マタラの戦い
3338年、5月、ダガールのボーザが挙兵した。
その報は、ハミの山城にいち早く届いた。
「ご苦労様」
クルエは報告者をねぎらった。
少し声が震えていた。
「ははっ、ありがたき幸せ!」
跪いた男は顔を上げなかった。
汚いなりをしていたが、諜報ともなればこれがちょうどいいらしい。
男は、ハンスといった。
サカヒが見出した男らしい。
「いよいよで」
とワーズ。
「ございますな」
とサカヒ。
「ははーっ!待ちに待ったこの時を!」
フクサマが雄たけびを上げる。
カワデが、頷く。
「さて……」
クルエが上座の椅子から立ち上がった。
家臣たちが静まり返った。
「長年持て余してきた、その武勇をダガールに見せつけましょ」
クルエはにっこりと笑った。
「さて、出陣の準備を!」
家臣団は散り散りに散って行った。
ふう、とクルエは息をつく。
「ご安心なされませ……。初陣でしかもこれほど重要な戦ともなれば……」
ワーズは彼女の前に行き、微笑みかける。
クルエはワーズを見つめた。
彼女は震える手で剣を握った。
「むしろ、その方がようござります」
サカヒが笑った。
「初陣で、自信満々では家臣が困りまする」
「ええ?」
クルエが笑った。
だが、空元気に見えた。
「総大将は総大将……しかし、家臣を信じると申したのは姫様」
サカヒは呆れたように言う。
クルエは皮肉気な顔をした。。
「では、負けたら家臣のせいである」
「はは!左様!」
さて、クルエが武具を着て、馬に乗り込んだところ、報告があった。
「来たか!」
ハミ軍は山をゆっくりとかけ下りた。
その麓辺りで待つ。
数十は下らぬ民衆がタダキに率いられ合流した。
「よく戻ったわね。ぎりぎり!」
タダキは言う。
「こいつらは、食もままならず、ダガールは嫌なんだってよ!」
彼の率いた民衆は、農具のようなものや木刀を持っており、かなり粗末な服を着ていた。
「服が破けているわよ」
「姫様、身なりは戦に不十分だが、士気なら高いぜ」
「そうだ!ダガールのせいで俺たちは暮らしがきつくなったんだ!」
「ダガールを倒せ!」
民衆は口々に言った。
タダキは町に繰り出しては、酒を飲みどんちゃん騒ぎをするという酒飲みで、そのよしみで人脈が広かった。
ダガールとの戦に備え、民衆を駆りだす役目を任されたのだ。
「姫様……」
サカヒが馬を寄せた。
「民衆は力強うござります。彼ら数十でも駆り出せれば、他の民衆も状況によってはこちらに加わるかもしれませぬ」
「そうね。でも数十か。使い道はあるのかしら?我が軍と共に敵に対峙するとか」
「別働隊は訓練せねばなりませぬ」
「そう……囮に使うというのもこちらについた彼ら民衆を思えば……」
「はは、姫様、囮を考えられましたか!」
ハミ軍は、民衆と共に、進軍した。
森の中を抜けるため、細心の注意がはらわれた。
こういう時、兵力が少ないときつい。
敵の動きを探る先遣隊や、諜報部隊を派遣しなければならないので、兵が少ないとそれすら痛手なのだ。
出来る限り早く進軍した。
敵の機先を制す為である。
実を言うとタダキにはもう一つ任務があった。
マサエドの民の扇動である。
これは諜報のハンスと共に行ったことだが、ダガールのボーザが攻め入って来て再びマサエドの地を荒らすという話しを広めた。一方、ハミにつけばそれは阻止できるし、ハミがマサエドを奪還した暁にはマサエドの民が一つになることが出来ると触れまわった。
ハミに与すれば以前以上の恩恵を受けるとは一切言わないことが任務の大事なところだ。
今のところ、味方してくれた民は数十人程度であった。
「サカヒの言う通り、戦の行方次第ね。あっという間に決着がついて私が討ち取られたら終わりだけど」
クルエは苦笑した。
正直言って不安でたまらなかった。
身体の震えがおさまらず、喉が異様に渇き、たまらなかった。
「いやあ、姫様若返る様でございます。やはり戦こそ妙薬」
サカヒの方は嬉しそうだった。
「姫様、フクサマ、カワデの二人とワーズは仲がよろしくない」
「うん」
「そこで、一緒に並べて、先に敵を突破する競争をさせたら如何かと」
サカヒはにやりとする。
「で、でも」
とクルエ。
「仲が悪くて協力しなかったら?」
「それぞれ率いている兵がございます。彼らにも面子がございますので」
「そういうものなの?」
「無理に協力させるのは得策にあらず」
「ふうん……」
クルエ率いるハミの兵は進んでいった。
ボーザが率いたダガールの兵はトト山の中腹に陣を敷いた。
クルエらはその向かいのサキ山に布陣した。
その間には、そこそこの広さのある盆地が広がっている。
この地は、マサエド地方のマタラ盆地と呼ばれる場所で、必然的にそこで対峙することになるだろうと思われていた。
が、しかし実際盆地で野戦に討って出るかは別である。
クルエは家臣達を、鎧と剣のいで立ちで見回した。
「ハミはこれまでダガールによって不遇の時を過ごした。
父祖の地であるマサエドをダガールに蹂躙されるのはこのクルエが許さぬ」
タダキとフクサマはいても経ってもいられない様子で、そわそわしていた。
「このクルエだけの怒りではない。これまでハミに尽くした忠臣のそちらの怒りでもあり、ハミ一族の怒りでもある!」
クルエは立ち上がった。
表情は厳しかった。
「姫様!もっと喜ぶべきです!」
フクサマは晴れやかな顔で言った。
クルエは彼の方を向く。
演説を途中で止められたが、既に皆の気分は高揚しているのでよいと思った。
しかし、横でワーズがばつの悪い顔をするのをしっかりと見た。
「そうね、悲願だものね」
「は!」
横でカワデが笑っている。
クルエは大きく息を吸った。
「緊張しておいでで?」
タダキがにやりとする。
「あなたは?」
「は、むしろ高揚しており申す。姫様のも恐らくそれかと。恐怖と勘違いしてはなりません」
クルエは笑った。
「……私は、皆が心配なのよ」
ぽつりと言った。
目ざとくサカヒが声を上げる。
「姫様、我らはもはや死ぬことを恐れることはございませぬ。あるとすればハミ家再興のみ、我々にとって何も出来ずに死ぬことの恐ろしさは何事にも代え難く、ただただ、忠義があるのみでございます」
「そう。殊勝の極みである」
クルエは、サカヒの言動にフクサマやカワデが顔をしかめるのを見逃さなかった。
やはり、フクサマ、カワデ派閥と、サカヒ、ワーズ、タダキ派閥は仲が悪いのだ。
(どうしたものかしらね……)
しかし、考えれば皆が生き残ることはないかもしれないのだ。
クルエは向かいの山の敵陣を見る。
旗がいくつも立っている。
「敵が布陣して何日?」
「は、三日程かと」とサカヒ。
「こちらは昨夜来たばかり……」
「姫様!敵より早く討って出ましょう!」
カワデが語気を強める。
「待て、まずは様子見じゃ」
サカヒが髭をいじりながら言う。
「しかし、敵に手綱を握られることになるやも」
「そうだ!サカヒ殿のように悠長に構えておれんわ!こちらが大軍ならばゆるりとしても良いが、こちらは寡兵じゃそ!」
フクサマがサカヒを睨みつける。
「姫様!」
二人は、クルエに向かって言った。
サカヒは大笑いした。
「お前達は、姫様のお言葉を遮るまでに気持ちが高まっているのは分かる」
サカヒの言葉に二人はぐっと息を飲んだ。
「じゃが、姫様には落ち着いてご裁断をして頂くのが我ら家臣にとっても良きことではないか?」
老人は快活に笑った。
「姫様、こちらの武器は士気の高さと見受けられまする!」
クルエも笑った。
「サカヒも二人みたいに士気は高い?」
「はは、滅相もなきお言葉!」
とサカヒ。
フクサマとカワデの表情が少し明るくなったのを見逃さなかった。
敵が動き出した。
それは四日目の朝方のことだった。
辺りはまだ暗く、クルエは知らせによって起きた。
「どうなってる!?」
「は、ダガールがとうとう……」
山から降り始めていた。
暗いがそれでも分かった。
クルエ達は色めきたった。
「ついに来たか……」
サカヒは言った。
「姫様」
ワーズは目配せした。
クルエは頷いた。
「迎え討つ!」
クルエは声を張り上げた。
「姫様!」
「はっ!姫様の合図さえあれば我らは」
とサカヒ。
クルエはダガール軍の陣を見つめた。
じっと見据えてしばらくそのままだった。
「出陣……」
クルエは小さな声で言った。
彼女は息を飲んだ。
「出陣し、諸将は敵を討ち滅ぼすべし!」
声を張り上げ叫んだ。
ハミ兵達は一斉に出陣した。
もう、日は明るくなっていた。
ハミは、せいぜい三百、ダガールは千の兵だ。敵が多勢ではあるが、サカヒは千程度の敵兵なら上手くいけば打ち破れると主張した。
おおむね、他の家臣も同意見だった。
むしろ、時を逸して応援を呼ばれるのがまずい。
クルエは馬に乗り、家臣に守られながらゆっくりと進んだ。
ボーザは、ハミの陣営を眺めていた。
とうとう、向こうも動き出したと見える。
一兵たりとも逃すまい。
ハミは滅びる。
この戦いで。
ボーザは、慎重に兵を進めつつ、敵を包囲する作戦を取った。
「……トクワ陛下に我が華々しい戦果をご覧に頂きたい!」
彼は、馬に跨りつつ、敵の動きをじっと見ていた。
敵兵達のおたけびが聞こえる。
怒号のような音だ。
「迎え討てええ!」
ボーザは大声を上げる。
ダガール兵は、迫ってくるハミ兵をすっぽり包もうとしていた。
「ははは!こちらを囲むつもりか!」
フクサマは面白そうに言った。
「進めー!とにかく進め!」
彼は剣を振りかざし、突っ込んでいく。
それを傍で見ていた、タダキは悔しそうな顔をする。
「フクサマなんぞに先を越されてたまるか!突っ込めええ!」
タダキの率いる民達が、武器を片手に走る。
しかし、やはり敵を前にして恐れおののく者がおり、悲鳴を上げながら敵前逃亡をしようとするものがいた。
「タダキ!」
ワーズが駆け寄って来て、逃げようとした民を馬上から一突きにした。
「我らを裏切り、敵につくつもりではあるまいな!?」
ワーズは民達を睨みつける。
数十程度しかいない民達は、敵の方に振り返って、叫びながら敵に向かって行った。
カワデも既に敵と交戦に入っていた。
サカヒは、後方からこれを見つめていた。
「姫様、首尾よくいっております」
「そう」
「敵はどうやら包囲するつもりのようで。こちらが敵に穴を開けるが速いか、こちらが壊滅されるのが速いか」
「敵は包囲しようとした分、兵の壁は薄い」
「は、左様」
「それにしても強引な手ね。もっと確実な手はなかったのかしら」
「はは、わざと負けて撤退したふりをして敵をおびき出すという手もありましたが」
サカヒは笑う。
「どうして使わなかったの?」
クルエは驚く。
「兵達の練度が足りませぬ。これは非常に難しいもので、負ける振りというのは余裕が無ければ本当に負けてしまうことになりかねませぬ」
「へえ……」
「いずれにしろ、兵の訓練が急務でござります」
クルエは笑った。
「これに勝ったらね」
しかし、手綱を握る手は震えていた。
戦いは、一進一退のかのようであったが、ハミの軍勢がダガール軍に風穴を開け始めた。
「ボーザ様!」
兵が跪いて報告した。
「何だ!」
ボーザは怒鳴った。
「敵はこちらに迫りつつあり!」
「分かっておる!だが、こちらが囲むのが速い!
包囲して一網打尽にするのだ!」
ボーザは剣を抜いた。
「ボーザ様!」
側近のエンが焦り顔で言った。
「お逃げくださいませ!いずれ、援軍を頼みにハミを討ち滅ぼすのです!」
ボーザはじだんだを踏んだ。
「トクワ様にハミを自らの手で滅ぼすと申し上げたのだ!陛下への約束を反故に……?」
「反故にするのではございませぬ!いずれ時期を見て、来るべき時に討つのです!」
「くそっ!」
ボーザはハミの軍勢を睨みつけた。
小勢だと思って侮っていた面もあったかもしれない。ただ、それ以上に死ぬことすら厭わない死兵と化したハミ兵の恐ろしさだ。
「撤退する!」
ダガール勢は撤退を始めた。
それを見たハミ兵は追撃しようとする。
「追撃せよ!」
クルエは叫んだ。
「敵の大将を、今ここで!討ち取れ!」
クルエはいきり立って周りを急かした。
タダキ、フクサマ、カワデらが兵を率いて追撃しだした。
ハミ勢は逃げる敵を追いかける。
「姫様!罠であったらどうするのです!」
ワーズが馬を走らせ戻ってきた。
「退却に見せかけ、待ち伏せしてるやもしれませぬ」
「ワーズ!」
サカヒが怒鳴った。
「千載一遇の機会だ。罠かもしれぬがここは行くのだ!」
クルエはにやりと笑った。。
「ええ、私も場合によっては自らの喉元に剣を突き立てる覚悟は出来ている。ハミ家再興の為には博打に出ないといけない時もあるはず」
ワーズは驚いた顔をした。
「仰せごもっともですが……」
「ワーズ」
クルエは今度は柔らかい微笑みを浮かべた。
ダガール兵は弓で追い立てられ、追い詰められ討ちとられる者もあればそのまま霧散してしまう者もいた。
ところが、本命は捕えられた。
ボーザは運悪くも矢で腕を射られ馬から落ちた所を捕えられたのである。
彼はクルエらの前に引きすえられた。
クルエは陣中用の寄りかかりのない椅子に座って、縄に縛られたボーザを眺めた。
「……あなたが、ボーザ?」
「……」
「答えぬか!」
ワーズが声を張り上げた。
ボーザは下を向いていた。
クルエは立ちあがった。
そして彼に歩み寄っていく。
「私を探し出すために村々を撫で斬りにしたのよね?」
「ふん」
ボーザは鼻で笑った。
「おのれ!」
フクサマが剣を抜いた。
「切り刻んでくれるわ!」
「フクサマ!落ち着きなさい」
クルエは静かに言う。
「マサエド統治を命じられたあなたが、私を探し出し殺そうとしたのね」
「殺せ」
クルエは口をぱくぱくさせた。
「敵を打ち倒すのは当然のこと。惜しむらくはお前が生きていることだ」
ボーザは怒りなのか悲しみなのか、達観した表情だった。
「これではトクワ様に顔向けできぬ」
クルエはワーズ、サカヒ、タダキ、フクサマ、カワデらを順に見た。
正直、困惑した。
呆気にとられたのだ。
拍子抜けだった。
色々言いたい恨みごとも口ごもるしかなかった。
「さっさと殺せ!」
ボーザは怒鳴り声を上げた。
「それとも、ハミ家の当主は人も殺せぬか?やはり女子だな」
彼は高笑いした。
「姫様!」
クルエの家臣達が口々に言った。
彼女はボーザをじっと睨みつけた。
次の瞬間、一刀で斬り伏せていた。
血しぶきがかかる。
周りの声も聞こえなかった。
気がつくと、サカヒが嬉しそうに笑っていた。
「姫様!これで良いのです!」
横には少し暗い顔をしたワーズがいて、その隣にはタダキがフクサマ、カワデらと談笑をしていた。
クルエは剣の血を血取り紙でふき取り鞘に納めた。
ハミの兵たちは歓声を上げていた。




