9.悠希 〜公園で
ここから、望 編と少しかぶるところが出てきます。
朝からずっと、望が通う高校近くにある、この公園に俺はいた。
望が学校へ行くのを見届けてからずっと。
朝は心の準備も出来てなくって、声をかけられなかった。
望は、この公園を抜けて学校へ向かった。 だから、ここで待っていれば、きっと、帰りにもここを通るはずだ。
そうは思ったものの、授業の終わる時間を過ぎても、生徒が誰一人として通らない。
あいつは来ないかもしれない。
そんな不安をかき消すように、誰かの忘れていったバスケットボールを追いかけていた。
木に向かってシュートしたボールを拾い上げたとき、俺はあいつを見つけた。
いざ、あいつを目の前にしたとき、なんて言っていいのか分からなかった。
俺は何を言うために今まで待っていたというのだ?
今までは、あいつに会えたうれしさに舞い上がっていたが……
急に俺は自分に迫っている、死というものを改めて自覚した。
もし、望が生まれてくるとき、入る身体を間違えさえしなかったら、俺はこの若さで死の心配などしなくてもよかったのだ。
あいつが間違えさえしなければ、俺はちゃんと男として生まれ、そして、これからも生きていくことが出来たのだ。
―俺の身体を返してくれ。
そんなこと、言えるはずがない。
そんなこと、言いにきたわけじゃない。
俺は望に近づいていった。
ただ、あいつの顔をもう少しよく見てみたくって……。
これが俺の本当の身体。
これが俺の顔、目、鼻、口……
「可愛いじゃん」
あっ、俺、なに言ってるんだ? 仮にも男に対して……。
「君さぁ、バスケ好き?」
会いたかったはずなのに、何か言いたかったはずなのに、なんて言っていいのかわからない。
俺はその場を切り抜けるためにドリブルを始めた。
そのとき、あいつのことは何も考えていなかった。
ただボールだけを追いかけていた。
もし、望が俺を追いかけてきてくれなかったら?
そんなこと、そのときは考えていなかった。
幼い頃のように、望が俺の後ろをついてくる、ただ、そう思っていた。
いや、思っていたのではなく、感じていたのだ。
その通り望はついてきた。
少し経ったとき、俺の心に余裕が出来た。
望のことを考え、あいつのペースに合わせてあげることが出来た。
左、右、あいつは俺についてくる。
幼い頃のように、我武者羅に食いついてくる。
―おもしれぇー!
通学途中の腑抜けた望の顔が、嘘のように生き生きして見える。
―こうでなきゃ。
なんで、もうじきこいつのために死ぬかも知れない俺が、こいつの心配をしなくちゃならないんだ?
「あっ!」
望が声を上げたときには、俺は地面に口づけをする寸前だった。
「ごめん」
―また、あいつのせいだ、あいつのせいで転んでしまった。
倒れた俺に差し出された手をつかみかけて俺は慌てて引っ込めた。
照れくさかった。
幼い頃はいつもつながれていた手、それから八年という月日が過ぎ去った。
砂の付いた手と体をはたきながら、俺は立ち上がった。
パンツの裾を少し上げると、治りかけていたかさぶたが再び剥がれ落ちていた。
―うーっ、またやっちまった。 あっ!
あいつは俺の肘をつかむと、水飲み場まで俺を引っぱって行った。
「いいよ、自分でやる」
「だめだよ、ちゃんと洗わないとバイキンが入るよ、それに、ぼくのせいだし……」
そう言うと望は俺のスニーカーと靴下を脱がせた。
『バイキンが入ったら、走れなくちゃうよ』
幼い頃のあいつは、俺がけがをするといつもそう言って俺の傷口に水をかけて洗ってくれた。
こうやってまた望に足の汚れを流してもらったら
病気も一緒に流れていくのだろうか……
蛇口に手をやりながら見上げる彼の顔が、のぞきこんでいた俺の前髪に触れるかと思うぐらいまじかに現れた。
慌てた俺は身体を起こしそうになりながら目線をそらすだけにとどめた。
あいつを感じていたくって……。
「ちょっとしみるかも」
望は視線を俺の膝に戻すと蛇口を開いた。
火照った足に、冷たい水が伝わってゆく。
細くて長いあいつの指が、優しく傷口に触れる。
傷の痛さとなんだかわからないもやもやが一緒になって、まるで塩をかけられたナメクジのように身体全体がキュッとちじんじまった感じ。
あいつの指が俺の膝から離れ、蛇口を閉めた。
それを名残惜しい思いで眺めながら、俺はポケットからハンカチを取り出すとそっと足を拭いた。
いつもだったら、傷口以外は無造作に拭いてしまうところなのだが、今日は違っていた。
望の触れた感触をかき消さないように。
望が鞄の中からなにやら取り出そうとしている。
たぶん、絆創膏だろう。
昔、望はいつも絆創膏を持っていた。
おとなしかったあいつは、けがなんかしないのにいつも持っている。
不思議に思って、一度、聞いたことがあった。
『望はけがなんかしないのに、何でいつも絆創膏持ってるの?』
『悠希ちゃんのためだよ』
その日以来、俺は母さんがポケットにいつも入れておいてくれる絆創膏を隠れて捨てていた。
そんなことをふと思い出していると、望の鞄からひらひらと何かが落ちた。
拾ってみると、それは、俺の見たかったSF映画のチケットだった。
「二枚? この映画、確か今日までじゃん」
「一枚は友たちの分だったけど、もう要らなくなった」
俺の膝に絆創膏を貼りながらあいつは答えた。
「彼女と行けば」
心とは裏腹な言葉。
ぶっきらばうにこぼれる。
もう高校生だ、彼女ぐらいいたっておかしくない。
まして、この身体の本当なら持ち主である俺が言うのもなんか変だが、なかなかの男前である。
「そういう人いないよ!」
ふくれっつらで、あいつが答える。
「ふ〜ん、じゃぁさ、俺と行かない?」
よく言った!
俺!