵が張り巡らされ、遠くから見ればそれが籠のように見える。そして、その籠の中には艶やかな着物を身にまとった遊女たちが這いずりまわっているのだ。
これが、籠女とこの遊郭が呼ばれる所以だ。
「おい、杏はいるか?」
「あら、大吾さん」
男が、籠目の中にある平屋の引き戸を叩く。するとひとりの女が出てくる。
男は筋肉質の腕を袖のない法被に通しており、顔立ちもよく色男というに相応しい。対する杏という名の女は、洗いすぎて少しくたびれた着物に身を包んでいる。目じりにしわのあるところ四十を過ぎたくらいだろうが、目鼻立ちは整っており、若いころはかなりの美人であったことが読み取れる。
「こんな老いぼれに女遊びの派手な大吾さんが何のようだい? それともロリコン?」
「あのなぁ……、そういうことは子供の前で言うな。だいたい、あんたが今回の件を俺に持ってきたんだろうが」
袖を幼い少女たちに引かれながら、杏は男を縁側に案内し、お茶を出す。
普通の遊郭の座敷なら、金はとられて遊女は御簾の向こうなんてこともあるのだが、隠居と十にもならない子供しかいないここに来客が来ることなどない。おまけに杏は大吾とは顔見知りだ。杏から出された湯呑を小さく礼をして大吾が受け取る。ここは引退した遊女たちが後世の教育に精を出しているところ。遊女の中には政府高官に召し抱えられるなどという大物もいるが、大方は孤児の面倒を見ながら、芸や躾けをつける者に回る。
「いいさ、どうせこの子たちも籠の中さ。なんなら、あんたが貰ってくれよ。――そっちの方がこの子たちも幸せだろうさ」
物憂げな瞳で無邪気に笑う童の頭を撫でる杏。
後世を育てるというのはある意味では一番精神的に辛いのかもしれない。自分が生きてきた遊女としての人生を目の前で戯れるあどけない少女たちに強いるのだから。この場所には孤児だけではなく、遊女が身ごもってしまった赤子も連れてこられることがある。女ならこの場で預かるが、男なら籠女の外に捨てられる。捨てられた後はその生死さえ誰も知れなくなるというのに、捨てるのも引退した遊女たちの仕事だという。
「この子たちを育てることが、捨てた子や自らの汚れた半生の償いになる。それが単なる自惚れだったと気づいたのは何時だったかねえ。虚しい場所だよ。この籠女は――こんな場所消えてしまえばいいのに」
「……え?」
「――いや、何でもないのさ」
杏のそんな話を聞いていると、お茶でさえ喉を通らなくなってしまう。
自分の胸板を拳で叩きながら大吾が茶を飲んでいると、もうひとりの来客がやって来た。その姿を見るや否や、大吾はすくっと立ち上がり、出迎えに上がる。大吾は彼女との面会を待っていたのだ。
「よう、アザミ。来るのを待ってたぞ」
「このガチムチが大吾?」
やって来た女は歳は二十半ばですらりと背が高い。百七十を優に超えるすらりとした長身を包むのは、艶やかな遊女の着物ではない。タイトなレザー製の丈の短い半袖の黒ジャケット。下半身は黒色のスキニージーンズ。さらに腕の露出した部分には黒包帯が巻かれていて、左手には籠手を装着し、腰には柄の長い刀と一丁の拳銃を挿している。
「火消のクセに侠客までやって、華のある男と自分を謳うすけこまし。そんな大吾がこのアザミになんか要か?」
そして切れ長の目に恥じない冷淡な物言い。
籠女の遊女の間でこんな噂がある。絶世の美女とも謳われるほどの女が籠女にいたと、だがそいつは一度も座敷に上げられることがなく、遊女を辞めたというのだ。もっとも、粗暴な言葉遣いと半ば男かと思うような品のない態度で、とても遊女として客を取れるような人ではなかったそう。
「杏には聞いてたが、本当に可愛げがない奴だな」
「そうだろ? 客に茶を出すことすらできない奴に遊女がつとまるかい。だから別嬪のくせして、女伊達なんざやらなきゃいけなくなるんだい」
「貞操も守れないアバズレは願い下げなんだよ」
紛れもなく、このアザミが噂の張本人だ。
だが、アザミとて籠女の遊女たちからのけ者扱いされているわけではない。むしろ、頼れる同性として重宝されているくらいだ。華奢でありながらも、目に見えて筋肉がついているたくましい四肢は、彼女が女でありながら遊女たちを強姦から守る用心棒として活躍していることをうかがわせる。
「アザミ、大吾さん。聞いてはいるだろうが人探しをしてくれるかい」
アザミと大吾が揃ったところで、杏は三つ指を立てて頭を下げる。ふたりに頼まれたのはある少年の行方を捜してほしいと言ったものだ。
「捨てておいて、生死も知れないのにこんなこと頼むたあね。でも、矛盾してても――あたしはあの子を母親に会わせたいんだよ」
頭を必死に畳にこすりつけて濡らしながら懇願する杏。籠女の中の掟とは言え、赤子を捨てた己の罪深さに涙をこらえきれなかったのだろう。悲しい瞳の色を浮かべながらも常に笑顔でいた杏が顔をぐしゃぐしゃにしてまで泣く姿は大吾にとっても、アザミにとっても胃のもたれる様な重たい印象を与えた。
探してほしいと頼まれたのは、杏の子供ではない。というのも、杏は身ごもったことがないため、子供などいるはずもない。
「羽沼という太夫を知っているか」
羽沼、その名前を聞いて大吾もアザミも怖気づく。
この籠女に出入りしているもので彼女の名前を知らないものはいない。この籠女の中でひときわ大きな建物がある。この色町を取り仕切る政府の高官の居城となっているものだ。その高官の正室こそが他でもない羽沼なのだ。
「その羽沼は確か、高官の子供を身ごもっていたが流産したと聞いているが――」
「ま、まさか……」
アザミがまさかと呟いた瞬間に、大吾も勘付き始める。
たったこの一瞬でふたりは重大な秘密を知ってしまったのだ。
「ああ、探して欲しいのは、その流産したということになっている、羽沼の息子その人さね」