生まれ変わる日
薄暗い部屋の中で、彼は目を覚ました。
寝台の上に敷かれた薄いマット一枚の上に寝かされていた上半身を起こし、二度三度と頭を振ると、彼は自分の記憶を整理する。
「そうだ、たしか……」
思い出したのは、自分が組織に所属していた事。
昨日までは一戦闘員として、組織に身を置いていた事。
自分の働きが認められ、より上位へと昇進することになった事。
――そう、今日彼は“怪人”として、民間人に恐怖を振りまく存在へと進化したのだ。
寝台から身を起こし、そばに有った姿見にその身をさらす。
自分がどんな生物と融合し、どんな姿になっているのか確認したかった。人々に恐怖を与えるならば、多少なりとも醜悪な容姿になってはいるのだろう。ただ出来るなら、控えめであって欲しい。出来るなら、格好良い系であって欲しいと望んで、申請までしていたのだ。
だが、部屋の暗さからか視力の弱い生物と融合したのか、ぼんやりとしか自分の影を見つけられない。不明瞭な視界に苦労しつつ、部屋の明かりを探す。部屋の反対側まで来て目的のものを見つけ、スイッチを入れ、期待と不安を混ぜ込んだまま鏡にふり返る。
そこに映っていたのは、粘膜にたっぷりと覆われた軟体生物と融合した自分の、醜悪な姿だったのだ。
「な、なんじゃこりゃあーっ!?」
怪人ナメクジ男は、悪の組織の基地の廊下に、その産声を響かせたのだった。
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「何が不満なのかね?」
軍服を着た上官は、机の上に組んだ手で口元を隠したまま、ナメクジ男をその鋭い目で突き刺した。
他に軍服を着ている構成員が居ない以上、彼の服はあまり意味の無いコスプレではある。只その雰囲気は、芳しい成果を見せない彼の部下を威圧するのに効果的ではあった。
その眼光に怯みながらも、ナメクジ男は意義を唱え続ける。
「もっと他になかったんですか!? これでは攻撃手段が有りません! 死んで来いって事ですか? 死んだほうがマシなナメクジ野郎ですか!?」
「いや、ナメクジ野郎だけど……」
本来、上役の決定に文句をつけるなど、処分対象になっても可笑しくないような行為なのだが、突然ナメクジにされた当人の心境を考えれば、一概にそれを責める訳にもいかず、上官は彼を宥める為に今回のコンセプトを話して聞かせる。
「君の武器はその防御力にある! 君の柔らかい体はあらゆる打撃を軽減し、その粘膜は熱や刃物などからも君の身を守るだろう。攻撃を無力化できれば、後は君の好きな方法で敵をいたぶれば良いだろう?」
上官の言葉には、しかし説得力があり、それ以上の反論を許さない威圧感もあった。
「せめて、せめてカタツムリだったら……」
振り絞るように出てきた彼の切望も、上官の鼻息で掻き消えてしまうほどの威力しか無いのだった。
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そんな折、かのバッタ男を討伐せよという命令が、彼の元に下った。
彼奴はこの組織でも最高の技術をもって施術をほどこされ、最強を冠しその風貌にさえ考慮された、いわゆる最強兵器だった。だが彼奴は裏切り、逃亡し、あまつさえ組織にその牙を向けた。組織としても、放っては置けない存在なのだ。そして、ナメクジ男にとって個人的にも嫌悪の対象となる存在だったのだ。
幼稚園を襲い、幼女を人質に取ったタイミングで、彼奴は現れた。狙ったかのように。
だが、狙っていたのはナメクジ男の方も同じだった。
配置していた戦闘員を呼び寄せ、手出しできないバッタ男を嬲る。
作戦は上手くいった様に見えた。
だがその時、振り回したのが悪かったのか、それともナメクジが余程お気に召さなかったのか、捕まっていた幼女が胃の内容物を吐き戻し始めたのだ。急な事にその手を緩めてしまうナメクジ男の隙を付いて、気丈にも人質幼女はそこを抜け出し、泣きながらも仲間の下へ走り去っていってしまう。
その隙を見逃してくれるほど、ヒーローは甘くは無かった。
自分を組み敷いていた雑魚共をものの数秒で蹴散らすと、慌てるナメクジに向けて必殺のキックを放ってきた。だが標的となった怪人は高をくくっていた。彼の体は打撃を軽減すると彼の上官は確かに言ったのだ、これに耐え反撃に出る。そんな未来を想い、ほくそ笑む。
しかしヒーローのキックは予想以上に重く、鋭く、熱い。
園児達の声援を受けると、更にその威力を増した様にも感じる。怪人は終に体を折ると、十数メートル先まですっ飛んでいった。
離れて尚熱くうずき始める彼奴の足跡に灼熱が集まると、派手なエフェクトをかけながら爆発した。ナメクジ男の断末魔と内臓を吹き飛ばしながら。
朦朧とする意識の中、目を開けたナメクジ男は、自分を見下ろすバッタ男の視線に気がついた。
彼にやられた他の怪人の様に、全身が粉々にならなかったのは、上官が言ったとおりナメクジ男の武器がその防御力に有ったからなのだろうか。
「なぜだ……? なぜ裏切った。人に交ざろうとしても……無理があることは、貴様にも……わ、わかっていた筈、だ。組織を裏切らなければならない程の理由が、貴様に……有るのか?」
かすれる声で、どうにか紡いだ言葉が、向こうに届いたかは解らなかった。
「守りたい、ひとが居るんだ」
バッタを模したマスクに笑みを浮かべ、帰された答えは酷く純粋なものに聞こえた。毒気を抜かれたナメクジは、素直な感想を思い浮かべながら、意識を手放す事にした。
――なんだよ、格好良いじゃねぇかよ、と。
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薄暗い部屋の中で、彼は目を覚ました。
寝台の上に敷かれた薄いマット一枚の上に寝かされていた上半身を起こし、二三度頭を振ると、彼は自分の記憶を整理する。
「目が覚めたかね?」
声は上官のものだった。自分は生きているのか? 奴は止めを刺さなかったのか?
半身だけになったままのナメクジ男の顔に、悔恨と羞恥の彩が浮かぶ。
「奴の必殺技に半分でも耐えた固体だからな。解剖して研究させてもらうぞ」
上司の冷たい言葉にも、怪人は反応を返さない。否、返せないのだ。失敗した者には死を。こういった組織には有りがちな掟だった。
それでも、最後の言葉くらいは聞いてくれるだろうかと、ナメクジは口を開く。
「もっと強く……なりたい。もう一度、あいつ……と」
ナメクジの足掻きに、軍服の上官は口角を引き上げた。
「良いだろう。研究するのは細胞の一部で良い。その後、君を強化改造する事にしよう。存分に組織に貢献してくれたまえ。……そうだ、前に聞いた君の望みも叶えてやれるぞ」
その言葉は果たして彼に届いたのだろうか。怪人の意識は既に闇に落ちていた。
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次に目覚めたとき、彼はまたしても薄暗い部屋の硬い寝台の上に居た。
慣れた足取りで明かりを点け、姿見をふり返る。そこには変わらない自分の姿が――否、体の色が濃くなり、黒い模様まで有る。何よりも背中に違和感を感じて、軟体の首を自分の背後に向ける。そこに有ったのは、彼の武器を更に強化するパーツだった。
男は歓喜の声を上げた。勝てる! これなら勝てるぞと、興奮に打ち震えた。
やがて彼に、もう一度かの命令が下る。
「待たせたな。さあ、行け! 思う存分にその力を奮って来るが良い。カタツムリ男よ!」
「御意!」
硬い殻を背負ったカタツムリ男は、待ち焦がれた指令に溢れる興奮を押さえきれずに、颯爽と基地を後にした。
そして、彼が基地の床を踏む事は、二度と無かったのである。




