第二話
天界にいたときもそれなりに楽しくやっていたのだが、地上での暮らしも悪くないと近頃思うようになった。
我は所謂、人間の言うところの神様ではあるけれど、唯一無二の神では無い。八百万の神だ。
皆が想像するのはキリストやブッダなどの高位の神だろうが、そもそも我とは住む世界が違う。
彼らは地上に顕現できるほどの霊力がある。つまり家系的に言えば神様の本家にあたるのだが、八百万の神々は分家で、その中でも我は末端の末端、それゆえ直接地上では暮らせない。
ではどうするかと言うと、眷属の体を借りるのだ。八百万の神は花なら花、虫なら虫、物ならば物、それぞれ縁のある眷属に降りる。ゆえに付喪神(九十九神)などの呼び方もある。
その眷属の体を借りて今は命子の家にいる。この娘を見ていると飽きない、それで地上にもたびたび降りるようになった。
もとは娘の祖父、赤池龍男の上げる花火を気まぐれに天界から見ていたのだが、もっと近くで見ようと地上に降りたのがきっかけだった。
それは天界にも無い美しい花だった。
江戸時代に戦が廃れ、いつしか単なる火薬が花火に変わった頃から人間とは珍奇なことをするものだ、と花火自体知ってはいた。しかし龍男のそれは別格だった。
自身の魂を削って打ち上げてるのではないかと思わせる程に鮮烈で、身が震えるほどの轟音、溢れかえる光の奔流は我の心を打った。
それからすっかり龍男の花火を気に入ってしまい、花火大会に合わせて降りるのが恒例となった。
だが人間はいつまでも世にはいられない。
龍男は春、桜が散る頃に逝ってしまった。
我がもし高位の神だったならば龍男をすぐにでも転生させるか、芸術の神にでも召し上げたものを……
しかし死を補うよう、人は子をなして、子孫を残すことができる。
我は再び龍男のような傑物が現れるのでは?と期待して赤池の血筋に寄り添った。
その結果、命子に出会えた。
龍男の息子は誰もが認める秀才だったがそれまでだった。
だが命子は違った、まさに天才、龍男の血を誰よりも色濃く継いでいた。
花火師でこそ無かったものの、命子が創る作品は我を飽きさせなかった。
赤子の時分には天界から見守っていたうえ、地上の夏には必ず降りに来ていたので、情も湧く。命子が晴太と結婚した時は幸せを祈る気持ち半分、晴太を恨めしいと思う気持ち半分だった。我ながら神のくせに情けない…人の親とはこれ以上の辛苦なのだろうか?
だが、恨めしいと思ったのは最初だけだった。
晴太は思った以上に、命子によく尽くしてくれたのだ。
ここ一年は特にそうだった。
我はいつでも命子の作品が好きだったが、芸術家とは時として世間に嫌われることもあるようだ。
命子が作品に窮している長い間、晴太は何も言わず付き添っていてくれた。
なかなかできることでは無いと思う、ましてや現代の男ではここまでの一途さは稀少だろう。
それができるのも、この男の元の性格もあるだろうが、我は知っている…晴太は命子のファン、それも最初にできた一番目のファンでその中でも一番の信奉者だ。
二人は元々、高校の同級生だった。 同じ美術部に所属していて、晴太は部長を務めていた。命子は高校入学時、祖父を亡くしたのをきっかけに本格的に作品を作るようになった。
ありがちだが晴太は命子に出会った当初こそライバル視していたようだ。しかし、才能の差は歴然だった。
人は自分に無いものを他人が持っていると嫉妬するらしい、金や物よりも…才能ならば尚一層。
才能が無いことを認めるのが怖い、それは人として自然なことだろう。大事なのはそこからどう自分を受け止めていくかだ。
嫉妬の炎が消えぬ者もいるし、消えたとしても自分に絶望する者もいる。あるいは目をそらし、気づかぬふりをするか。
晴太はそのどれでも無く、自身の力量を認めたうえで命子に託そうと願ったのだ。
それから部長として命子を支えるようになってから二人は親密になっていった。
…だがそこで何を思ったか晴太は家事に熱中し始めた。世話をすることに目覚めてしまったらしい。彼の真の才能が開花した瞬間だった。
やがて命子は美術大学に入り、晴太は一般大学に入ると二人は籍を入れ今に至る。
命子は作家になったが、晴太は卒業後に翻訳の仕事を始めた。家で主夫ができるような職にわざわざ決めたようだ。命子に気兼ねなく自由に創作してほしい…それが晴太の願いだったし、また、個人的に家事をこなしたかったようだ。
これほど相性が良ければ何も言うまい。
――今日はどうやら花火を見に行くらしい。
龍男ほどでは無いだろうが、どれ、我も見に行くとするか。




