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ハミ太平記  作者: おしどりカラス
第二章
63/73

 女王クルエの常軌を逸したような態度、言動に恐怖を覚えないでもなかった。戦に負けた立場であそこまで開き直れるものなのか。あれが、わざとだとしたら、怪物としか言い様がない。それとも本当に気が触れてしまったのか。

 ホソエ・メイシは女王に抗議に向かった。

 女王は執務室におらず、中庭にいるとのことだった。

「陛下は、お会いになりません」

 侍女が突っぱねるように言った。

 この侍女はフクサマの妹という事で、こちらの味方をしてくれるかも、と淡い期待をしていたが……。

「いいのよ!」

 女王の声がした。朗々としてよく通る声だ。

「陛下」

「フレー、とりあえず椅子に座ってもらって!」

 女王の声が遠くからする。

 フレーという名の侍女の促す通りに椅子にかける。

 しばらく待たされた。

 結局夕方あたりになって、女王がやってきた。動きやすい婦人用の服を身に纏っていた。貴婦人がするような服装には思えない。

「ちょっと稽古つけて」

 その言葉も貴婦人らしくなかった。

 メイシは言われるがままに立ち上がる。

 クルエは木刀を構える。

 彼は状況をよく掴めない。女王の行動の意図が読めなかった。もしや本当に気が触れてしまっているのか。

「へ、陛下」

 メイシは言う。

「わたくしの木刀は?」

 クルエがにっこり微笑む。

「真剣でいいわよ」

「は?」

 メイシは困惑しきりだった。真剣だと?相手は木刀だ。下手をすれば斬り殺してしまう。

「早く早く」

 女王クルエは剣を抜く動作をした。

 メイシは渋々抜こうとする。適当にあしらう事にしたのだ。

 すると、クルエがずがずがと歩み寄ってきた。木刀も投げ捨て、どんどんと彼に近づく。

 メイシは剣を半分まで抜いていたところで、また鞘に収めた。

「あら、抜かないの」

 クルエはメイシの腕をぽんと叩く。

「は、はあ」

 メイシは頭を下げた。

 抜ける訳がなかった。剣を向けれる訳がなかった。

 クルエはまたどこかへ言ってしまい、すぐ後に杯に水を汲んできて戻ってきた。

「はい」

「あ、有り難き幸せ」

 椅子に座っていたメイシは受け取る。

「別にいいわ。稽古をつけれくれたお礼よ。ま、飲みなさい」

 メイシはぐいっと勢いよく飲んだ。とても喉が渇いていたのだ。

「あなた、ブシンの遣いで来たんでしょ?」

 とクルエが何ともなしに言ってきた。

 メイシは答えに窮する。確かにその通りでもあったが、自信で進言したものでもあるのだ。すっかり相手に乗せられてしまって、どう返答していいか分からない。

「ブシンも困ったものね。自分で来ればいいものを、こうやって人に押し付けて。ワーズもワーズよ、迂遠な事をするものね。私に不満があるのなら、私を斬ってしまえば簡単なのにね」

 その言葉にメイシはぞくりとする。もし、先程本当に剣を抜いて女王を……。

「飲み終わった?」

「は、はい」

 クルエが手を差し出す。

 メイシは戸惑ったが、杯を差し出した。

「見送るわ」

 メイシは女王直々の見送りを受けた。女王の他にも護衛と侍女がいたが。

 彼は先程の浮かんだ恐ろしい考えを反芻する。

 いや、有り得ない事だ。やってはならぬ事だ。

 あの女王を斬るなど……。

 女王はにこやかにメイシを見送った。彼もそれに応えようと恭しく一礼する。

 メイシがクルエの元を去った後、歩みを進める彼の顔は、どこか朗らかですらあった。


 ニセール・リルは斬首された。リルは女王の命まで狙っていたのだから、たとえクルエが強弁に主張しなくても処刑されていたろう。

 リルは半ば諦めたかのように縄についた。しかし、いざ処刑されるという段になって、ワーズへの取り成しを繰り返し要求した。だが冷酷な刃は彼に鮮血を以て応えたのであった。一方で彼の家族は助命され、俗世を離れ、宗教の世界で生きていく事となった。これは女王が態度を軟化させたのもあるが、ワーズ派の働きも充分にあった。

 戦への恩賞も割り振られ始めた。女王と執事モリスによって主導的に進められ、本来武を以て勝者となったはずの、ワーズ派の諸将は蚊帳の外に置かれる事になってしまった。それに不満を持つ諸将も多くいたのだが、大っぴらに主張する者はいなかった。皆諾々として女王の決定を待ったのである。

 そもそもこの戦の勝者は誰だったのか。多くの者が答えを失った。ワーズ達が勝ったと思っていたが、本当は違うのではないか。戦において勝ったのは女王だから、女王はこんな振る舞いを出来るのだ。そうだ、そうに違いない。ワーズ達が勝者であったなら、女王の言いなりになるはずがないのだ。

 だが、そんな最中、再び人々を考えを引き戻す形となった事件が勃発したのである。

 記暦3346年5月21日、ハミ家の執事モリスが、政務を終え帰途についた際、襲撃されたのである。夜道を馬で進んでいたところ、空家の塀から矢が射られた。モリスに当たりはしなかったが、その後すぐに数人の襲撃者が襲いかかってきたのだ。

 剣や槍を持つ彼らと、モリスの従者が死闘を繰り広げ、モリスも剣を持ち戦った。結果襲撃者は数人が死亡し、残りは逃走したが、モリスも大怪我を負い、政務にしばらくは出られぬ状況となった。

この事件は、ワーズ派の何者かが起こした暗殺未遂であると誰もが確信した。

 クルエは翌22日ワーズを呼び寄せた。

「あなたが仕組んだの?まさかとは思うけど……」

 クルエの声は震えていた。

「まさか」

 ワーズは首を振った。

「モリス殿は、我がハミ家の執事、そんな事をするはずがございません」

「なら、ブシンとその一派……」

「お言葉ですが陛下。ブシン殿の陛下への忠義はこのわたくしが知っております。その様に名指しなさるのはよろしくないかと。そもそもわたくしの知り合いに斯様な汚き真似をする者などおりませなんだ」

 クルエはじっとワーズを見つめていたが、すぐに机の上の書物に目を落とした。

「一週間後の宴には出席しなさい」


 その宴は何の為の宴であったか。

 後世どころか、当事者の間でも、理解しうる者はなかった。奸賊シュトラ討伐の祝いなのか、女王とワーズ派の和解の為なのか、誰も明確な見解を出してもいない。

 

 宴は形式的に始まった。歌や舞が演じられ、彼らは見入っていた。

 静かな宴だった。

 参加者は、クルエ、ワーズ、ブシン、デンエー領主ワザール、ラムダ、アイキ城主ロダ、フクサマ、カワデであった。そのうち女王であるクルエと、豪族ラムダ、右将軍フクサマ、左将軍カワデ以外は、六人衆の班列にあった。死んだシュトラと、怪我により療養中のモリスを除けば、六人衆が久々に集まった事になる。

 沈黙を破ったのはフクサマである。

「斯様な時に、宴を開くなど……」

「斯様な時とは、どのような時だ?」とワーズ。

 フクサマは鼻で笑った。

「お主らが、モリスを殺そうとした事など、当に分かっておる。よくもまあその厚顔でいられるものだ」

「何を申すかと思えば。モリス殿を襲ったのが誰か確証もないのに、わたくしのせいにされては」

 ワーズは乾いた笑いをした。

「むしろ我らへの侮辱と捉えますぞ」

「侮辱ではない。事実ではないのか!」

「そもそも」とロダが口を開く。この中では最年長である。

「夫君殿があのようなお亡くなり方をされたのに、宴を開いていていいものか。陛下の夫であったのだぞ」

「夫君は、陛下を蔑ろにし、政を思うままに壟断しようと企んだ奸臣にございます」

 ワーズは冷たく言い放った。

「陛下も陛下です。あのような者の傀儡になるところであったとは」

「もうよい」

 との声が聞こえた瞬間、皆が黙った。

「陛下」とカワデが言う。

「宴の場で、かく物言いをするようならば、立ち去るがよい」

「何を仰せか陛下。そもそもこの宴は陛下がお開きになった宴ですぞ。我らのわだかまりをこうして、話し合う事で解こうというのではないですか」

 ワーズの言い方は非常に冷たかった。

「もうよいと言った」

 クルエの声は淡々としていた。

「陛下」

 ロダが呟く。

「ロダ殿、そなたは帰られるがよい。斯様な場にいても、気分を悪うするだけ」

「お許しただくならば、一刻も早う帰りとうございますな」

 ロダの口調も、非常に冷たい響きを持っていた。

「皆も、帰られよ」

 クルエは見回して言った。

「わしは帰る!」

 ワザールも立ち上がった。

「とても宴にはならんわい!」

 ロダも立ち上がった。

 フクサマやカワデも、鼻を鳴らして荒い足音で部屋を去る。

 ラムダもゆっくりと立ち上がり、去っていった。

「では、私も自室に引き上げるとしよう」

 彼らが出て行った後、クルエも卓を離れた。

 ワーズやブシンには目もくれもしなかった。

「ワーズ殿、女王のわがままにはこれ以上付き合えぬ」

 ブシンは冷たく言い放ち、ワーズの肩を叩いた。

 残ったのは、ワーズただ一人である。

 しばらく佇んでいたが、呆然と様子を見ていた侍女を呼びつけ、片づけをするよう命じた。

 宴はこうして、致命的なまでの決裂を示しお開きとなった。

 

 

 その数日後、女王クルエは、友であるオポ・マソとタカラ・エーリの訪問を受けた。

「よく来たわね」

 クルエは二人の為に椅子を用意してやった。

 恭しく二人はそれを受ける。

「早速ですが陛下、申し上げます」

 形ばかりの挨拶と礼を交わすと、エーリが切り出した。

「ワーズ殿を御討ち下さい」


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