賊軍
ハミ国女王クルエの意識は翌日の3月10日に回復した。
だが、それより前に、マサエド軍は敵の猛攻を受けていた。
マサエドでの事件、それと女王の様子を知ったダガーロワ軍が攻めかかってきたのである。
クルエはむくりと起きた。
「陛下!」
同行していた侍女が驚きの声を上げ、部屋を飛び出す。
シュトラを伴って戻ってきたのはすぐの事だった。
クルエは頭を抱える。
「どうなってるの?今の状況は?」
シュトラは唇を噛み締める。
「芳しくありません。指導者の陛下がお倒れになった事で兵の士気は著しく下がっております」
「あなたが率いても?」
シュトラは首を振った。
クルエは自嘲気味に笑った。
「私だって、もう用済みの女王なんだし、結局は一緒か」
「何を仰せですか」
「私は」
クルエは言葉を止めた。
そして上を見上げた。
どこか諦めの入った様子であった。
「ハミ家臣達に担がれてハミ家再興の役目を、そして多くの人達から女王として担がれ新たな王朝を作る役目を担った。
しかしもう、私の子供が王になる。私の役目はもう終わったと、フクサマやカワデ達……そしてワーズもそう言ってるのよ!」
クルエは顔を覆う。
「私はいったい何だったの!」
シュトラは居た堪れない様子でクルエを見つめた。
マサエド軍はシュトラが奮闘するも、士気の低下とまとまりの悪さは如何ともし難く、何度目かの退却を行った。
浪人のケン・デンとニセール・リルは、この機を逃がさず、攻勢に出ている。
まずリルが、マサエド軍を次々と突破した。騎馬を駆り、決死の突撃を駆けたのであった。
これにはシュトラもたまらず、兵を一旦退いて立て直した程であった。
シュトラは自身の求心力の無さを実感する。
何がマサエド連合の長だ。何が夫君だ。結局は自分など、この程度の存在でしかなかったのだ。
女王には苦しみを与え、エキル家も風前の灯、自分がやってきた事は何だったのか。
後世の歴史家は、ここで女王クルエがワーズらダガーロワ軍と、マサエドにて王子と王女を手中に収めたフクサマやカワデらを賊軍と断ずればよかった、という。確かにそうしていればまた違っていたかもしれない。今やマサエド軍は大義名分を奪われたに等しい状況であって、むしろ彼らこそ賊軍に近いものがあった。
そんな状況を、女王がどうにかしようとした形跡はない。
その為、兵士達の士気の低下は著しく、シュトラという曉将を以てしても挽回は難しかった。
兵は次々と逃亡し、兵力はそれまでの半分以下にまで落ち込んだと史料にはある。それは大げさにしても、かなりの軍事的不利がマサエド軍を襲っていた。
先程まで、勝利は目前のはずであった。にも関わらず、優勢劣勢がそっくりそのまま入れ替わってしまったのだ。
リルは何度も突撃を駆けた。
その回数は10回以上に及んでいる。
結果、マサエド軍を大いに疲労させたが、自身の兵も討ち減らしていき、最終的は退却した。
その脇から現れたのが、デンであった。彼もまた、騎馬でなだれ込んだ。
何と彼は、マサエド軍本陣に突撃をかました。
「敵襲!」
兵が叫ぶ。
諸将が慌てて「退却を!」と女王に進言する。
クルエが立ち上がり、馬に乗ろうとすると、矢が飛んできた。
寸前のところでクルエはかわしたが、馬に足をかけている最中だったので、振り下ろされてしまった。
「陛下!」
「大事ない!」
クルエはささっと立ち、興奮して暴れている馬はやめて、別の馬に乗る。
そして陣から走り去った。
僅かな共を連れてのこの逃避行は、女王クルエの果断さを示すものであると同時に、しぶとさを示すものであると、後世で語られる。
将たる人間で、これが出来るものは多くない。しかしそれならば、自身の政治的優位性を確保する為にも、相手こそ賊だと主張すべきだったのかもしれないが、それは結局彼女には出来なかったのだ。それは思いつかなかったと見るべきか、それとも、思いついたが実行に移せなかったと見るべきか……。
だが、今回の逃避行は一味違った。
クルエが森で身を潜めていると、デンが巧みに探り出してきたのだ。
馬は死んだ振りをさせられ、森に横たわっていたが、やはり本当の死体とは違ったのであろうか、馬を見て「生きている」と判断した彼は、近くに女王が潜んでいると睨んだのだ。
案の定、木陰に潜むクルエを発見した。
「女王覚悟!」
お供が立ちはだかった。
だが、多勢に無勢、お供は奮戦するも、女王を完全に守りきる事は叶わなかった。
一瞬の隙をついたデンが、槍を構えクルエに突進をかけた。
槍を突くも、剣で弾かれる。
まさか、弾かれるとは思わなかった。あの剣と鎧は飾りではなかったか。
だが、クルエは衝撃で倒れこんだ。剣も遠くに落ちる。
デンは馬を切り返し、再び槍を構える。
次こそ討ち取る。
しかし、そこにシュトラの軍勢が雪崩れ込んだ。
「くそっ」
もみくちゃにされ、退却するしかなかった。
千載一遇の機であった。あれを逃がしたら、もう一生得られぬかもしれない機であった。
あまりの口惜しさに歯軋りする。
事実、その通りであった。
デンに待ち構えていたのは、復讐に燃えたマサエド軍の猛攻だった。
味方が次々と討ち取られ、最終的に彼は、とある洞穴に潜んだ。
そこに兵士が乱入する。
デンは既に満身創痍であり、矢が何本も刺さって折れている。
兵士が奇声を上げて襲い掛かる。
だが、デンは一刀で斬り伏せた。しかし背後から貫かれる。
「そうか……、わしを討ち取って手柄とするか……、それもよい」
血を吐き、崩れ落ちる。
そのまま息絶えた。
夜になると戦いは停止した。
マサエド軍が退却したのもあるが、ダガーロワ軍の総大将ワーズから書状が届いたからであった。
曰く「降伏されたし、女王陛下と夫君様のお命はお守り致す。夫君様においては、これより政より身を退いて頂きたい。さらには総督への謀反の疑いを解き、これまで通り政に関わるのをお許し頂きたい。これが降伏の条件なり」
この文面を真正直に信ずる訳にはいかなかった。
彼らにとっては、夫君がそのまま許されるとは思えなかった。政から身を引くというのは、相手方の主観で如何様にも捉え方が変わる。それに王子も王女も立てられた訳だし、もう用済みであろう女王も無事で済むかどうか分からない。
クルエは書状を前に佇む。
簡易な木の椅子に座り、松明がゆらゆらと陣を照らすので、陰影を帯びている。
「陛下」
シュトラは座る事をせず、ただ立っていた。
クルエは微笑む。
どこか苦々しかった。
「降伏しましょう。これ以上戦っても兵が無駄に死ぬだけ」
「陛下」
シュトラは吐き出すように言った。
「斯様な事になったのも、全てわたくしのせいです」
クルエはじっとシュトラを見た。
「わたくしは、総督殿を罠にかけ、謀反人に仕立て上げました。此度の件は全て、わたくしのせいです」
手をぎゅっと握り締め、声を震わせていた。
「私のせいよ」
「いいえ!」
シュトラは首を振った。
そして跪く。
「陛下、もしもの時はわたくしのお命をお取り下さい。そうせねば陛下がお助かりにならぬ時には、わたくしはこの首を捧げます」
思い詰めたような声と口調であった。
「そもそもは、陛下のお優しさに甘えて、野心を見せたのがいけなかったのです」
クルエは首を振った。
「あなたは、私の夫でしょ。家臣ではないのよ。助かるかは分からないけど、命乞いでも何でもしてみましょ」
クルエは立ち上がりしゃがんで、シュトラの手を握る。
女王の顔は、達観と、自嘲と、疲労と、あらゆる感情が入り混じったものに見えた。
二人は互いを抱きしめた。
女王ハミ・クルエは、ダガーロワ総督コレニヤン・ワーズの率いる軍に降伏の意を伝えた。
記暦3346年3月14日の事である。




