最終話 残したもの
12月22日、その日はクルエは体調も良かった。
病床から起き上がり、食欲も久々に回復した。
従者達は、少々気が和らいだ。このまま快方に向かってくれれば良いのに。
クルエは一人部屋にいた。
侍女のキニは、何か入用のものはないか、訊く為にクルエの部屋に入った。
「失礼致します」
「キニ、いつも済まないわね」クルエはにこやかに言った。だが、笑顔に力が無かった。
「水を一杯頂けるかしら」
「は、只今」
キニは、恭しく部屋を去った。
一人残されたクルエは、上半身を起こしたまま、部屋を眺めた。
豪華で品の良い調度品と、使い勝手の良さが両立した部屋。クルエは穏やかな気持ちだった。
もはや何も望むまい。
いずれ自分は死ぬであろう。そう遠くない時に。
ふと、気配を感じた。
彼女の目の前に多くの気配があった。
目を凝らす必要はなかった。それらはどんどんくっきりと見えてきたからだ。
それらは人間だった。
クルエは唖然とした。
見知った顔ばかりだったのだ。
ワーズ、サカヒ・ダイ、タダキ、シュトラ、はすぐに分かった。彼らは優しげな目でクルエを見つめている。
ワーズは気恥ずかしそうな顔で、サカヒは誇らしげな顔でこちらを見ていた。タダキは、腕組みをしていた、シュトラを見ると、彼は頷いた。
彼らの後方に、ゴダダとマブ、その他の友人達といった、クルエの育ったキロ村の人々がいる。彼らも微笑んでいる。
クルエは思わず立ち上がった。
「おばあちゃん、マブ……、皆……許してくれるの……?」
歩み寄る。
クルエはこの瞬間、老婆の姿ではなく、かつての何も知らぬ少女の姿であった。
「ワーズ、シュトラ、サカヒ、私は、上手くやれただろうか……?」
そう言った時、クルエは、少女からやや年を重ねた若い姿になっていた。
「私もそっちに行っていいの……?」
共に戦い、歩んできた者達。自分のせいで死んだ者達。彼らは皆、クルエを慈愛の篭った瞳で見つめているのだ。
「どうぞ姫様」
「おいでください陛下」
「行こうよクルエ」
彼らは口々にそう言うと、くるりと反対側に振り返る。クルエは、彼らを挟んで反対側に、光り輝く花園を見た。
彼らはクルエを待っているかのようだった。
クルエはこの瞬間初めて、全ての責から解き放たれた感覚だった。
歩みを進めて、彼らに合流する……。
キニは水の入った杯を持って、クルエの部屋の前に立った。
「クルエ様、水にございます」
そう言うと、扉を恭しく開けた。
目に飛び込んできたのは、目を閉じて横になっているクルエの姿であった。
「ここに置いて置きますね」
クルエの顔をじっと見る。
起こさないよう細心の注意を払いながら。
すると、何とも言えない違和感を感じた。
キニは、顔を近づけた。
寝息が聞こえない。
クルエが息をしていないことに気づいた。
「クルエ様!」
慌てて、部屋を飛び出す。
この時は、まだ、生きているかもしれないと思ったという。
キニは、近くの侍従に、自分達の主の様子がおかしいと話した。
その後は、侍女長であるフレーへ報告する。
あまりにも慌てていた為に、部屋の外で「フレー様、フレー様、大変にございます!」叫んでしまった。
フレーは扉を開ける。
「何事?」
「とにかく、息をしてないんです」
フレーは青ざめた。
侍従たちが集められた。クルエの部屋の前に立った。
フレーが一歩歩み出る。
クルエと同年代もしくは年上くらいの彼女は、ずっと長い間クルエに仕えていた。
彼女がクルエの身体を触って確かめる。
震える声で言う。
「お隠れになりました……」
その瞬間侍従達は泣き崩れた。
クルエの死は、2・3日は伏され、まずは国王とその重臣に伝えられた。その後に諸豪族や領主に伝えられている。
突然の死であったが、遺言状は既に製作されていて、自分の死後の使用人達の身の置き所について苦心が見て取れた。
衝撃を以て迎えられた報であったが、死の直前のクルエと会った人々からすれば、どこかそんな予感はしたという。
先王バイスは使者から知らされると、狼狽し、崩れ落ちた。
家臣達が、心配し近寄ると「よい」と言って立ち上がり、大きく息を吐いた。
「母上は覚悟されてたのだろう……」
と呟き、家臣達を見回す。
「しばらく一人にさせてくれ」
バイスは人払いを命じた。
タニアも、「やはり……」と言ったきり、黙り込んだままだったと伝わっている。
フレーはクルエの遺体と共にマサエドへ帰還し、すぐさま実家の方へ行った。
妹フレーと久々に再会したフクサマは、真っ白な頭を抱えた。
「わしが先に行ってお待ちするはずだったのに……」
「穏やかな顔で……、まるで眠っているようで……」
フレーの方が泣いているのであった。
「わしの方が、年上なのに……」
フクサマは項垂れた。
「すまんの、わしは……一人寂しくあのお方を逝かせる訳にはいかん」
フレーは泣きながら応える。
「クルエ様は、遺言で殉死を禁じております」
それを聞き、フクサマは、弱々しく笑った。
「全くあのお方は」
一方カワデも殉死をさせてもらえず、悶々としていた。もう自分はいい年なのだから好きにさせて欲しかった。
カワデはその日、酒を持ち、親友のところへ向かった。
フクサマとカワデの二人は夜酒を飲み交わした。
「クルエ様ときたら、我らの気持ちを汲んでくださらん!」
とフクサマが声を荒げると。
「そうだ、あのお方ときたら!」
カワデも声を張り上げた。
二人は泣いていた。
死んだと聞かされた時は出なかった涙が、今になって溢れ出て来ていた。
自分達だけ置いていかれたという思いが、非常に強かった。
「おかしいのう、わしは泣き上戸ではないはずじゃ」
カワデはぐいっと酒を流し込んだ。
「じゃが、主君の命は聞かねばならん」
「今の主君は陛下じゃろ、クルエ様は先々代じゃ!ならば聞く必要は無い!」
フクサマは叫んだ。
「だが、お主、クルエ様の命に刃向かえるのか?それにわしらは隠居の身だぞ?いわば古い時代の人間だ。新しい時代の主君が誰であろうと、かつての主君の最期の命に背く事など……」
結局、彼らはまだまだ死なず、さらに10数年は生きるのである。12年後先にカワデが病に倒れ、フクサマはその5年後、元気そうにしていたにも関わらず、侍従が早朝お越しに向かったら、眠ったまま死んでいたのであった。
クルエの遺体は、死後3日のうちに、マサエドに運び込まれ、アズイ院に保管された。翌1月4日、葬儀の方式が決定し、準備が始まっている。
2月12日、先王バイス主導であるものの、公式上は現国王ノザルによって、クルエの国葬は執り行われた。クルエは遺言で、葬儀は質素に行うよう指示していたのだが、バイス自身の思いと、政治的理由によって、盛大なものとなった。ただ、バイスも遺言との板ばさみに苦しんだらしく、合理性に富んだ豪勢さに抑えられていた。
その夜。
現国王ノザルは、葬儀も済んだ広場に、一人佇んでいた。
年は15だが、その美貌から放たれる覇気は、周囲の空気を歪ませるかと思わされる。
「なんだ、こんなところに、護衛もつけず」
バイスは彼を認め、歩み寄る。
ノザルは父の方に振り返る。
「護衛は、後ろに控えておりますよ」
「そうか」
「父上こそ、護衛をつけず、何をしておられるのです?」
「そうだな」
「父上」
ノザルはぽつりと呟いた。
「私は、惜しまれて死ぬ気などございません。この身に生まれた以上、父上から引き継いだのですからこの国を。父上が祖母上から引き継いだように」
ノザルの目は、暗闇においてさえ、爛々と輝いているのが分かった。
「お主の覇気は、母上やわしとは比べものにならん。ただ、それに身を滅ぼす事のないよう、せねばならんぞ。常に冷静さを保ち、的確に状況を判断するのだ。まあ、母上にもわしにも、それは完璧に出来なんだが……」
バイスはそう言って苦笑した。
「まだ、わたくしも未熟者、父上のご指導が必要な身です」
ノザルは恭しく言った。
その時、夜闇に光が差し込んだ。
雲に覆われていた満月が、夜闇に姿を現したのだ。
バイスとノザルは、思わず見上げる。
満月は淡くも力強い光を放ち、闇を切り払っていた。
それはまるで、闇の中を照らす道しるべの様に。
「母上かもしれぬぞ」
バイスは言った。
「我らを、励まそうとしているのだ」
「まさか、ただの月ですよ」
ノザルは応えた。
バイスはノザルの方をちらと見て、にこりと笑い、月を眺め続けた。
死すとも、次代へ受け継がれていく。




