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ハミ太平記  作者: おしどりカラス
第二章
57/73

流血を始める餌

 マサエド軍は諜報を放ちながら、敵軍の動向を探り、慎重に兵を進めた。

 そして決戦の場はおおよそ決まった。ダガーロワ軍はヨイナ平原というところに陣を張き、そしてその北側の森を挟んで、マサエド軍はフライ谷と呼ばれる場所に陣を敷いた。

 記暦3346年3月4日のことである。クルエ率いるマサエド軍は4万、ワーズ率いるダガーロワ軍は3万以上であったといわれる。

3月6日、夫君シュトラは、女王クルエの元を訪れた。

 彼の具申するところによれば、ワーズの軍は戦意や士気こそ高いが、統一された指揮系統を持っているとは言い難い。野心家の領主や豪族、または再起を図る豪族や死に場所を求める者達ばかり。野心に満ちた者達は、武勲をどうしても得たいはず。よって勝手に行動する可能性がある。首級を求め突出してきた彼らを各個撃破する事が可能であるはず。

「我が軍は要害であるここに陣取ります。わたくしに5千の兵をお貸し下さい。さすれば敵を眼前の森に誘い出しまする」

 シュトラは言った。

「それで勝てるのでございますか」

 オイゲントが言った。

 彼はマサエドの豪族で、かつては様子見をして、クルエがダガール軍を撃退した後に合流した男である。その時の開き直りの言上は周囲を呆れさす程、恥も外聞も無いものだった。

 そんな彼が、マサエド軍についたのは地理的な理由からは当然ではあるが。

「各個撃破など、そう上手くいくものでござりましょうや?いっそ、平野にて決戦し、多勢の利を生かすべきでは?」

「その手もあるでしょう」

 シュトラは答えた。

「ですが、向こうはいわば死兵を多く抱えております。万が一の事もあります」

「まさか、陛下の御威光を前にして、敵は恐れを為すでしょう」

 こんな時ですらおべっかを使うのか。

 シュトラは少々呆れた。

「確かに、総大将のワーズ殿はそうでしょう。陛下と戦いたくないはず。あくまでわたくしを敵としている。ですがそれ以外の者は、むしろ陛下の御首級を狙っていてもおかしくはありません」

「いやはや恐れ入りましたな。さすがの慧眼。夫君様がいれば心強い」

 オイゲントは笑いながら言った。

「夫君様はご自分を餌になさるおつもりか」

「そうです」

 シュトラは頷いた。

「シュトラ」クルエが言った。「それではあからさま過ぎないか」

「それで引っ掛からなければ、また別の手を考えましょう」

 シュトラは微笑んだ。



 シュトラの見立て通り、ワーズはダガーロワ軍の統率に手を焼いていた。

 血気にはやる浪人達は、ワーズからの厳命である、待機命令に不満を述べていた。

「君側の奸であるシュトラを討て!」

「何故総督殿は動かぬ……。臆病風に吹かれたか!」

 口ではこう言うものの、本心は別の所にあるようだった。

 ラムダがワーズの元へ馬を走らせやって来る。

「これ以上抑え込むのは厳しい」

 ワーズは腕を組んで考え込んだ。

 ラムダだけでなく、他の豪族達も浪人達を押さえ込もうと自軍の兵で睨みを利かせている状況だった。

「いっそ、打って出るべきではないか?」

「いや、それは敵軍が森から出てくるまでだ」

 とワーズ。

「しかしそれを待っていたら」

「あのシュトラだ。罠を仕掛けておるかもしれん。ここは慎重に。やるなら全軍を挙げて突撃をかけ、勢いで勝るしかない。さすればさすがのシュトラもひとたまりもあるまい」

 ラムダが唸った。

 彼もシュトラを警戒していた。以前レイン川を決壊させての戦術でダガール軍を粉砕した男だ。今度はどんな罠を森の中に仕掛けているやら。だが時間をかければ奴に更なる罠を仕掛ける時間を与える事になるのではないか。

「いや、士気が高い今こそ好機だ」

 ブシンはそう主張した。

 実質彼はワーズに次ぐダガーロワ軍の指導者である。その彼が森の中へ突入し、勢いに任せて敵を倒すと主張したのだ。敵がどこにいるかはだいたい予想がつく。

「それは森の北の谷だ。大軍はそこにしか布陣できん。森の中に潜んでいたとしても、それは奇襲部隊に過ぎん。そんなもの、士気の高い浪人共なら突破してくれるだろう。たとえ不覚を取っても、それで乱れる彼らではない。もとより命など捨ててきているからな、あいつらは。死兵の恐ろしさを敵は味わうだろうよ」

 ブシンは非常に強気だった。

「それも一理ある」

 ワーズは頷いた。

 彼は改めて、彼の主君の置かれた立場を知った。どの意見を採用するか、迫られるのだ。自身の決断への責任の重さを痛感する。その決断に大勢の者の運命が左右される。

 だが、既に自分は後戻りなど出来はしない。もとより大勢の者を巻き添えにするつもりだったのだ。多くの血が流れる事も分かっている。むしろ自分はこれを機に、ハミ王国の掃除をするつもりなのだ。

「よし、打って出よう。全軍に下知」

「承知!」ブシンとラムダが馬を駆けて去っていく。

 

 クルエはシュトラに5千の兵を与えた。シュトラは陣を離れ、森の中を5千の兵と共に進む。

 敵が様子見をしているのは、森の中で何が待ち構えているか分からないからだ。だから本来はこちらが森から出てくるのを待っている。しかしそれは長期的なものではない。いずれ軍を押さえ込めず、攻撃を仕掛けてくる。それがいつになるかは定かではないが、そんな遅いものではないだろう。

 であるから、先手を取らなければならない。

 その為に陛下は、この5千の兵の中にシュトラの軍勢を加えてくださった。日頃から訓練をしている兵達なら、自分の策も実行できるだろう。無論、それ以外の兵士達もマサエドで訓練を重ねた者達だから、出来てもいいはずだ。

 敵は各個撃破を恐れるはず。故に全軍を以て攻勢に出てくるだろう。一塊になれば各個撃破など有り得ない。まあそれを実行できるかは微妙なところだ。今のダガーロワ軍を完全なる意志のもとに統率出来るものなどいやしない。陛下ですら無理だろう。何故ならいわば「ならず者達」だからだ。そこに先手を取られれば間違いなく、ワーズらの軍の統制は乱れる。一つにまとまった行動をせず、各々で動く。そこを分断しつつ撃破するのは出来なくも無い。

 それ以外の、もともとのワーズや領主豪族の正規軍はそれ以下だ。一度混乱が起きればそういう軍勢こそ惨めな程崩れるのだ。

 

 シュトラと違って、ワーズは戦が得意分野とはいえない。どちらかといえば事務や兵站、内政といった方が性に合っていて、それは本人も自覚する所だったが、彼をして此度の戦の総大将せしめたのはダガーロワの総督職であったろう。そもそもワーズが総督でなかったら、こうして戦が起きる事もなかったのだ。

 この戦いは、大雑把にいえば夫君シュトラとダガーロワ総督ワーズの決戦であった。どちらも女王クルエの覚えめでたく、双方とも非常に信頼が置かれていた。

 だが、戦においての功績は比較になっていなかった。ワーズはあくまでクルエの側で支え続け、政策立案においての功績はあった。しかしシュトラのように巨大な武勲が有る訳でもない。

 いわゆる、「名将」同士の戦いではなかったのである。


 シュトラは兵を進め、森の外に一気に躍り出た。

 そしてワーズの下知通り森へ迫る敵軍を見た。

 そこにシュトラの軍が突っ込む。

 あまりに迅速であった為、ダガーロワ軍は矢を射る暇もなく、剣で応戦するしかなかった。さらに別方向からも突撃する敵軍が現れた。

 そのまま二つのシュトラの軍は斜めにダガーロワ軍を横断し、そのまま入れ替わるようにまたダガーロワ軍に突っ込んだ。

 ダガーロワ軍の諸将は対応に苦慮した。兵達には交戦を指示したが、騎馬の速度もさることながら、突撃と離脱の見事な統率に翻弄された。兵の薄かったり、浪人達と思われる兵士のいる場所を狙い打ちにしていた。

 そのまま神速のように、森の中へ走り去っていく。ダガーロワ軍に混乱が襲った。隊列も指揮系統も乱れてしまった。

 何とかかろうじて矢で追撃をかけた者もいた。奇襲を仕掛けてきた軍勢は矢によって次々と倒れていくが、まだ8割は無事であろうと思われた。

 彼らは森に消えた。

 森方面から矢が飛んできた。

 追撃しようと駆けたダガーロワ兵がばたばたと倒れていく。

 総大将ワーズは追撃は止める命じた。

 だが、一部の浪人達が言う事を聞かない。

「よせ!」

 ワーズは叫んだ。

 浪人達は森に突進していく。

 そして森の中へ消えた。

 それを見た他の浪人達も我先にと森へ走っていく。

 ワーズは舌打ちをした。

 全軍の立て直しを命じる。

「隊列を整えた後、浪人達に続いて突っ込むしかあるまい」

 あのまま浪人達を放って置いては、各個撃破されて、ダガーロワ軍の戦力を無為に削ぐことになる。そうなれば勝ち目はない。

 

 

 記暦3346年3月7日、『クルエ年間の擾乱』最初の戦いは、まだ始まったばかりである。


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