18.望 3 〜祭り 2
悠希ちゃんは、戦利品の黒出目金と赤い三つ尾の金魚が入った袋を持ちながら、綿菓子を満足げに頬張ると帰り道をたどり始めた。
子供の頃、ぼくはなにをやっても悠希ちゃんにはかなわなかった。
唯一勝てるのが、金魚すくいだった。
金魚を飼ってもらえないぼくに代わって、悠希ちゃんはぼくの捕った金魚を持って帰る。
しかも、ぼくが沢山すくったなかから必ず黒いのと赤いのを選ぶ。
もらうのはその二匹だけ。
自分の分の一匹も捕まえられない時にもらえる一匹は、絶対受け取らないのだ。
あの頃と変わらない。
しばらく歩くと人の数もまばらになってくる。
駅までは、まだかなりある。
「雨のサインだ」
悠希ちゃんが空を見上げる。
「えっ?」
「雨の匂いがする。 もうじき雨が降る」
そう言えば、子供の頃悠希ちゃんは、雨の前によく言っていた。
雨が降り出すときは、スッとする水の香りに混じって埃っぽい匂いがする、悠希ちゃんはその匂いに敏感だった。
「まるでアマガエルだね」
ぼくは、あの頃の言葉を思い出した。
「ゲロゲーロ」
昔のように彼女はカエルの鳴き声をまねた。
辺り一面、黄色いフィルターをかけたようになる。
二人で空を見上げる。
『一番最初に落ちてきた雨粒にあたると妖精に会えるんだって、だからぼくが悠希ちゃんに妖精を捕まえてあげるよ』
子供の頃、ぼくはそんな御伽噺を真剣に信じていた。
結局、一度も妖精に出会うことなどなかったけど。
空が白く輝くと、ドラムを叩き壊したような大きな音がする。
「へー、望、怖がらなくなったんだ」
「いつまでも子供じゃないよ」
「頼もしいね」
その言葉が、くすぐったかった。
「あたった!」
同時に声を上げた。
ポツ
ポツ
ポツ、ポツ
バラバラバラ
二人の声が合図だったかのように、雨粒が天からいっぱい落ちてきて次から次へと音をたてる。
彼女はぼくの手を握ると走り出した。
雨音と彼女の下駄の規則正しい音に対して、ぼくの心臓は不規則なリズムを打っている。
神社から駅へ行く途中にあるぼくのマンションへ飛び込んだ。
だれもいない家の鍵を開けてぼくたちは中へ入った。
小学校以来、友達を家に上げたことはない。
ぼくはぬれた彼女の浴衣にアイロンをかけていた。
「へー、そんなこともできるんだ」
「アイロンぐらい誰だってやるでしょ」
「悪いけど、俺やんない」
「そんなんじゃ、いいお嫁さんになれないよ」
「いいよ、結婚しないから」
顔を上げたぼくの目に、シャワーを浴びバスタオルを身にまとった彼女の姿が飛び込んだ。
「えっ……着替えあったでしょ」
「だって、下着も濡れちゃったんだもん」
眼のやり場に困ったぼくは、浴衣に眼を戻そうとしたその時、
彼女の行動に言葉を失った。
なんと、ドライヤーでショーツをヒラヒラさせながら乾かしている。
「あ、あの、そんな格好でリビングにこないでよ。 ぼくも一応男なんだし」
「あっ、欲情した?」
「そんなわけないでしょ! どこに下着をドライヤーで乾かしてる女に興奮する男がいる? 普通ひくでしょ」
「ならアイロンかけてよ」
浴衣の上にレースのついたピンクのショーツが置かれた。
「そういう問題じゃないでしょ!」
「なに怒ってんの望。 子供の頃はなんでも言うこと聞いてくれたじゃん」
「どうでもいいから、早くこれどけて」
「は〜い」
アイロンをかけ終わる頃には、しばらくしていたドライヤーの音もやんでいた。
ぼくが、顔を上げるといまだにバスタオルをまとったまま彼女が、床の上に女の子ずわりをしている。
正座から左右に足を開きお尻を床につける男にはきつい体勢だ。
「いいね、こういうの」
「なにが」
「恋人同士、みたいな感じでさ」
「普通はアイロンかけるのって逆じゃないの」
「そんなことないさ、それに……」
「こんなところ、悠希ちゃんの大切な人に見られたら大変だね」
彼女には自分を犠牲にしてまで助けたい人がいるって、ひさびさに会ったとき言っていた。
「それより、おばさんたちが帰ってきた方がまずいんじゃないの?」
「今日は二人とも帰らない。 結婚記念日だからね」
「へー、二人でお祝い。 今でも仲いいんだ」
「まあね。 悠希ちゃんのところは?」
「悠希でいいよ、ちゃんは子供みたいだ」
「悠希……のうちは」
なんだか、“ちゃん”を取り除いただけで、ぼくたちの関係が変わってしまったようで変な気分だった。
「俺んとこは、普通かな。 仲がよくもなければ悪くもない」
なぜか意外な気がした、悠希の口から普通という言葉が飛び出してくることが。
今まで会った人の中で、彼女ほど普通の似合わない人間はいない。
「はい、これできたから」
浴衣を彼女に渡した。
「あったかい、望のぬくもりだ」
「アイロンのね。 どうでもいいけど、早く着替えてくれない」
「あいよ」
「なっ、なんで、ここで脱ごうとするの!」
「べつにいいじゃん、どうせおまえの身体なんだし」
「なに言ってんの」
その場で着替え始めそうな彼女に、ぼくは背を向けて、眼を閉じた。
「なあ、覚えてないの、望。 小さい頃に俺が言ってたこと」
ぼくは黙っていた。
彼女との想い出はあまりにいっぱいありすぎて、どれのことを言っているのか分からなかった。
だが、ふとある言葉がぼくの口をついて出た。
「俺が望で、望が俺」
悠希が時々呪文のように言っていた。
「おっ、それそれ」
白い光の玉の夢。
彼女に再会してから見るようになった。
そういえば、小さい頃もよく見ていた。でもそれは、悠希に洗脳されていたからだと思う。
子供の頃、彼女によく“望が間違えて俺の身体に入っちゃったから、仕方なく俺は望の身体に
入ったんだ”と言われた。だから、本当は、自分が男でぼくが女に生まれるはずだった、そう悠希は不満を漏らしていた。
幼い頃のぼくはその話を鵜呑みにしていた。
悠希ちゃんが言う事なのだからきっとそうに違いないと疑わなかった。
それに、大人たちもよく言っていた、悠希ちゃんが男の子で望ちゃんが女の子だったら良かったのにね、と。
「俺……約束守れないかもしれない」
「……約束って?」
「お嫁さんにしてやるって」
「そんな事? そんな小さな頃の話し覚えてないよ」
「だよな」
「第一、男のぼくが、お嫁さんになれるわけないし。 それにさ」
一瞬ぼくは、言いよどんだ。
「きみには大切な人がいるんでしょ。 だからさ、そんなこと気にしなくったっていいよ。 きみがさ、現れなかったらきみの事なんてすっかり忘れていたわけだし」
そうだ、実際、彼女に再び会うまで彼女の事はすっかり忘れていて、思い出しもしなかった。
でも、他に言い方があったはずだ。
「子供の頃の約束なんて、覚えてるわけないよな。 覚えてたとしたって、本気にするわけないし。 それが大人になるって事だよな」
「きみこそ、好きな人ができたんでしょ」
「焼きもち焼いてくれてるの? 脈あり?」
「そんなわけないでしょ、きみなんてぼくのタイプじゃない」
「じゃ、どういう人が好み?」
「それは……優しくて、控えめで、女らしくってさ、きみとは正反対な人」
「この間のラブレターの彼女とか」
「彼女は……」
彼女に言われるまで、すっかり桜木さんのことを忘れていた。桜木さんの手紙には今日の6時に神社でと書かれていた。
手紙を読んだ後に、断ろうとしたが彼女とは連絡をとることができなかった。
時計は、もう6時45分をさしていた。
桜木さんは、まだまっているのだろうか?
「お似合いじゃん、付き合えば」
「そうだね、きみよりよっぽど女の子らしくていいかもね」