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チワワの話:パパとママはお留守

作者: 赤い酒瓶

 てちてちてちてちと音を立てながらさして広くもない廊下を歩いて、あたしは玄関まで向かう。

薄暗い静かな空間に響く足音は、とても寂しく物悲しいように思えて、いまのあたしの気持ちを無言のうちに代弁してくれているかのごとく感じられた。

 そう、あたしはいま、とても悲しくて寂しくて、とにかく悲壮で、悲嘆に暮れて、目前まで迫った絶望に対してどうすることもできずにいるのだ。

 部屋の出入り口、開け放たれたままにしてあるその扉、焦げ茶色のその重厚感。部屋と廊下にそびえる、真っ白な壁の清潔感。足元にある、いつも素足で踏みつけているフローリングの感触、ひんやりとした感触。玄関までの景色であるそれらは、普段と全く変わらないはずなのに、どういうわけか普段よりも、何か影を纏っているというか、より一層の薄暗さを感じさせるというか、とにかく、いつもは意識せず目にしているそれらが、いまのあたしには妙に存在感を伴って見えた。

 落ち込みきったあたしの心が、見慣れた景色をそのように感じさせ、まるでよその家に迷い込んだかのように感じさせるのだろう。

 顔を上げれば、玄関では、大きな大きなそれがちょうど、すっくと立ち上がってこちらに視線をよこすところだった。

 その傍らには、もう一つの大きなそれが立って、そちらもまたあたしのことを見ている。

 彼らの毛並はどちらも黒く、さらには真黒な衣装を纏っていて、彼らの目はあたしが、くっと見上げなければならないほどの高さにあり、真っ白でちっちゃなあたしには彼らをどうにもすることができない。だって過去の経験から、たくさん吠えても、彼らの衣装の端に食いついてみせても、何をしても無駄なことは分かりきっているから。彼らはあたしをその両腕でむんずと掴みあげて、あたしがいくら暴れてもお構いなしにあの檻の中へ連れていってしまうのだ。そして小さくて非力なあたしでは、彼らの力にはかなわない。

 だからあたしには、それがどれだけ不本意だとしても大人しく彼らを見上げていることしかできないのだ。

 ああ、なんてままならないことだろう。

 もし、もしも、あたしの背が彼らと同じくらい大きくて、力もずっと強かったなら、あたしは彼らの背後にあるあの扉を自由に開いて、自分の意思で好きなところへ向かうことができるのだろうか。こんなふうに、悲しい気持ちのままおいていかれることもなくて済むのだろうか。

 考えても詮無いことだとは理解していながら、それでもそんなふうに思ってしまう。

 他方では、そうではないことも理解している。あたしがいまこうなっているのは、もっと根本的で、もっともっとどうしようもないことが原因だ。あの日、お金で買われたあたしがこの家に連れてこられたときか、もしかしたらそれよりもっと前から、あたしの運命は決まっていたのだろう。

 あたしが彼らを見上げているのをみとめて、それは口を開いた。

「じゃあいってくるから、大人しくててくれよ、クッキー」

 男の方がそう言った。

「明日の夜には帰って来るからね、クッキー」

 女の方もあたしにそう言う。

 あたしはそれに何も言えずに、黙って見送るしかない。

 そして二人はとうとう玄関から出ていってしまった。

 あたしは我慢しきれずに、玄関のところまで下りていって、戸に縋り付いてきゃんきゃんと鳴き声を上げる。

 けれどやはり、その扉が開かられることはなくて、完全な徒労に終わった。

 ああ、いってしまった。あたしをおいていってしまった。パパとママが、あたしをおいて出かけていってしまった。パパとママにおいていかれた。夜まで一人でお留守番だ。

 冷たい玄関の上に立って、白い毛並みの尻尾をしょんぼりとたれ下げさせながら、あたしは諦めてさっきまでいた部屋へと戻っていく。

 家の中は、しんと静まり返っている。

 あたしもいきたかったな、どこにいくのかはよく分かんないけど。

 家の中に、てちてちというあたしの足音だけが響く。

 パパとママが出かけてしまったから、あとはもう夜になってお兄ちゃんが学校から帰ってくるまで、この家にはあたしだけだ。いまはまだ午前中だから、時間はまだ大分ある。

 そしてその間、あたしにはやることが一切ない。

 あたしはただの室内犬、一匹のチワワに過ぎないのだから、やらなきゃならないことなんか当然ありはしない。

 そう、この静まり返った家の中にあって、自由に外に出ることもできず、遊び相手もいない状況において、あたしには何一つとしてできることがないのだ。しかも夜まで。

 よくあることなんだけどね。

 仕方がないので、一人で遊んでみよう。

 クッションに噛み付いて、部屋中引きずり回して遊んでみる。

 すぐに飽きた。

 部屋の隅に転がっていたボールを拾ってきて、それをくわえたまま階段を上っていって、二階から階段に落として遊んでみる。

 ボールはぽんぽんと弾みながら階段を落ちていった。

 落ちていったそれをもう一度くわえてきて、また階段に落とす。

 ボールは今度も、先ほどと同じように階段を落ちていった。弾むたび、ぽんぽんと音がする。

 あたしはまた一階に下りていって、ボールを拾ってくる。

 そんなことを何回か繰り返してみたが、やっぱりすぐに飽きてしまった。

 最後にもう一回だけボールを階段へと落としてから、今度は二階を歩き回ってみる。

 二階の廊下は一階のそれよりも狭い上に、どの扉も閉まっているので、とくに何にもならなかった。

 一階に戻る。

 一階の隅から隅まで、全力でばたばたと走り回ってみる。

 疲れた。

 走り回るのにも飽きた頃には、あたしは一つの失敗に気付いた。それはそれなりに深刻な失敗で、いまとなっては取り返しのつかないもので、ただただ後悔の念が湧き続ける。

 どうしようもないうえに疲れたので、あたしはもうお兄ちゃんが返ってくるまで寝てることを決断し、窓辺の陽だまりまで歩いていって、そこでころんと横になる。

 窓の外に見える玄関前の景色を眺めながら、あたしの意識は微睡んでいった。

 ママ、お水の残りくらい確認しておいてよ。干からびちゃう。



 ようやく日が沈んで、月の光があたしの白い毛を照らし始めた頃、やっとのことでお兄ちゃんが帰ってきたのか、玄関の開く音が聞こえた。

「ただいま」

 お兄ちゃんの声だ。

 あたしはすぐさま起き上がり、尻尾を千切れんばかりに振りながら走り出そうとしたのだけれど、そこで予想だにしていなかった出来事が起きた。

「さあ、あがって」

 それはまさしく、青天の霹靂だった。

 女の匂いだ。

 玄関の扉が開いてお兄ちゃんの声が聞こえるなり、あたしのところまで女のものと思しき匂いが届いてくる。

 それはあまりに急な出来事だったため、あたしはすっかり呆けてしまった。

 だって、それが意味するのはつまり、お兄ちゃんと一緒に女の人が、あたしの知らない女の子が、この家に、パパとママが留守のこの家に、やってきたということなのだから。

 あのお兄ちゃんが家に女の子を連れ込むなんて、そんなの考えたこともなかった。

 そんな相手がいるなんて、聞いたこともなかった。

 そうこうしているうちにも、事態は進んでいく。

「お邪魔します」

 遠慮がちというか、緊張気味というか、とにかく控えめな声がした。まごう事なき女の声だ。

 真っ暗な廊下に、靴を脱いだ二人が上がってくる音がする。

 その音を聞いて我に返る。

 あたしは直ちに、尻尾を天井に向けてぴんと立たせながら、決して走ることなく厳かに、玄関向けて歩いていった。てちてちてちてちと、足音が鳴る。

 廊下を進んでいくと、暗がりの中にその女の姿が見えてきた。肩のあたりで切りそろえられた黒髪、低めの身長、顔立ちは可愛らしくて、華奢な体系だ。

 そのいかにも女の子らしい女の子を見て、あたしはうなり声を上げて威嚇した。こいつは猫だ、泥棒猫だ。パパとママの留守を狙って、あたしのお兄ちゃんを誑かそうとする悪い女だ。

 その女は、暗がりから出てきたあたしを見て硬直した。

 それもそうだろう。真っ暗な闇の中から真っ白な毛並みをした獣が恐ろしげな唸りを上げながら近づいて来れば、それはそれは恐ろしくて、そこらの小娘なら身動きが出来なくなってしまったとしても不思議はない。喉が渇ききって不機嫌さも最高潮だから、きっといまのあたしはかつてなく恐ろしい形相になっているはずだ。

 自信満々でそんなことを考えつつ、このままこの女を追い払ってやろうと思っていたのだが、どうにもこれしきで尻尾を巻く気はないようだ。そろそろと、女があたしに近づいてくる。

 いかに相手が人間として小柄だとしても、所詮は小型犬に過ぎないあたしよりもずっと大きい存在だから、正直近寄って来られるとこちらの方が怯んでしまいそうだ。

 それをぐっとこらえて、あたしは威嚇を続ける。

 女はあたしの前でしゃがみこむと、目を合わせて話しかけてきた。

「こんばんは。お名前はなんていうの?」

 そう言いながら、女はあたしの方に手を伸ばしてきた。そしてあたしは、なんだかここで下がったら負けな気がして、その手を避けることができなかった。

 さわさわと、女の手があたしを、控えめな手つきで撫でまわす。

「クッキーっていうんだ。ごめん、いつもはこんなふうにうなったりしないんだけど」

 女同士のにらめっこに夢中なあたしの代わりに、お兄ちゃんが答えた。答えなくていいのに答えた。

「ううん、気にしてないよ。それに、とってもかわいいね」

 あたしの名前を聞いた女は、お兄ちゃんの方に振り返ってそう言った。

「よろしくね、クッキーちゃん」

 こっちは全くよろしくする気なんてないのに、女はそう言ってあたしを抱き上げた。あたしはなす術もなく、されるがままだ。

 気安く触るな、泥棒猫め。そんなことしたって、お兄ちゃんは渡さないぞ。

 とはいえこの体制ではできることもないので、助けを求めるようにお兄ちゃんの方を見た。

 お兄ちゃんは、あたしの顔を覗き込んでいる女の横顔を見て、何やら笑顔になっていた。助けは期待できそうにないのは明白だ。

 結局あたしはそのままリビングまで連れていかれてしまう。それからあたしのことをお兄ちゃんに預けて、女はこう言った。

「じゃあ、すぐに晩ご飯作っちゃうから、二人で待っててね」

「僕も手伝うよ」

「大丈夫だから、コウ君はクッキーちゃんと待ってて」

 そう言って台所へ向かおうとする女だったが、ふとある場所を見て足を止めた。

「その前に、クッキーちゃんのお水とご飯かな」

 この瞬間、あたしのこの女に対する方針は一変した。ありがとうお姉ちゃん。



 三人とも食事を終え、いまあたしはお姉ちゃんの膝の上に乗せられて、あちこち撫でまわされていた。

 お兄ちゃんはあたしのことをうらやましそうに見ている。悪いけど、この場所は渡さない。

「クッキーちゃんって、誰が名前付けたの?」

 お姉ちゃんがお兄ちゃんにそう聞いた。

「母さんが付けたんだ。僕はもっと別なのがいいと思ったんだけど」

「そうかな? 甘そうな感じで、あたしは好きだけど」

 そう、そうなのだ、そうなのお姉ちゃん。

 あたしもクッキーっていう名前は気に入ってる。甘くておいしそうで、呼ばれるたびにお腹がすきそうで、あたしはこの名前が好きだ。

 ただ、問題もあった。

 それは、この家の人たちの誰も、いまだかつてあたしにクッキーをくれたことがないことだ。それにもかかわらず、このあたしの目の前で、皆でおいしそうにクッキーを食べたりすることだ。とりわけ、ママはクッキーが大好きだった。

 明らかに、クッキーが好きだからあたしの名前もクッキーにしたのだ。

 それなのに、こんなにあたしと縁の深い食べ物なのに、あたしはまだクッキーの味を知らない。その食感を知らない。あの甘くておいしそうな匂いしか知らない。あたしはまだクッキーに対して、その味を想像してお腹を空かした経験しかしていない。

 だからお姉ちゃん、あたしにクッキーをちょうだい。あのいい匂いのする塊の味を教えてちょうだい。お願いだから。

 多大な期待を込めて、あたしはお姉ちゃんの顔を見上げた。

「ねぇー、クッキーちゃん!」

 しかし幾らお姉ちゃんでも、そんなことまで伝わりはしなかったようだ。さっさと諦めて、また大人しく撫でられていることにする。

 撫でられながら、お兄ちゃんの様子を観察することを再開した。

 お兄ちゃんはさっきから、妙に落ち着きなく、そわそわしていた。お姉ちゃんがそれに気付いているのかは定かでないが、何年も一緒に暮らしてきたあたしにはその気持ちが伝わってくる。

 晩ご飯の片づけが終わったあたりからお姉ちゃんの方を過剰に意識し始めて、さっきから断片的に会話をしては、またそわそわし出すのだ。

 何を考えてそんなことになっているのか何となしに見当はつくが、もうちょっと落ち着いた方がいいのではないだろうか。お姉ちゃんの方は特に何でもないふうにしているのだから、お兄ちゃんの方だけが落ち着きなくしているのが、少なくともあたしの目にはみっともなく見える。

 幸いお姉ちゃんの方はお兄ちゃんの様子に気づいてはいないようで、さっきからあたしに夢中だからいいものの、きっとお姉ちゃんだって、ここは落ち着いて余裕のある対応をしてほしいと思うはずだ。お姉ちゃんに気付かれる前に、もっと男らしくしてよ。

「さっきお風呂にお湯入れといたんだけど、えっと、先に入る?」

 意を決したお兄ちゃんが、ついに動き出した。

「えと、うん、じゃあそうするね」

 そう言って、お姉ちゃんはお風呂場に消えていった。

 あとにはあたしとお兄ちゃんが取り残されて、あたしは素直にその膝の上に移動した。

 部屋には、昼間あたしが一人でお留守番していた時以上の沈黙が染み渡って、お風呂場の方から聞こえてくる物音が、よりいっそうそれを際立たせている。

 お兄ちゃんの膝の上で丸くなっているあたしは、その心臓の鼓動がどんどん大きくなっていってるのを感じていた。視線が時折、お風呂場の方向へちらちらと動いているのにも気付いている。

 まさかとは思うけど、万が一お兄ちゃんが立ち上がってお風呂場の方へ向かおうとしたら、あたしは万難を排してそれを食い止めなきゃいけない。お姉ちゃんにはお姉ちゃんの準備があるはずだから、同じ女として、あたしはそっちを全力で応援する。

 とはいえ、お兄ちゃんがそのような積極性を発揮するには勇気も場数も圧倒的に不足していたらしく、何事もないまま、お姉ちゃんはお風呂から上がってきた。初陣前の新兵だし、それも当然か。

 今度はお兄ちゃんがお風呂場に消えていって、お姉ちゃんとあたしの二人きりになった。

 すると、二人きりになった途端に、さっきまで落ち着いていたはずのお姉ちゃんの様子が一変し出した。

 急にあたしのことを抱き上げたかと思うと、ぎゅうっと抱きしめて一人で話し始めてしまう。

「どうしよう、クッキーちゃん。やっぱりあたし、あたしたち、これからそういうことになっちゃうんだよね。さっきからすっごく意識しちゃって、コウ君のことまともに見れないよ。変に思われてなかったかな。ねえ、コウ君何か言ってなかった? ああ、緊張しすぎておかしくなりそう。どうしよう。どうしよう。あたし、ちゃんとできるかな」

 内心ではこれまで随分と緊張していたのか、あれこれあたしに対してまくし立ててきた。あたしには答えようもないのだけれど、そういえばさっきからやたらとあたしに構って来ていたのも、もしかしたらそういうことが原因なのかもしれない。

 一通り言い切った後のお姉ちゃんは、それでとりあえず最低限には落ち着いたのか、それきり黙りこんでしまった。再び部屋に沈黙が戻ってくる。

 無言ではあるものの、お姉ちゃんの様子はさっきのお兄ちゃんよりもさらに落ち着きがなく、可愛らしい女の子がそわそわしている沈黙は、なんだか賑やかな沈黙だった。お風呂場の方に視線をやったり、部屋中をきょろきょろと見回してみたり、時折あたしを抱く腕にぎゅうっと力がこもったかと思えば、その顔を真っ赤にさせていたりしている。

 そしてとうとう、お風呂場の方からお兄ちゃんが上がってくる音が聞こえてきた。

「ク、クッキーちゃん! あ、あたし、がんばるね」

 最後にお姉ちゃんがそう言ったところで、お兄ちゃんが戻ってきた。緊張が顔ににじみ出ている。

「じゃ、じゃあ、もう寝ようか?」

「う、うん」

 二人とも顔が真っ赤で、お互いの顔を見ることができておらず、視線を俯かせて床を見ている。

 お姉ちゃんが、抱きかかえていたあたしをおろして立ち上がった。

 あたしは二人の邪魔にならないように、てちてちと部屋の隅にある寝床へと向かう。

 二人は二階へと上がっていって、お兄ちゃんの部屋へ入っていった。

 そんな二人の姿に、あたしはただ心の中で、がんばってね、と告げるのみだ。



 そして翌朝、二人は部屋から出てきた。今日は確か、学校がお休みの曜日だったはずだからなのか、多少遅めの時間だ。

 階段を下りてきたお兄ちゃんの下まで、あたしはてちてちと厳かに歩いていく。

 その足に容赦なく噛みついた。

「うわっ、何するんだよ!」

 普段ならあり得ないあたしの行動に、お兄ちゃんは驚く。

 でも、ある意味ではあたしの方が驚いている。

 あたしはあれから寝床で大人しくしていたが、それだけに二階の物音にも敏感だった。聞き耳を立てていたわけじゃない、聞こえてしまっただけだ。

 昨晩、二階は非常に静かだった。

 そして今日、下りてきた二人の匂いを嗅いで、それからその表情を見て、あたしは確信した、昨晩何もなかったことを。

 本当に信じがたい。一体どうして、あの状況から何も起こらないなんてことになるのだろうか、二人ともあんなにやる気満々だったのに。こんなこと、犬の世界なら絶対にありえない。

 ああ、そういえばこの前お兄ちゃんと一緒にテレビを見てたとき、若者の草食化がどうのこうのって言われてた気がする。お兄ちゃんたちは見事に当てはまったみたいだ。

 傍らでは、お姉ちゃんがしょんぼりしている。あんなに緊張していたのに、なんだか可哀そうだ。

 男なんだから、こういう時はしっかりしなさいよ、お兄ちゃん。そういう想いで噛みついてやった。

 それからは淡々とした時間が経過していって、お姉ちゃんが帰る時間になった。パパたちがいつ帰って来るか分からないから、あまり長くはいられないようだ。

 どことなくぎこちない空気が解消されないまま、二人は玄関まで向かう。あたしも二人の後ろについていった。

 玄関で靴を履く前に、お姉ちゃんがお兄ちゃんの方に振り返った。俯きがちにして、お兄ちゃんの顔をちらちらと窺っている。

「じゃあ、また来週ね」

「うん」

 そっけないやり取りだ。しょうがないから、あたしは少しだけお姉ちゃんの応援をしてみることにする。

 お兄ちゃんのズボンの裾をくわえて、ぐいぐいと引っ張る。

 そうするとお兄ちゃんは、当然あたしの方に顔と視線を向ける。そしてお兄ちゃんの視線が逸れた一瞬で、お姉ちゃんの方が意を決して動いた。

 お姉ちゃんがお兄ちゃんの距離が縮まると、お姉ちゃんのそれが、お兄ちゃんの頬に触れた。

「またね」

 そう言うと、お姉ちゃんは逃げるように出ていってしまった。顔は真っ赤だった。

 お兄ちゃんは呆けてしまったまま、それを見送った。

 わんっ、とあたしが一声吠えると、お兄ちゃんは一瞬驚いて、体をびくりと跳ねさせた後、顔をみるみる赤くさせていった。

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