晩酌の相手
クルエは2月2日、イタキ・カツリという文官を初代ダガーロワ奉行に任じ、自身は兵を率いてダガーロワを発った。
その際、コレニヤン・ワーズも伴っており、マサエドに帰り着いた後も、ワーズをしばらく蟄居状態に置いた。
これは、反乱軍たるダガーロワ軍に対して、苛烈な大量処刑をした女王らしからぬ、という批判を免れ得ないものであった。
多くの者は公然とは出来なかったが、六人衆の一人レアール・ワザールは、おおぴっらに批判した。
「ワーズが蟄居で許されておるのは、奴が陛下の特に近しい家臣であったからよ。式目によれば奴も許されざる者なのだが、陛下も情に絆されたとみうる」
何故、ワーズだけが助かっているのか、そうした不満は高まっていた。
特に、ワーズは首謀者なのだ。死なすには惜しいやんごとなき身分の者ならともかく、ワーズは所詮、ハミ家のいち家臣ではないか。ならば当然、首謀者だけが許されるなど、道理に合わぬ。ワーズも処刑するべきだ。
侍女のフレーは、部屋で佇むクルエを見た。
「陛下」フレーは思わず口を開いていた。
「陛下は、周囲の声に惑わされず、為さりたい事を為されば良いのです」
打算の欠片もない、言葉だった。ただ、純粋に励まそうとした言葉だった。
クルエは呟いた。
「したくない事でも、せねばならぬ時がある……」
言い聞かせるような応えだった。
記暦3347年5月18日夜、クルエから晩酌の相手をするよう命があった。
ついに来た、ワーズは思った。
食事を済ませたところだったが、急いで支度をする。
外で兵士が待っていて、ワーズが外に出ると、「さあ行きましょう」と促した。
「ああ」
ワーズは頷いた。
そこまでせずとも、一人で来ようものを。だが、断ればこの兵も困るだろうから、役目を奪わない事にした。
季節柄、凍えるように寒い。だが、風は無く、夜空には美しい月が輝いている。月の光は、城内に陰影をもたらしていた。
静かだ。
「フクサマ右将軍、カワデ左将軍もお越しとの事」
と兵士が言った。
「ほう、そうか」
素直に驚いた。
意外なことだ。
「よく来たわね」
クルエが微笑みながら手で座るよう促す。
だが、どこかぎこちない。
円卓には既にフクサマとカワデが座っていたが、顔が強張って緊張しきっていた。
「いえ、陛下がわたくしをお呼びになるとは思いませんでしたぞ」
ワーズは笑って部屋の中に入った。
「わたくしの決意は変わりませぬ」
ワーズは言った。
「晩酌の相手は仕りまするが、これでわたくしの心を動かせるとお思いか」
普段ならば、フクサマあたりが怒り出すであろうが、この夜に限ってはフクサマは何も言わなかった。
「ええ」
クルエは静かに言った。
「そのつもりは、もうない」
ワーズは目を見開いた。
そして、数秒の後に頭を下げた。
「謹んで、晩酌のお相手致しまする」
「ワーズ、酒だけでなく、果実や菓子もあるわよ」とクルエ。
「よろしゅうございまするか」
ワーズは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「では、頂きまする」
ワーズは手を伸ばし、小麦を練りこめて砂糖で味付けをした菓子を手に取った。
そして、口に運ぶ。
ゆっくりとした動作だった。
重々しい顔で口に含むと、ぼりぼりと音を立てて噛んだ。
「旨うござりまするな」
「でしょう」
クルエも手に取った。
するとワーズの横からフクサマが、果実酒を薦めてきた。
「おお、フクサマ頂こう」
フクサマは非常に丁寧にワーズの杯に注いだ。
ワーズは杯に口をつけ、ゆっくりと口の中に注ぎ込んでいく。
「お前は良く頑張った。わしはお前を好かなんだが」
彼の口調は、いつもと違い、神妙そのものであった。
「お主らしくも無い。だが、わしはお主を好いておったぞ。気が合わぬと思っておったがなの」
ワーズは笑った。
フクサマは苦笑する。
クルエは笑おうとして止めた。手にした菓子を口に入れる。
「わしからも」
カワデが酒を注いだ。
「カワデ済まぬ」
「あなたは昔から、真面目なようで、感情に任せるところがあって、融通の利かぬようでいて、自分の都合で曲げるところがあった。そういうところもね……」
クルエは呆れたように言った。
ワーズは苦笑いした。
「それは性分にございます。直せと仰せになれば、直しましたものを」
「どうせ、直さないくせに」
4人は笑った。
「しかし陛下」
ワーズは居住まいを正した。
「ご立派になられましたな」
クルエは首を振る。
「いえ、陛下はご立派です。わたくしがキロ村でお会いした頃はここまでのお方とは思いませなんだ。ハミ家再興など夢のまた夢だと思うておりました」
ワーズは微笑む。
「ですが、今やハミ王国女王と御成り遊ばした」
「まさか女王になるとはね」
クルエが声を立てて苦笑する。
果実酒をワーズに差し出す。
ワーズは杯を差し出す。
「頂きまする」
杯をじっと見た。
そして一息に飲んだ。
「あのね、ワーズ」
クルエは息を吐きながら言う。
「昔あなたが菓子を焼いてくれた事があったでしょ。あなたにこんな一面があったなんて意外で、それにおいしくて……嬉しくて、それと、剣の修行はきつかったけど、今にして思えば何度か役に立った。それに何度も励ましてくれて……。いや、何を言ってるのかな私は」
ワーズは頭をがくんがくんとし始めた。
「……何だか、眠とうなって参りました……」
クルエは赤くなった目を泳がせた。
「陛下、寝てもよろしゅうございますか。わたくし安心致しまして……心置きなく……」
ワーズは今にも閉じそうな目で、微笑んだ。
「……ええ」
クルエは頷いた。
「陛下、来世でもお仕えしとう存じます……。その時は、謀反など致しません……」
「どうだか」
クルエは涙を流しながら、笑った。
「わたくしは……陛下の様な主君を持てて……幸せで……ございました……」
声がだんだんと弱まっていき、それに伴い頭も、垂れ下がるように落ちていった。
音を立てて、円卓にうっ伏し、動かなくなった。
「ワーズ」
クルエは声を掛けた。
反応が無い。
部屋を無音が支配した。
誰もが、音を立てず、じっとワーズを見ていた。
しかし彼は、二度と、動く事も、声を発する事もなかった。
沈黙を最初に破ったのは、クルエだった。
椅子を引いて、立ち上がった。歩き出そうとしたが、そのままぺたんと床に座り込んでしまった。
そしてしゃくり上げて泣いた。
フクサマとカワデはどうする事も出来ず、円卓についたままであった。
「わしはやはり奴が嫌いだ……!」
フクサマは声を荒げた。
「死ぬるなら、一人自害すればよいものを!陛下の御手を汚しおって!」
その横でカワデが酒を煽っている。
ワーズの死は、持病の悪化によるものと発表された。だが、彼に持病があったという同時期の史料は無い。
葬儀は慎ましいものであった。謀反人を盛大に弔う訳にもいかなかったのだ。
彼は、王国内の火種という名の、時代の転換期において噴出した矛盾点を、背負って死んだのだ。と後世の者は言った。
それの真偽はともかく、戦に生き残ったダガーロワ軍の諸将や兵のほとんどが処刑されたにも関わらず、首領のワーズが生き残るのは、道理に合わない事であった、と主張する者は多い。また彼の思いを推察するところ、ワーズの行いは、式目違反であり、自身が作成と制定に関わった式目を無下に出来なかったのではないか。また、賊徒の象徴として死にたかったのではないか。
すると、もしかすれば、あのような死に方は望んでおらず、賊として処刑されたかったのではないか……と。
クルエは、ワーズの死後、数日政務をこなしたかと思うと、侍女フレーの前で倒れ、静養が必要な身となった。
流行り病や風邪といった類の病ではなく、疲労と心労が蓄積した結果だとの医師の見立てであった。
そこに、バイス王子とタニア王女が、守役のフェイと共に訪れた。
「ははうえ、ちちうえのかたきをうってくださったのですね」
タニアが嬉しそうに言った。
バイスは悲しげな顔をしていた。
「でも、ははうえはごびょうきだって」
クルエは半身を起こして、二人を抱きすくめた。
「ははうえ、どうしてなくの?」
「なかないで。おねがい」




