再興とは
「ワーズ殿を御討ちください」
エーリの言葉に、マソはぎょっとしたように彼女を見た。
それをよそにエーリは澄ました様子で続けた。
「王国に仇なす不逞の輩は、ワーズ殿を中心に糾合するものと思われます。ブシン殿やラムダ殿らも陛下に仇する陣営に与しましょう。先の戦いより以降、彼らの立場は非常に危うく、もはや陛下と雌雄を決せねば生き残れぬというところまで、来ております」
「そんな事を言いに、今日は来たの?」
クルエの言葉は怜悧な刃物の様ですらあった。端で聞いていたマソの方が心胆冷えた程であった。
「ご自身で決断なさるのが辛いなら、わたくしの言葉を拠り所となさいませ。わたくしの言があったからこその決断だと」
クルエは酒の杯をゆっくりと置いた。
「その時が来れば、もはやどうしようもないし、決断するだけ。それに、この女王の決断を自分の手柄としたいと?」
「滅相もございません。わたくしはただ、陛下に偉大な女王として君臨遊ばすのを願うのみです」
「ほう、タカラ家の安泰を約束して欲しい訳ね。あの裏切り癖の父がどちらに与しようと、タカラ家を厚く遇すると」
クルエの言い草は非常に辛辣であった。
「タカラ家の命運は父が握っております」
エーリは淡々と言った。
「タカラ家の為に陛下に助言するのではないのです」
クルエは目を細め、不機嫌そうにエーリを見つめた。
「そう、なら私からも、タカラ家に助言するわ。もはや変節漢は、私の下では生きられぬと。これまでとは事情が異なるから、よく熟慮せよとね」
「肝に銘じておきまする」
エーリは恭しく返答した。
次に戦いが起きれば、その戦いは雌雄を決する戦いなのだ。もう妥協も助命も有り得ない。
「まあ、話はこれくらいになさって!」
マソは割って入った。
「お二方はわたくしをお忘れでございまするか?」
彼女は苦笑いして見せた。
「間に挟まれながら、斯様な話を聞くのは、かなり辛うございます。どうかお分かり頂きたく……」
クルエがこれ程までに人を侮辱するような言をするのを、見たことが無かったし、エーリの歯に絹着せなさも極地に達していた。むしろ聞いている方が寿命が縮むというものである。
その後は、取り留めの無い話に始終した。
城から出て、分かれる際、エーリが言った。
「陛下が取るべき手段は主に二つ」
「エーリ殿、左様な事ばかり言って、少しは自重して下さい」
マソが呆れるように応じる。
「芽が出る前に潰していくか、泳がせておいて一気に叩き潰すか」
エーリは微笑んだ。
「どうやら、陛下は後者になりそうね」
「そうやって、政を遊び道具にしないで」
「ごめんなさい、父上に似たのかも」
エーリの父、タカラ・オムは、ある時はハミに、ある時はダガールにつき、此度ではワーズについた。それは端から見れば、節操の欠片もない変節と写るだろうが、それだけだろうか。父はどこか、楽しんでいる節があるように感じるのだ。裏切る際の父の楽しそうな様子といったらない。
劇や物語などではなく、実際に起こる政治劇。それを楽しむ自分を自覚している。人間として唾棄すべき存在かもしれないが、それが自分なのだとしか言いようが無かった
二人が帰った後、クルエは、侍女のフレーを呼び、卓の上を片付けさせた。
昔は自分もやっていた。姫様と呼ばれだしてからも、気が向いたら掃除をしていた。しかし女王になってからは、だんだんとしなくなった。天上人として、むしろしてはならぬし、侍女や侍従の仕事を奪う事になる、と思い始めたのだ。それとは別に気が向かなくなってきた。
本当に疲れた。
「私は立派な女王なんかじゃないわ」
と呟いた。
フレーはとんでもない、といった風に否定する。
「陛下は立派に女王として務めていらっしゃいます。誰が陛下を非難できましょう」
「ありがとう、でも、未だ天下は治まらず、平和は来そうにない。どうしてこんな事に……」
クルエは暗く沈んでいく感情を自覚した。夫シュトラを亡くしたのも痛かった。喪失感と自分に対する歯痒さが、心に沈殿していく。
茨の道である事は覚悟していたつもりだった。あの、ハミの山城で、ハミ家再興を決意したはずなのだ。だが今となっては、大いに揺らぐ心がある。
そもそも自分と家臣達の目指した、ハミ家再興とは何だったのか。今のこれが再興の夢を抱いた結果だとでもいうのか。
女王になるつもりなどなかった。家臣、それもワーズと戦うつもりなどもっとなかった。
これが運命だというのか。
領主に過ぎなかったハミ家の再興を図った結果、女王に即位し、夫と家臣の争いを止められず夫を死なせ、次は家臣との戦いを間近にしている。
クルエには、ワーズが何をしようとしているのか分かっていた。分かっていても、身が切られる思いだ。
「それにしても」
フレーが言う。
「ワーズ様は、いったい何をお考えなのでしょうか。陛下がどんなお気持ちなのか……お分かりなのでしょうか」
フレーの言葉には、怒りすら込められていた。
「お言葉ですが陛下、ワーズ様は御勝手であらせられます!」
クルエはふふっと笑った。
「そうね、本当に勝手よね……」
後世の歴史家はコレニヤン・ワーズへの評として、『忠義者』とするのが大半である。曰く「ワーズが忠義の者であるとは疑いの余地無く、ハミ王国の立役者の一人であり、女王クルエへの忠義を示す史料は多い。擾乱の際に女王に遅れを取ったのも、彼が王国や王権の正当性に拘る余り、女王の奇手にしてやられたのであって、これも証左といえよう」
逆の意見もある。
「擾乱は本当に、ワーズが起こした野心によるもので、エキル・シュトラの謀略説が定説となっている現状は歴史観の硬直性を示すものである。当時の女王は錯乱状態にあり、それが運命のいたずらにより、ワーズよりも女王に味方しただけである」との主張もあるのだ。
また、「才覚はあるが、君主としての器はなかった」とか「クルエやシュトラには総合的に劣る」などの評もされている。が、これも異論はある。
当時どう評されていたか、というのは、ワーズは少なくとも、ハミ王国の重鎮であり、忠義の士であるのは当時から言われていた。ただ、誰からも好かれる人物ではなかったようだ。
そんな彼が、クルエと対立するなど、夫を失ったばかりのクルエには耐え難い事であったろう。だが、ワーズにしても本意ではなかったに違いない。「クルエ年間における擾乱」の特徴として、双方の総大将が互いに相手を殺すのをためらった点にある。見方を変えれば非常にタチの悪い乱であるが……。
記暦3346年9月、対立は目に見えて激しくなった。クルエ側は、ハミ家臣とクルエが取り立てた豪族達で主に結束していたが、ワーズ側は先の戦いでの領主や豪族達の結合がそのまま母体となっていた。
六人衆の一員でもあるワーズ、ブシンは残りの4人を自分達の陣営に入れようとしたが、全て拒否されてしまっている。ハミ家執事モリスは既に女王派であり、マサエドの豪族ロダは女王寄りであった。ただ一人ワザールが意を明らかにしていなかったが。
右将軍フクサマと、左将軍カワデは、既に女王の派閥であった。
女王クルエが6月、王子と王女を匿った二人を訪れた。名目上は自分の子供に会う事だった。事実、そうした面は大分あったであろう。
クルエは二人の子供を抱きすくめた。その光景にフクサマなどは目を潤ませていたが……、しばらくして二人を侍女に預けると、フクサマとカワデに言った。
「王子と王女を匿りし事、大義であった。奸臣アキリとダイスから、我が子を守った恩は忘れぬ。これからも私とハミ家に尽くして欲しい」
「ははっ」
二人は感動したように跪いた。正直恨まれていると思ったのだ。
フクサマ、カワデは、クルエが帰還した後、すぐさま城を主に明け渡した。また、ハミ家執事モリスが瞬く間に女王による政策決定の補佐に回った事から、クルエが王権を振るえる環境はすぐに整ったのである。それに先立ち、女王が会見でワーズを言い負かし主導権を奪っている。
この訪問において、アキリとダイスが公式に賊と見なされ、フクサマやカワデが賊を討ち果たしたと、女王がはっきりと認めたのである。だが、シュトラが賊であると明言する事はついぞ無かった。
クルエが何故、アキリやダイスに対してここまで冷たかったか、については諸説あるが、フクサマとカワデを自陣営に引き込もうとする政治的思惑もあったろう。また、アキリが彼女の子の命を人質にシュトラを脅したなど、知る由も無かっただろうが、それに近い確信はあったのではなかろうか。
そんな中、行方知れずであったシュトラの弟、エキル・アキリが居城のパラマ城に帰還した。
それは9月1日の事であったとされ、ぼろぼろの服を着て、髪をぼさぼさにしたアキリに、当初城の者達は、主が帰ってきたと気づかなかったという。
家臣達は慌てて、アキリを迎えた。風呂と寝床と食事を急いで用意したのである。
「飯だ」
アキリはそう言った。足取りは重く、顔には疲労が刻まれているが、目には燃え盛る何かがあった。
数日後、家臣達はすすり泣きながら、城主に謁見した。
「ご無事で何より」
「悔しうございます」
「復讐戦を!」
と口々に言った。
アキリは頷いた。
「戦の支度をせよ」
「はっ」家臣達のすすり泣きは、嬉し泣きに変わっていた。
「このまま捨て置くは、エキル家の名折れ!たとえ城を枕に討ち死にせしとも、何もせず滅ぶよりは、晴れやかであろう」
アキリのそれは、もはや絶叫に近かった。
「アキリ様……」
「爺か」
アキリから爺と呼ばれた老人が、すがるような目でアキリを見た。
「女王に連絡を取りましょう。我らの仇は、右将軍フクサマと左将軍カワデ、奴等はワーズと組んで女王と夫君に反旗を翻しました。女王ならば……」
アキリは頷いた。
「うむ、女王に書状を出そう。奸臣共を討ち払い、王権の復権を。そしてエキル家と再び懇意であるように、と」
この、アキリらエキル家の事実誤認は、彼らがマサエドに拠点を失った事、そして彼らパラマという遠隔地にあった事によるものであったろう。




